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『風都市』

和嶋勝利さんの歌集を読む2回目は第二歌集『風都市』です。

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第二歌集『風都市』(ながらみ書房、2000年)は、1996年2月から1998年10月までを収録とある。30歳から32歳という短い時間だが、この期間は浜松に転勤していた時期であり、あとがきにも

〈風都市〉は浜松市をイメージしたものである。よって本書は生活圏であった静岡県西部、いわゆる「遠つ淡海」に捧げられた歌集である。


と書かれている。
この続きには、見知らぬ土地での戸惑いや仕事で経験する苦さなどが率直に語られているのだが、それは歌にも多く表現されている。

(転勤の辞令が下りる。)
遠州のからっ風ふく赴任地を下りて〈ひかり〉の去る速さかな
評判は新天地にて落ちること疾きかなとんとあたらぬ相場
魚(いお)は水面(みなも)にひきあげられて輝けるまだまだあさき神経衰弱
ざわざわと有給休暇さそわしむわが天気図のなかのどしゃぶり
風をよみきれず到れる朱夏晩夏 同期はひとりまたひとり辞す

一首目は巻頭近くに置かれた歌で、しょっぱなから知らない土地にぽつんと佇む姿と新幹線があっという間に置きざりにしてゆく様子がかなしくおかしいのだが、心理的にはまだまだ余裕がある感じがする。二首目、三首目の「居場所はここではない」感じに苦しさがにじみ、四首目に至っては〈わが天気図〉はどしゃぶりとなってしまう。それは長く続く景気の停滞が大きく影響し、和嶋さんだけではなく同期や同業者全体へと波及していることがわかる。

どの職業も生活も、経済と切っても切れないものだが、その時代の大きな事件が株価を左右し私たちの生活に影を落とすということを、和嶋さんの歌を通してあらためて思わされる。

(97年2月19日。あいかわらず風が強い。病院から会社へ電話すると・・・。)
欠勤の目論見は見事失速す鄧小平の逝きたる朝は
(「〈日経〉の見出しが『山一自主廃業』に決まったらしい」と声はたわむ。)
おそろしきトップ掲げる〈日経〉を寝床に待てばひたひた迫る
(日本ファクター、エヌ・エフキャピタル、エヌ・エフ企業、エムアイエス商会、アイオーシー・・・・。)
手に持てぬ熱き紅茶が注がるるペーパーカップ、ペーパーカンパニー
(京樽、雅叙園観光、小川証券、東海興業、日産生命、五十鈴建設、多田建設、大都工業、ヤオハン・ジャパン、三洋証券、拓銀・・・)
罫線表の起伏のなかにしずかなる幾春秋をわれは過ごしき

山一証券の自主廃業のニュースは1997年11月のことだ。あのころ、バブル崩壊後から始まっていたであろう経営の歪みが、あちこちで顕在化した時期だったように思う。北海道に住む私にとっては拓銀の破綻が暮らしに関わる重大な事件だった。取り上げた四首目の〈しずかなる幾春秋〉=景気の安定した日常、が過去の時間であることを知る。

一人暮らしの様子が描かれるのは、第一歌集に見られなかった部分だ。
神経質に不可燃物を分けている「賃借対照表(バランスシート)」を示しし指が
春雷は遠江の風しめらせて軒下のわがshirtを湿らす

そして和嶋さんといえば、音楽にまつわる歌も多い。
ひとりから始めることの豊かさをばらんとわれに応うるギター
Jazzはほんとはかたくなに吾をこばむらむそのふるまいを自由に見せて

最後の章は相聞歌の割合が多く、やさしいトーンだ。
雪しらぬおみなのかたえふりかかるきよらなるものわれは告げやる
地図になきこの部屋を問う電話あり花の頃なら目印はある
絵の具箱の青のみが吸いとられゆく空 ぼくはまだきみを知らない

一首目は寺山修司の「海を知らぬ少女の前に・・・」を思わせるようなやさしい眼差しだ。きよらなるものが相応しい女性なのだ。二首目は、この歌集のなかで一番好きな歌だけれど、この魅力はなんだろう。〈花の頃なら目印はある〉はモノローグに近いのではないか。〈花の頃〉にふっと浮かび上がる家までの道を思い描くとき、新しい地図がひらかれてゆくのだ。

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詞書は()内です。太字にすると見にくかったので今回はそのままにしてます。

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