見出し画像

ホタルがいるよ

「りとむ」の仲間、高橋千恵さんの歌集が届いた。
歯科衛生士としての仕事の歌を中心としながら、家族や友人、恋の歌を、会話体を挟みながらテンポ良く展開していく。

ナースキティのエプロンに気づき吾に気づくゆいちゃんはママの膝の上から

十二時の位置に座って歯牙を診る九時と一時も行き来しながら

鏡には奥歯をみがくおのこいて眉少しずつ上がりゆくなり

仕事の場面の歌。
「ゆいちゃん」の視線が、エプロンのキティから誰かと気が付いて顔へと上がってゆく様子がよくわかる。そして、そこに高橋さんへの親しみも感じられ、関係性も滲んでいるのが良いところ。

次の、時計で示されているのは、患者の顔に対して歯科の人が座って作業する位置だろう。口の中をくまなく見るためにキャスターのついた椅子で動きながら作業しているのだと思う。端的に時計で表現されるだけだが、かえってその削られた表現が無駄の無い動きの良さを出しているように思う。

三首目の奥歯を磨く男の子は、きっと奥歯にいくにしたがって口を大きく開けてゆくだろう。それにともなって眉毛も上がってゆくのだなと、これは現場の人でないと気づきにくい発見の歌だ。

一呼吸おいて外線4を押す(しなりすぎれば折れるぞ竹も)

何もかも捨てたい夜に検索すハローワークの求人〈僧侶〉

仕事の歌には苦い歌もある。一呼吸おいて出る電話は良い報せのものでは無いのだろうし、今の境遇が嫌になって開放されたい、その極論としての〈僧侶〉検索なのだろう。半分冗談、半分真顔な声音で詠う。

頑固などとうに過ぎたる娘なり父の桂馬に歩を進めたり

にがうりの種こぼれたり今月も帰れなそうと母への文に

たまに来ておかわりをして昼寝して食器洗いておとうと帰る

家族の歌はそれぞれの関係性がよく出ている。テンポ良く駒をすすめる父に対し、じっくり取り組む「歩」の娘。母との歌は食べ物を間に挟まれることが多く、それがまた故郷のあたたかさを表現している。弟に対しては観察めくが、関係性は良さそうだ。

家族像は、時代や環境のなかで揺らいでゆくものだろう。それは、生まれ育った家族とはまた別の、個々で築いてゆくものだから。

なぜみんな家族になりたがるんだろ柿の若葉の露に触れつつ

「そこは聞かないでおくか」をふたりともバッグに入れる月を見つけて

個人年金の話をする友人との会話に、人生のこれから先を誰もが模索がしていると思いながらも聞かずにおくこと。そんな心の機微も、会話体にすることで等身大の歌になっている。

割り勘でいいんだけれど繋がない手だしリュックのベルトを握る

太らないアイス噛みおり「あー」と言い前歯をすぅとさせたるきみと

しゃべったり黙ったりして春の空さびしかったら一緒にいない

ドーナツのように話をするきみに餡ドーナツを投げ込んでやる

恋の歌がまたいい。説明しすぎたら野暮になりそうだからしないけれど、前歯の描写が歯科に勤める人ならではの視点なのだろうと思って微笑ましかった。

ほんとに良い歌がたくさんあって、食べ物の歌もとても良くて、お腹が空いた。あとがきの炭酸まんじゅうのくだり(三枝先生の返しにやられた!)も併せて、ぜひとも読んでほしいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?