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『雛罌粟(コクリコ)の気圏』

和嶋勝利さんの歌集を読む回③です。

第三歌集『雛罌粟(コクリコ)の気圏』(2009、ながらみ書房)は、第二歌集から9年経っての刊行で34歳から43歳の頃の作品が収められている。転勤で住まいが変わったことにより、それぞれⅠ千葉・館山篇、Ⅱ東京・日本橋篇、Ⅲ大阪・北浜篇の三部構成になっている。

まずは仕事の歌から。
襟飾(タイ)むすぶ少数派にてこの日常海辺や牧場の詩と刺し違え
商談に鰹をさばくぎらぎらとああ目障りな出刃包丁め

館山篇からの二首であるが、ここでは一次産業に従事する人が多い地域であることが窺える。〈襟飾〉の歌にはこの場所での違和感を打ち消すような気負いがある。そんな中での商談は、都市部ならば対座して個室で対応されそうなところだが、二首目に詠われている情景は、作業の片手間に相手が聞いているといった格好だ。第三句の〈ぎらぎらと〉が鰹と出刃包丁の両方にかかり、ゆるやかに繋いでいるが、場の妙と相手との微妙な間合いのようなものが感じられて、下の句にある、対話が出来ていないことへの苛立ちが際立つように思う。

 (詞書)相場に「夏帽子は冬に買え」という言葉あり。
格言の〈夏帽子〉とばされぬようおさえて覗く火口やあらむ
季節ものの株はシーズンオフに安く買っておけという格言があるそうで、そうはいっても、予想外のことが起こるのが株なのだろう。その前の歌が、
〈暴落(クラッシュ)〉に生きながらえし者に来る余暇、四日目の髭剃るわれは
とあり、やはり株価は生き物といった感がある。夏帽子の歌は詞書で株のことを指しているのはわかるが、登山して火口を覗くようなスリルになぞらえているのがいい。
このころは、失踪した同僚の後任ということで、本社に戻ってきている。

兜町を去る寂しさも胸突きの八丁掘の夏あなうつつ
本社の移転に伴った歌。胸突き八丁の言葉にかけて八丁堀とつなぐところが面白い。胸突き八丁は山場とか正念場であるから、寂しさも、夏の暑さも盛りということかと読む。

異議はあるあれどかくまで駆け引きの仕事(なりわい)なれば撓む弁明
迷えるはわが常なればこの度は半手仕舞いを仕掛け呻吟

株のことはよくわからないが、必ずお金が絡むので苦労が多いのだなと思う。半手仕舞いは、株で利益が出ているときに売るかどうか、もう少し様子を見るか迷う局面において、半分売って半分キープするということのよう。長年従事していても、そのタイミングを推し量るのは難しいのだなと、そんなことが窺える。

この歌集に流れている時間のなかで、最も大きな事件は9・11のアメリカ同時多発テロ事件だろう。
て・て・つ・つる・つれ・てろる煉獄へ左(ひだり)旋回してゆく旅客機
大魔王がくしゃみするとき悲鳴あり あらびん・ちゃびん・はげちゃびんらでぃん
火器の香と刺し違えるかに金木犀空ある限り翳さすところ

助動詞「つ」の活用を言い、命令形の「てよ」が「てろる」に変化していく上の句の言葉遊びから急に眼前に映像が迫るような、まさしくイメージの旋回が起こっている。あの映像を見たときの「わけのわからなさ」のようなものが、この歌で再現されているように感じる。
二首目も同じような作り方であって、ハクション大魔王を連想させながら、首謀者とされるビンラディンの髭へとイメージが切り替わる。
三首目、私は北海道なので金木犀の香りがわからないのが悲しいところだけれど、秋に香る金木犀の強い芳香とオレンジの花弁がきっとこの季節の空を覆うものなのだろう。同じひと続きの空でありながら、という思いがこの歌の言いたいところではないかと思う。

第三歌集での大きな変化は、結婚生活と子どもの登場だろう。
人里に椿は咲けどまだ見えぬ目白来い来いつがいの目白
極北にあてし刃はくきやかに林檎剝くとき妻の胸向く

どちらの歌も、結婚という変化によって見えたものを詠っているように思う。目白を待つのもつがいの目白であること。林檎の皮をむくとき、刃物を持つひとの胸へと刃が向かうのは自然なのだが、相手がいることで見えてくるようになった景色のように思う。

吾に抱かれ湯浴みするとき声あげてあくびしているこは何者ぞ
乳飲み子がいる風景の部屋ならむああ原色がちらかっている
アナキンはダース・ベイダーとなるなれど子よ生き物を愛して憎め
星図には天馬の翼みえざれどあるらむ子の背にあるがごとくに
水に遊ぶエトピリカを見せみずからを妻ははじめておかあさんと呼ぶ

妻や子供を詠う時、ぜんぜん構えることなく自然体な歌になっていることがわかる。どの歌もいいけれど、特に最後に挙げた歌などは、夫の立場から妻が母としての第一声を捉えていて良かった。

この他、こんな歌にも惹かれた

柚子風呂の湯気をはなてる男ひとり寄り目して切る前髪一本
〈天皇〉という楽団(バンド)名のなき不思議「Bohemian(ボヘミアン) rhapsody(ラプソディ)」くちずさみつつ
真帆片帆降ろせる沖の帆船をたまきわるわが裡にも置きて
一つ家に女男それぞれの春霖の窓 あした咲くことばを研ぎぬ
あゆみよる樋口一葉 無心して相場張らむとせしことを知り

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慣用句から発想の糸口を掴んだ歌なども多くて、意味を調べつつ理解を深めた。
自分に相場の知識が無くて、わかりきれてない歌もある。うう…。

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