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【エッセイ】言葉のない優しさ

優しさと残酷さは表裏1枚のコインだ。
それがすごい速さで回転していて、
迂闊に触れると指先が切れる。
誰かが救われるとき、
その影で誰かが泣いている。
思いやりというものは、
例えば、悲しんでいる人を見たら、
声をかけて、手を差し伸べることが、
最善だと考えていたが。
最近は少し違うのかなと気づいた。

きっかけは恋人のフェイと過ごしているとき、
パーティについての話題になり。
彼女は「私はパーティで楽しいときは、
あまり楽しいと言わないようにしているの。
パーティがつまらなくて楽しめなかった人が、
それを聞いたら悲しむと思うから」
という意見を言った。目から鱗が落ちた。
真心ってそうゆうことだと思う。

考えてみれば僕も人見知りで、
パーティに誘われても。
隅で一人で飲んでいることが多い、
そして踊ったり騒いでいる、
楽しそうな人達を眺めて。
ボーっとしているけれど。
本当は心が傷ついているかもしれない。
疎外感を感じていたり、
場から浮いている自分を恥じたり。

フェイはそうゆう人に積極的に、
声をかけるタイプで、だから僕らは出会った。
言葉は諸刃の剣のようなものだ、
繊細で壊れやすくて頼りない。
時には何も言わないことで。
人を抱きしめることができるんだ。

僕はフェイに出会って、
言葉と行動に関しての価値観が変わった。

話はちょっと変わるけど、
無言の優しさを感じたエピソードをもう一つ。
僕は15年間ほど音楽活動をしていた。
(現在はコロナで中止している)
バンドを組んで歌ったり、後半は弾き語りだった。

月に2~3回は東京でライブをしていて。
その夜は下北沢のライブバーで、
歌うことになっていた。
久しぶりに地元の群馬の友達Kが、
ライブを聞きにやってきてくれた。
たった30分の演奏の為に、
足を運んでもらって悪いなと思った。
でも素直に嬉しかった。

本番前にKや他のお客さんに挨拶をして、
精一杯のライブをした。
でも歌詞が飛んだり、ギターのミスもあり、
あまり良い出来じゃなかった。
申し訳なさと情けなさの飲みこんで、
中華料理屋での打ち上げに、
Kも誘って、久しぶりに酒の飲み交わした。
ロックバンドや映画の話をして、
普通に楽しく盛り上がった。

「じゃあな、またライブ見に行くから」と言って。
Kは終電の乗り群馬に帰った。
ずいぶんあとになって、
人づてに聞いて知ったのだけれど。
その日、Kは東京まで来る電車賃が足りず、
大切にしている釣り竿を売り、
ライブを見に来てくれていたらしい。
電車賃だけじゃなくて、
チケット代もドリンク代も払ってくれた。
そんなこと打ち上げで一言も言わなかった。
僕は事実を知った時、少し泣いた。
ひどいライブを見せてしまったことを、
ものすごく後悔した。

こうゆう悔しさや嬉しさというのは、
一人じゃ気づけないものだ。

Kの優しさとは貸しを作っても、
それを口にしないという男らしいものだった。
なかなか真似できるものじゃない。
僕はその優しさを、
どうやって返せばいいのかなって、
ずっと考え続けている。

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Mei&Me(原題:僕と笠原メイ)
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