人も木も、根を張ると動きたくない
僕がいま住んでいる茅ヶ崎という町は、東京ほど人がいないので、近所を歩いているとたいてい誰か知り合いに会う。
この「歩いていて知り合いに出くわす度合い」みたいなものが、その街での暮らしやすさの大きな要素になっていると思うのだ。
くわえて、あそこに行けばあの人に会える、みたいな、もう少し確実性の高い出くわし度もある。たとえば、仲のいいお店の人とか子どもの学校の先生とか、いつも挨拶をする交番の人とか。
この二つの度合いを足した数がある範囲に収まっていることが、暮らしやすさには重要なんじゃないか。つまり多すぎても少なすぎても、心地よくないのだ。
その点、今僕が住んでいる街は、僕にとってちょうどいい出くわし度合いを保っていると思う。
前に住んでいた沖縄は、今よりもう少し街での出くわし度合いが低かったけれど、代わりに僕がお店をしていたので、友だちが定期的に遊びに来てくれてトータルとして心地のいい範囲に収まっていたのだ。
愛知の実家に母が一人で暮らしている。高齢なのでいろいろと心配もあり、何度かこちらに引っ越してこないかと打診したことがあるのだけれど、そのたびに断られてきた。
考えてみれば彼女は彼女で、長年かけて作り上げた心地のいい環境があるのだ。年をとってから新しい場所で、それをまた一から整備していくのは気が重いに違いない。息子が近くに住んでいれば楽だろうとか、そんな簡単な話ではないのだ。
そこに根を張って枝を伸ばしてきた木を、それに集まる鳥や虫なんかを無視して、幸せに移動させることはできないのだ。
これはこの前書いた記事。大きく育った木をどうにかするのは心が痛むものです。
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