6/15長屋門さきがけ塾 講談「天誅組」
2024年6月15日、五條市立民族資料館が主催されている「長屋門さきがけ塾」の2回目に行ってきました。
今回は講談師 四代目 玉田玉秀斎さんの講談「天誅組」でした。
前半は会場の皆さんが書いたアンケートを元にお話をしてくださいました。
玉田家は安倍晴明と菅原道真公の講談を代々されているそうで、それはそれで興味深いです。
150年の時に作られた保山耕一さんの天誅組の映像作品にも登場されていらっしゃったそうで、いろいろと繋がりました。
後半はアンケートに出てきたことも織り交ぜながら本格的な講談が始まりました。
一気に空気感が変わって驚きました。
今まで天誅組関係の講演会にいろいろと参加してきましたが、私は初心者中の初心者なので、今回の講談で全体の物語像がやっとはっきり分かりました。
尊王攘夷運動の始まりや大和行幸の詔から東吉野村で天誅組が壊滅するまでお話くださいました。
天誅組について知りたい方全員に聞いていただきたいと思いました。
いろいろあって高取城の戦いで敗れましたが、もし勝利していたならどうなったのかな?と思いました。
また、吉村虎太郎がそこで傷を負わなければその後が変わったかもしれません。
少ない軍勢なのに決死隊作戦により、中山忠光が下関まで行くことができたのはある意味奇跡だなと思いました。
中山忠光の「若気の至り」という言葉がよく出てきましたが、天誅組に参加中の忠光はどんな様子で、皆はどんな風に思っていたのか興味深いです。
今回印象に残ったのは、「外からの立場で歴史を語ることが多いけれど、地元の者の熱が大切だ」というお話です。
知らない間に歴史的価値のある建物が壊される危険性があり、東吉野村でも起こっています。
よく分からない石は、それが何かを伝える者がいないと地元の方々に伝わりません。
東吉野村は村人の多くが天誅組のことをあまり知らず、史跡の近くに住んでいらっしゃる一部の方が熱心という現状です。
しかし、天誅組終焉の地東吉野村には多くの志士たちの戦死地の碑があり、お墓もあります。
実際に志士達の生き様を感じることのできる貴重な場所です。
こんなに素晴らしいものがたくさんあるのに、村内の人々にあまり伝わっていないのは残念です。
私は若い世代へと繋げ、自分が死んだ後も天誅組が大切に後世へと語り伝えられ、史跡が守られるよう、人生をかけたいと強く感じました。
天誅組の精神「一心公平無私」を私も貫きたいです。
次回は9月14日(土)で講師は山口高史さんです。
テーマ「大和日記」の変遷と「謎の男」西田仁兵衛の行方
山口さんは東京にお住まいで、今回遠方より参加されていました。
先日は東吉野村にお越しくださいました。
久しぶりにお話できて嬉しかったです。
次世代の天誅組にとってとても大切な方ですので、ぜひ皆様ご参加ください。
申し込みは五條市立民族資料館まで。