17年ぶりにウェブ進化論を読んで考えたこと。
酷暑見舞い申し上げます。Higashiyamaです。
先週はこんな記事を投稿しましたが、ウェブ進化論の内容そのものにはほとんど触れませんでした。
が、読み返して感じたことはいくつかあったので残しておきたいと思います。
こちら側とあちら側
リアル世界のこちら側と、ネットの世界のあちら側という考え方。ウェブ進化論の中では、"技術進化や付加価値創出が「こちら側」から「あちら側」へパワーシフトしていく"といったような論調で話が展開されました。すなわち、ネットの世界が重要になっていくんだと。
果たして今ではOnline merges to Ofline(OMO)という言葉もある通り、ビジネスにおいてはリアルとネットの世界を「こちら側」と「あちら側」という形で分断せず、融合した世界として捉えて「リアルとネットを横断して一貫した顧客体験を提供する」ような取り組みも増えています。どちらが重要ではなく、どちらも重要だということですね。ネットの世界では実現できない、リアルならでは価値提供もあるわけで。
個人的にはOMO的なこの考え方、多様なライフスタイルに寄り添えていないのではないかとも感じている今日この頃です。
どういうことか?
自身と化身
「こちら側とあちら側」という区別の代わりというわけではないのですが、「自身と化身」という考え方が大事になるのではないかと。
リアルの世界に根ざす「自分自身」としての体験は、リアルとネットが融合した世界観のもと、こちら側とあちら側で一貫した顧客体験を享受できる方向で進化してもらって良いのです。が、「自分の化身」としての体験は「あちら側だけに留めたい」というニーズがあるんではないかということです。
例えばメタバースの世界では、現実世界の自分自身とは全く紐づかない名前や姿形、振る舞いをするユーザーが一定数存在します。むしろ本名を明かす方がマイノリティかもしれません。
VTuberも同様ですし、広義には、本名を晒さず、顔も明かさないSNSユーザーもこの括りに当てはまると思います。
このような「あちら側だけ」の存在としての活動を望むユーザーにとっては、「リアルと紐づけられた一貫した顧客体験」というのは傍迷惑でしかないのでは?
と思うのです。
ないぞ実現性。あるぞweb3の可能性。
リアルであれネットであれ、購買をはじめとした経済活動を行う際には、本人確認やプライバシー情報の開示が一定求められますが、このようなニーズを踏まえると、リアルの世界のプライバシー情報は何一つ開示しなくとも、ネットの世界での存在としての情報提供だけでサービスを享受できる世界観が求められるようになるのではないかと考えています。
法制度、詐欺やマネロンなどのリスクに鑑みると実現のハードルは極めて高い理想像ですけれども、ウォレットとかDeFiとか夏の魔法とやらの力で、もしかしたらもしかするかも?
と思ったのでした。
書き出したら一つ目のトピックだけで1,000字を超えてしまったので、続きはまた別エントリーで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?