忘れえぬ街
もうすぐ一年の3/4が終わろうとしている。
人間の記憶はあやふやなところが多く、1月から3月あたりの、当時はすごく驚いた出来事でも、多分今となっては思い出せないことが多々あるのではないかと思う。
ただ、1月1日の能登半島地震、2日の羽田空港衝突事故、年明け続いた出来事は、大部分の人がしっかりと記憶に刻まれている事だろう。
私が年明けで、悲しく言葉を失った出来事は、翌3日の出来事だ。
この辺になると、無関係な人は忘れ去っているかもしれない。
──数年前の夏。
新幹線の改札口を抜け、近代的な駅舎を外に出ると、かすかに潮の香りがした。同時に、肌にベタつく空気が顔をかすめ、髪の毛が急に重くなる感じがした。
東京から飛行機・新幹線と乗り継ぎ約3時間、九州北端の街に仕事で来た。何度も来ているとは言え、乾燥した乗り物で過ごした後の海辺の街は、暑さと湿気に弱い私には手強いものだった。
とは言え、ここに来たら食べたい「焼きうどん」を楽しみに、一日の仕事を終え、新たな店探しの散策へと街へ出かけた。
魚町銀天街の飲食店が並ぶ中に、黄色い縦看板が目に入る。
『鳥町食道街』と書かれた看板の下の入口を入ると、大人三人が並べるかどうかの細く狭い路地に、昭和の香りが漂う飲食街がぎっしりと並んでいる。
匂いそのものも、気のせいか、すえた匂いが漂っていた。
白色蛍光灯のみで照らされた飲食街の店々には、赤ちょうちんや暖簾、メニューを掲げた看板、ショーケースが雑多に配置され、店内からは賑やかな声が聞こえる、とても活気のある大好きな街だった。
飲食街の中ほど、通路が軽くクランク状に曲がる。
その曲がったあたりに、一軒の喫茶店がある。
入り口のドアからは店内を伺うことはできない。
外に掲げてあるメニューのみが、そこに「焼きうどん」があることの頼みの綱だ。
ドアを押して入ると、年配のお母さんが一人、カウンターの中で待っていた。内装も外観同様、古めかしい。
しかし、そこで流れている曲が私の意表をついた。
焼きうどんを食べながら聴く、アートブレイキー&ジャズメッセンジャーのナンバー。ジャズらしく、店はとても混沌とした雰囲気。少しスパイシーな味付けが大変美味しく、明日の朝からもまた、一日頑張ろうと思った。
──2024年1月3日。
その飲食街がすべて焼失した。
ニュースを見た時、愕然とした。
最後に飲食街に行ったのは、2023年10月。
たまたま持っていたGoProで、その日の様子を撮影していた。
動画を見返すと、今でも脳裏に活気が甦り、いつも通り、賑やかな声が聞こえてくるのではないかと錯覚する。
忘れることはないであろうこの街。
過ぎ去りし日は、二度と戻ってこない。