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言葉を作る力
晴れているかと思えば、ザッと雨が降る。
降ったかと思えば、陽が射してくる。
その繰り返しが続いた東京だった。
東京・地下鉄人形町駅に近い、日本橋小舟町・小網町は、江戸時代、日本橋照降町という町名だった。
「てりふり」と読むのが一般的だが、「てれふれ」と、もしかしたら実際の江戸の人々はそう読んでいたらしいとも言われている。
私は、この昔のネーミングセンスを非常に気に入っている。
まさに名は体を表すであり、最小限の漢字文字数で的確にその場・事象を表現している。
地名の他にも、自然・気象・感情などもそうだ。
この照降町は、何も晴れたり雨が降ったりするからではない。
当時、下駄と傘を一緒に売っている店がこの界隈に多く、晴れた日に使う下駄と雨の日に使う傘が一度に揃う町として、照降町となった。
ならば、晴雨町、駄傘町でも良いのではないかと思うが、直接的過ぎて感覚的にわかりにくい気がするし、字面的にも語感的にも劣っている。
今は、下駄と傘を売っている店などなく、照降町といっても実態に合わないのは事実だ。
それにしても、失くしてしまって、あまりにももったいない。
文字一つ一つの深い意味を知ることと、感情・情景を汲み取る力があってこそできる言葉。
およそ現代のような、見た目と響きさえ良ければというだけでは、人の心を打つことはできない。
どうせ今の東京は、ゲリラ豪雨で、ザバっと降って、また晴れての繰り返しなのだから、それこそ照降町の使い時だと思いながら、日本橋室町を仕事を終えて歩いていた。