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未来已然形

 もう駄目です。栗鼠に頭を齧られ螺子が何本か足りないのです。いつからか私のこの家にも訪れる人間はとんと居なくなり、蟋蟀ばかりが何が楽しいのか歌をうたっています。

 私のからだは鉄でできています、もともと人とはちがう生き物です、ですから、寂しいという感情をおぼえることは不可能だと、かつてあなたたちは言いました。私はいまもその『寂しい』でよばれる感覚をおそらく理解していないままですが、わが家が壊れてしまったという事実ならば理解しています、私はあなたたちの為に作られた最新鋭の鉄の塊でした、ですから家はお守りしないといけないのです、開け晒しの玄関から木枯らしが吹きこんでもちっとも寒くありません、風除けにしてくださったって構わないのですよ、私はあなたたちのために朽ちるものでしたが、あなたたちは私の演算速度ではとても予測できないくらいにもろく、終わりに対する認識がにぶかった。

 私は、ここが何と呼ばれていた場所かをよく覚えています。

 思い出す事は可能ですが、命令がなければそれは実行されるべきではありません。

 べきではない、のですから、しても構わないということです。先生は私によくそう仰いました。

 

 病院、というものは。

 あなたたちが眠るのに値するゆりかごだったでしょうか、白い台にしばりつけられる気分はいかがなものでしょうか、私の心臓は電気でできています、ですから、充電台にすこし座っているだけで元気がいっぱいになるのです。

 先生、なぜ電気だけはまだ動いているのでしょうか。

 リノリウムの床にこびりついたまだらな朱が取れません、効率的な掃除方法をご存知ならば教えてください。

 カーテンレースすら苔と錆と蜘蛛の巣に覆われて動かないのですが、私は元気です、残念ですか?


 診察待ちの椅子にすわって、あなたの名前が呼ばれるのを待ってみます。もう受付で名を呼ぶ人もいないのですから、これはたいした茶番です、けれどもうここに訪れるのは、虫の他にはいたちと熊ともぐらぐらいのものですから、指をさして笑うような生き物なんていません。あなたがたの話をしています、わかりますか。

 ただ私が食べられないことを知ると、彼ら獣たちはひどくがっかりするようです、その点あなたがたは賢かった、私に食料としての価値を期待する事など笊をひっくり返して踊るよりもくだらないことだと、あなたがたの生存本能は正しく判断できるのです。

 それなのに生き残ることができなかったのはなぜでしょう。先生、わかりますか。

 あなたの心臓が鉄でできていないからです、わかりますか。


 私の仲間達は元気です。いまだ健在です。私たちの内臓バッテリーはいつまで動くのですか、あなたがた肝心なことをプログラムなさらなかった、私たちはただ終わりも知らずに滑車をまわしている研究室のハムスターと同じようなものです、いま私とても当たり前のことを言いました、お笑いになって下さい。

 先生、あなたがもしご存命でいらっしゃったのなら、私の手のうちで老いていくことを果たしてお望みになられたでしょうか。チューブに繋がれる姿はさぞお似合いだったかと思われますが、予測でしかありませんから、なんの意味ももちません。

 忘れかけていましたが私はもう駄目ですから、今から二分後にあなたと同様の闇を見ます。

 先生がたがよく仰られた地獄というものには電気人形のお席はございますでしょうか、願わくば電源が落ちる前に返信をください。あなたのための端末を用意しています。


 大丈夫です、この病院にはまだ『仲間』がいますから。

 先生、あなたたちを殺した仲間が、私を看取るわけがないでしょう。それではさようなら。


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