僕はただ静かに眠れないだけ
「大丈夫」って君は言うけど、何が?
僕からしたら大体なにもかも同じ。だから今、君に言うべき言葉を頭の中で考えている。
心は裏腹でも身体は動くし、今日も夜が来る。大丈夫だよ、僕は君がしきりに繰り返すその言葉を、信じることができない。本当はどうでもいいから、いつもそんなことしか言えないんだろう。
誰も彼も気持ち悪いから、いいかげん傷つけてやりたかった。君のことなんか嫌いだと、はっきり突きつけてやるつもりだったんだ。けれど口から飛び出したのはまったく違う言葉だったから、僕が一番驚いている。そんなつもりじゃなかったはずなのに。
いつだってそうだ。僕は僕のことを一番よく知っているくせに、ちっともわかってくれやしない。欲しいものなんて一つもないくせに、欲しくないものばかり溜まっていく。捨てたらきっと火傷してしまうから、火種は見ないようにして、ただひたすら凍っていてくれと考える。いつかそれがまとめて溶けてしまえばいいと、静かに願いながら月を見る。
大丈夫。君を疑うのと同じぐらい、君なんか嫌いだと言い聞かせている。けれど君は平気な顔をしているから、結局今日も、僕は一人で眠る。もう随分前からずっと。そうやって目を閉じても、眠りは僕に無愛想なんだ。あいつは君を好いているようだから、すぐにどこかへ行ってしまう。
夢を見る。
ほら、大丈夫じゃなかった。
知らない街の真ん中にひとりで立たされたから、僕は空を見上げる。見上げた空には凡庸な月がある。
黄色い穴が開いたみたいだ。空にはぽっかりと穴が開いていて、真っ黒な雲がその奥に浮かんでいる。
何かをしなくちゃ空に落ちるような気がするのに、梯子も脚立も外されたから、僕は、黙って月を見ている。月が笑う。やっぱり、と僕は思った。誰かの光を浴びて生きている君はとてもみにくい。
「大丈夫じゃないんでしょう。ねぇ、泣いてよ」
「泣かないよ」
「嘘つき」
君の言葉が耳に届くと同時に、指先が冷えていく。身体の内側だけが熱い。視界の端に銀色がちらつく。あの、銀の鍵のかたちをした、小さなナイフ。
ああ。それはだめだよ。
そのナイフを手にしたなら、もう夢は終わりだから駄目だ。使ってはいけない。それはだめなんだ。
だって君がいる。君の身体の中にいるじゃないか。僕が見ているんだからわかるんだよ。夢の中の僕はさっぱり言うことをきいてくれない。今日も君はナイフを手にした僕に笑いかけるだけだ。何もかもわかったような顔で。
「さよなら」
君の喉元から声と黒い霧が噴き出した。間もなく視界は闇に包まれる。誰の顔も見えなくなったら、すこし安心した。
目が覚めると君がいた。
僕の手が届く場所に立っていた。けれど、君でないものがそこにあった。
君は僕を見ていない。僕は君が見ているものを知っていた。
銀の鍵のかたちをした小さなナイフ。刃は鋭く尖っている。君が笑った。僕も笑った。
大丈夫なんて言わないほうが、君はずっときれいだ。