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魑魅魍魎

 困った。あまりにも困ったので『私……漢検に挑戦したい。だからあなたとはもう付きあえないの』なんて適当な台詞で終わるんじゃなかった。
 先月も同じことを言っていた気がするのだが、連載の締切が目前に迫っているのにもかかわらず、びっくりするほど続きが浮かばない。執筆用のテキストエディタは何度見ても驚きの白さだった。
 出だし二行、相手の男が「な……なんだって!?」と目を見開いているところだけ書いてあるのがやけにリアルだ。
 「黒田の小説の登場人物すぐ『なんだって』って言う」と酷評していた知らん奴を思い出した。何がなんだってだ、こっちが聞きたいわ。

「黒田先生、あの台詞はどういう意味なんですか!?」
「深い……まさかこんな展開になるとは……黒田やはり天才」
「すごく斬新です。まさかヒロインが恋人を捨てて漢検に挑戦するなんて!」
「いったい過去になにがあったんですか!? まさか、主人公が『ねえ、あなたは憂鬱って漢字をなんて読むの?』って尋ねた、あのシーンは伏線だったんですか……!?」

 この苦し紛れに書いた台詞がネット上で話題になり、SNSでそう言われるたびに、私はひきつった笑みを浮かべながら適当なリプライを返していた。意味なんてあるわけねえよ、たまたま通販サイトの広告で漢検の問題集が目に入っただけだったんだから。
 私は白紙の原稿を見つめた。
 念力でなにか神的な神展開が書けないだろうかと思って、念じてみた。
 やはり無理だ。私こと、黒田正気の小説家としての才能は枯渇した。いや、最初からそんなものはなかったのかもしれない。

 途方に暮れた私は、デビュー当時からの付き合いである同期の作家、白倉に連絡をとってみることにした。最近の作品の売れ行きを見るに、奴も苦しんでいるはずである。
 白倉は妙に明るい様子でチャットに応じた。
「おお黒田。先月の『暫時の瞬間』読んだぞ。いやあ俺もびっくりしたよ……まさかお前が今もっともトレンディなあのチャレンジの火付け役になるなんてさ……先行かれちったなあ」
「あ? なんだって?」
「おいおい~今さらしらばっくれんのはナシだぞ? 今、ネット小説家のあいだで『繊細な心理描写で売ってきた恋愛小説の主人公が突然漢検に挑戦する』っていう展開から、どれくらい斬新な話が書けるかにチャレンジするのが流行ってんだろ」
 なんだって。知るかよそんなの。
 私は驚いて、胃が痛くなるので見ないようにしていたネットニュースを読んで回ったが、どうやら本当らしい。
 誰も彼もが黒田正気のパロディ小説を書いている……おお、なるほど、主人公の実家は由緒ある活版印刷工場で……やがて校正者となった恋人とともに工場を継ぎ伝統ある技術を守……違う!!!
 俺はこんな話が書きたかったんじゃない!!
 俺が本物の黒田正気だ、誰もが度肝を抜かれる圧巻のラストは俺にしか書けないはずだ。だが、ありとあらゆる答えを先行者たちに踏み潰された俺には、もう見たことのある話の継ぎ接ぎしか思い浮かばなかった。
 最後に、こんな形だが話題になっただけでも良かったのかもしれない……そうして黒田正気は筆を置いた。作家生活など夢の夢だったのだ。連載は爆発オチで終わらせておいた。そこそこ売れた。

 そして一年が過ぎ、今年も桜の季節になった。
 一発屋の名を欲しいままにした元黒田正気は、今日もしがないサラリーマンとして出勤し、電車にゆられ、疲れきって帰宅する。地下鉄の広告で白倉の名を見た。奴はまだやる気なのだろうか。
 心の傷もようやく癒えてきたころだ。私は、当時の騒動をあらためて振り返ってみることにした。
 黒田正気の小説を最初におもしろコンテンツとして扱いだした奴が、ニュースサイトでインタビューを受けていた。
 私はその記事を読み、真相に愕然とした。

「いや、黒田先生の『暫時の瞬間』があまりにも衝撃的だったのでね、ちょっと乗っかってみようと思ってやっちゃったんですよ。そうしたら、予想外に流行っちゃって……なにがバズるかわからないのがSNSの面白さであり、怖いところです(笑)。俺の『田んぼの田の角で人を殴り殺す』っていうミステリーは、なんていうのかな……シュールすぎて賛否両論でしたけど、素晴らしい作品もたくさん生まれましたよ。盟友には感謝してもしきれませんね(笑)。」

 私は怒りのあまりパソコンを机の上からふっとばした。パソコンは壁に激突し、大破し、どうしようもない虚無感が襲ってきた。
 もうなにも見たくなくてベッドに倒れ込んだが、今まで私を持ち上げていた、たくさんの人々の嘲笑が聴こえてくるようで、その日は寝つけなかった。
 当時の私は締切に追われ、カレンダーの日付すら数字としてしか見ていなかったようだ。
 白倉が取材を受けたインタビュー記事に、奴のパロディ作品の紹介が載っている。

 投稿された日付は、4月1日であった。

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