【考察】なぜ年をとると涙もろくなってしまうのか。
年々涙もろくなっていっています。
学生時代は映画館で泣く事はほとんどなかったですが、今は泣けるという触れ込みの作品で泣かない事は少なくなりました。
スポーツを観ても今はすぐ泣きます。
高校スポーツも、五輪も、パラリンピックも。
試合中はおろか、リアルタイムで追っかけていなかったスポーツのダイジェストでも。
毎年行われていて、ずっと観ていたプロ野球でさえ、ちょっとしたシーンで目が潤んでしまいます。
テレビやラジオで著名人がみんな「年取って涙もろくなった。」と話していたし驚きはありません。
そして、こんなにも涙もろくなった理由は「加齢」でしかないと思っていました。
人生の先輩がみんな涙もろくなった、というので自分もそうだろう、と。
白髪が増えたり、老眼になったり、新陳代謝が衰えたりするのと同様に涙が出やすくなっているのだろう、と。
でも最近は少し違う解釈をしています。
経験した事が若い頃に比べて増えたからこそ泣く事が増えているのではないか、と。
それを感じたのは映画『ルックバック』を観た時。
この映画を観た方が「開始5分でもう泣ける。」とSNSで投稿していて半信半疑だったのですが、たしかに開始5分で泣いていたかもしれません。
とはいえ、その涙は映画の登場人物への感情移入でも、ストーリーへの没入でもなく。
ただ自分がかつて覚えた、涙が出るほど苦しかった、悲しかった、悔しかった、辛かった、嬉しかった感情の移ろいや動きを、映画の登場人物のちょっとした所作や表情が浮かび上がらせてくる。
それが涙になって流れてくる。そんな感覚です。
スポーツを観ての涙もそうかもしれません。
僕は高校野球をやっていた訳でもないし、国の代表としてスポーツをした事もない。同じような体験をした記憶はありません。
でももう二度と帰ってこない、後悔してもしきれない行動や経験はいくつもあります。
それは仕事においても、人間関係、恋愛においても。
もっと努力しておけば良かった、なんて想いが頭の片隅の片隅にずっとありながら過ごしていて、ふとその片隅にある出来事が何かをトリガーに頭の中央に戻ってきて、あの時の感情を追体験するような、そんな感覚。
それが涙に繋がっているのでは?ふとそう思いました。
『ルックバック』の中には、僕の頭の片隅の片隅にあったコンプレックスと青春と諦めやらが様々な形と、色んな角度で、やってきたので、58分間、ほとんどずっと泣いていました。
人間がなぜ感極まって泣いてしまうのか、科学的に解明されてない、と聞いた事があります。
なので、今書いた事はなんの根拠もないし、そもそも科学的な話でもないのですが…。
もし僕自身の最近の涙もろさが、培ってきた経験によって生まれたモノなのだとしたら…
これまでの人生悪くなかった気がするし、これからの人生も、もっともっと涙もろくなれるような経験をして強くなりたいな、と思う次第です。
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