【児童文学評論】 No.320 2024/10/31


 http://www.hico.jp

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オランダの子どもの本こぼれ話(10) 
                     野坂悦子
急に気温が下がり、秋の訪れを実感するこの頃です。さて、今回は予告通り、奴隷制がテーマの児童書を何冊か紹介します。でも、なぜオランダで今、奴隷制をテーマにした児童書が注目を集めているのか?と思われる方もあるでしょう。2022年12月19日、当時の首相だったマーク・ルッテが、奴隷制への謝罪を表明する演説を行ったことは、皆さんのご記憶にあるかもしれません。まず、オランダ政府の公式HPを参考にしながら、奴隷制に対する意識の変化について少し説明します。
https://www.rijksoverheid.nl/onderwerpen/discriminatie-en-racisme/slavernijverleden/slavernijverleden-koninkrijk-der-nederlanden

19世紀、欧米では奴隷制度廃止運動が大きなうねりを見せ、アメリカでは南北戦争のさなか、1863年、リンカーンが「奴隷解放宣言」を発しました。オランダでも同年7月1日、スリナムとカリブ海諸島のオランダ植民地における奴隷制度が法律で廃止されます。300年以上もの間、大人も子どももアフリカ各地から誘拐され、劣悪な環境のもと、旧オランダ植民地(スリナムやカリブ海のアルバ島、ボネール島、キュラソー島、サバ島、シント・ユースタティウス島、シント・マールテン島など)に送られていたからです。オランダの植民地にもともと住んでいた人々も、奴隷にされました。アジアで奴隷にされた人々が東インド会社(VOC)管理下の地域で取引され、カリブ海に送られることもありました。人々はそこで、何世代にもわたり、砂糖やコーヒーなどの生産物を栽培するプランテーションでの奴隷労働を強いられていました。農園主側の損害を抑えるため10年間猶予された後、オランダで奴隷制度が実際に廃止されたのは、1873年のことでした。

「奴隷制度のおかげで、オランダは世界的な経済大国に発展することができた」政府のHPには、悔恨をこめてそう明記されています。そして奴隷制廃止から150年目にあたる2023年7月1日より1年間を、オランダは「奴隷制の歴史記念年
(Herdenkingsjaar Slavernijverleden)」と定め、政府レベルでも市民レベルでも様々なイベントが開催されました。

「奴隷制の歴史記念年」紹介動画には、こう説明があります。
「……私たちはオランダの歴史のこの部分について、あまりにも長く語ってこなかった。遠い過去を思って、今、行動を起こすのはヘンだと感じる人もいるかもしれない。しかし、人々は今でもこの過去のせいで日々苦しんでいる。例えば、差別や人種差別について考えてみよう。仕事を探すとき、あるいは日常生活の中で、意識的に起こることもあれば、無意識に起こることも多い。この過去がいまだに人々に影響を及ぼしていることに気づいて初めて、どこを変えなければならないかがわかる。だから私たちが共に学ぶことが重要だ。教育や教材にこの問題を取り上げ、展覧会やポッドキャスト、ドキュメンタリー、奴隷制博物館(筆者注:数年後に開館予定)など、この歴史を伝える方法に力を注ぐことが重要なのだ」
https://www.rijksoverheid.nl/onderwerpen/discriminatie-en-racisme/slavernijverleden/herdenkingsjaar-slavernijverleden
https://www.amsterdam.nl/en/leisure/nationaal-slavernijmuseum/

「この過去がいまだに人々に影響を及ぼしていることに気づいて初めて、どこを変えなければならないかがわかる」という言葉には、はっとさせられます。日本と韓国、中国、アジアの歴史を意識的に学ぶ意味を、改めて痛感しました。不都合な過去を隠そうとする動きに抗するためにも。

奴隷制を描いた児童書は、歴史物語の形を取り、これまでにもオランダで出版されていました。例えばドルフ・フェルルーン作『真珠のドレスとちいさなココ*』(主婦の友社)という作品も2007年(原書は2006年)に出ています。とはいえ「私たちが共に学ぶことが重要だ」という呼びかけと、ここ数年、奴隷制に関係する作品が相次いで出版されていることは、決して無関係ではありません。以下のリンクから、ここではで4冊を取り上げて紹介します。(未邦訳のため、タイトルはすべて仮題です。)
https://openresearch.amsterdam/nl/page/97833/kinderboeken-over-slavernij

Arend van Dam作 Alex de Wolf絵 ファン・ホルケマ&ウァレンドルフ出版(2018年)
『シンタックス・ボッセルマンの旅 ―奴隷制についての話』(10歳以上)
オランダは長年、黄金時代に探検家たちが成し遂げたことを誇りに思ってきた。しかし今、その富の多くが奴隷制の犠牲の上に築かれたことが明らかになってきている。なぜオランダは奴隷制度に加担したのか? なぜその歴史が長い間隠されたままだったのか?……本書では、ミヒール・デ・ロイテル(17世紀の海軍提督)、ヤン・ピーテルスゾーン・クーン(東インド会社総督)、ヨハン・マウリッツ・ファン・ナッサウ(オランダ領ブラジル総督、彼の邸宅が現在のマウリッツハウス美術館)がそれぞれの物語を語る。しかし本当の主人公は、スリナムのプランテーションでかつて奴隷だった、シンタックス・ボッセルマンだ。1883年、27人の同胞とともにアムステルダムに連れてこられた彼は、万国博覧会の見世物にさせられた。13歳の少年コジョとともに、シンタックスは白人だらけの国オランダで、黒人であることがいかに複雑かを知る。
leesbevorderingindeklas.nl
http://www.letterenfonds.nl/nl/boek/1253/de-reis-van-syntax-bosselman

―今回で取り上げる中では最も早くに出た、定評ある作品です。作者は、たとえ当時使われていたとはいえ、黒人を侮蔑する表現をこの本に入れるべきか相当悩んだそうです。本書は、歴史をテーマにした児童書に与えられる「アルケオン=テア・ベックマン賞」と、2019年「銀の石筆賞」を受賞しました。

Henna Goudzand Nahar作、Hedy Tijn絵 ケリド出版(2021年)
『ビギ・カイマンの背中で』(7歳以上)
https://www.singeluitgeverijen.nl/querido/boek/op-de-rug-van-bigi-kayman/
スリナムの農園で、奴隷として一日中働いていた子どもたち、アフィとコフィとその家族の物語。二人はある日、自分たちの父親が売られるかもしれないと聞き、農園から逃げ出そうと決心する。ジャングルに逃げこみ、危険な動物とも出会うが、逃亡奴隷が住むと言われる沼地までやってくる。すると大きなカイマンが現れて……。作者は、巨大なカイマンに背負われて、沼地に渡り、解放されたというブロースカンペルス族の伝説をもとにこの物語を着想した。

―蛍光色を大胆に使う絵には独特の迫力があり、2022年「銀の絵筆賞」に輝きました。(文章も評価され、同年の「銅の石筆賞」も受賞)。2023年6月~8月に、ハーレム市のVerwey美術館では、この本の作家と画家のキュレーションによる特別展を開催。奴隷だった子どもの眼から語られた物語をもとにした、幼児から楽しめる展示になりました。

Henna Goudzand Nahar作、Brian Elstak絵、ファン・ホルケマ&ウァレンドルフ出版(2023年)
『ケティ・コティの楽しいパレード』 (6歳以上)
バスは、友だちのユメが親戚の住むスリナムへ行くと聞いて、じぶんも一緒に行きたくなる。スリナムの村には、毎年特別な動物が来たり、ふしぎな水の流れる川があったりすると聞いていたからだ。ユメのスリナム行きにはほかにも理由があった。ユメと、お母さん、おばあちゃんの年齢を足すと100歳になるし、さらにユメは「ケティ・コティ」のため、おばあちゃんたちと一緒に服を作る予定だという。「ケティ・コティ」というのは奴隷制度廃止を祝うスリナムのお祭りなのだ。オランダに戻ったあと、バスとユメは、近所での「ケティ・コティ」のパレードを大成功させるために力を尽くす。はたしてうまくいくのだろうか?(出典:Nieuwdezeweek.nl)

―「ケティ・コティ」(現地語で「鎖は切られる」という意味)をテーマにした初めての絵物語です。2002年、アムステルダムのオーステルパーク(東公園)に奴隷制を追悼する公式の記念碑が作られ、この公園では2009年から、ほかにもオランダのいくつかの都市で、スリナム発祥の「ケティ・コティ」フェスティバルが行われれてきました。このフェスティバルの組織が、賠償と調査のためにオランダ政府に圧力をかけたことも、2022年の奴隷制に対する謝罪と無縁ではなさそうです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ketikoti
https://www.iamsterdam.com/en/whats-on/festivals-and-events/about-keti-koti

Ida Does作  Dani?lle Nijboer絵 ケリド出版(2023年)
『ヴァージニア ―アフェフェ物語』
オランダ王国の植民地、カリブ海のアルバ島に住むヴァージニア。奴隷に生まれたヴァージニアの日々は、苦労の連続だ。来る日も来る日もアロエ畑で働きながら、心の底では自由を求めている。エレガントなドレスを着て踊りたいと思っている。ヴァージニアは、鳥のように自由になる夢を追う決心する。島に住む帽子作りのフローラさんも力になってくれる。きっといつか、伝説の魔法の風アフェフェ(ヨルバ語で「風」の意味)が吹いて、ヴァージニアを解放するだろう!

―映画監督でもある作家はアルバ島在住。20年以上前に出版された本に出てきた実在の人物、ヴァージニア(Virginia Demetricia)のことが頭から離れず、歴史的事実をたくさん盛り込んだけれど、フィクションとして創り上げたのがこのお話です。アルバ国立公文書館でアルバ島の奴隷制の歴史を調べ、ヴァージニアがオランダ人の農場主から、女性としてもっとも苛酷な罰を受けていたこともつきとめました。ヴァージニアの存在は、この作家や画家、さらにEllen-Rose KambelとJoan Windzakにインスピレーションを与え、4人は「アフェフェ・チーム」を作って、植民地時代の奴隷制度を生き抜いた女性たちを描く「アフェフェ物語」を創っています。この絵本は、そのシリーズ第一作に当たる作品です。
https://www.singeluitgeverijen.nl/querido/boek/virginia/
https://caribbeannetwork.ntr.nl/2023/12/01/childrens-book-brings-aruban-enslaved-virginia-to-life/

『シンタックス・ボッセルマンの旅』だけがオランダに住む作家による作品で、『ビギ・カイマンの背中で』『ケティ・コティの楽しいパレード』はスリナム在住の作家・ジャーナリストHenna Goudzand Naharが手がけたものです。彼女は1990年代から、現地を舞台にした児童書を精力的に書き続けています。『ヴァージニア』をきっかけに結成されたアルバのアフェフェ・チームが、これから発表する物語シリーズも楽しみです。

先ほど触れた「奴隷制の歴史記念年」紹介動画のテキストの中で、「私たちが共に学ぶことが重要だ」というフレーズが出てきました。しかしこの「私たち」は、いったい誰を指すのでしょう? 無理やり奴隷にされた祖先を持つ人たちと、そうではない人たちの意識にはかなりの溝があり、共に学んだとしても、共通の理解に達するのは難しいはずです。それでも児童文学に関わる身としては、子どもたちに向けて良い作品をひとつずつ届けていくことで、わずかでも意識の溝を埋めていけると信じたいものです。そんな感想にもならない感想で、今回の文章は締めくくりたいと思います。

訳注:
*原題は "Slaaf Kindje slaaf"(直訳は「奴隷、子ども、奴隷」で、「眠れ、子どもよ、眠れ」という子守歌をもとにしている)。2016年には、"Hoe mooi wit ben ik(私は何てきれいに白いのかしら)"というタイトルに変えて新装版が出ている。作者は農園主の娘を主人公に選び、その視点から、現代では理解しがたい、主人公の人生にとっては当たり前の奴隷制を、鋭く描き出している。

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三辺律子です。

 わたしはTwitter(現X)にアカウントを持っていて、たいていはくだらないこと(食べ物とか、食べ物とか、食べ物とか)を呟いているのですが、たまに〈イランの友だちだより〉という投稿もしています。大学院時代の友人がイランの人と結婚して、テヘランに住んでいるのですが、数年前ラインでつながってから、頻繁にやり取りできるようになりました。
 イランというと、危険、戦争、女性の抑圧などのイメージが先行しがちだけれど、そうでない面も見てほしいと、友人は言っています。わたし自身、『ダリウスは今日も生きづらい』を訳したとき、自分がどれだけイランという国を知らなかったか再認識、以来、イランの文化や歴史に興味を持っています。だから、〈イランの友だちだより〉では、友人が送ってくれた料理の写真(また食べ物)や、ノウルーズなどの行事、ハフトスィーンの飾りなど、イランの素晴らしい面、楽しい面を紹介するようにしていました。
 でも、さすがにここ数か月は、友人から楽しいラインは来なくなってしまいました。日本で生まれ育って、イランで暮らしている友人には、イランを内側からも外側からも見ることができます。イランの良い面、賛同しかねる面、そして、当然イスラエルのこと、ガザのこと、レバノンのこと……。アフガニスタンからの難民も多いということで、彼らに対するイラン政府の姿勢の変化についてもいろいろ聞きました。そして、とうとう今は、イランに対する直接的な攻撃も行われるようになり、眠れぬ夜を過ごしていると連絡がきました。
 
 先週の朝日中高生新聞では、「国を追われる子たち」として、インド・パキスタン分離独立を背景に、パキスタン側からインド側へ逃げなくてはいけなくなった少女ニーシャーの物語『夜の日記』【ヴィーラ・ヒラナンダニ (著), 山田文 (翻訳)】、アフリカ独裁国家エリトリアからヨーロッパへ逃げようとする少年サミーを描く『僕たちは星屑でできている』【マンジート・マン (著), 長友 恵子 (翻訳)】、スウェーデンの施設で暮らすアフガニスタン難民の子どもたちを施設職員レベッカの目から描いた『アフガンの息子たち』【エーリン・ペーション (著), ヘレンハルメ美穂 (翻訳)】を紹介しました。ニーシャーの悲痛な叫び「線が一本ひかれただけでどうしてひと晩で国がかわるの?」は胸に響きます。
 ウクライナ戦争やイスラエル・ガザ戦争の背景は複雑で、簡単には理解できないし、もちろん白黒つけられることではないと思います。でも、まず日本のこどもたちがこうした本を手に取って、ニュースの中の自分とは関係のない国の話としてではなく、ニーシャーやサミーやザーヘルという子どもの話として、少しでも自分にひきつけて考えるようになるといいなと思っています。

〈一言映画評〉
 3か月、お休みしているうちに(すみません)、面白い映画がどんどん終わってしまい……猛省。まだ上映中の映画から、ご紹介します!
『哀れみの3章』
 「自分の人生を取り戻そうと格闘する、選択肢を奪われた男」、「海で失踪し帰還するも別人のようになった妻を恐れる警官」、「卓越した宗教指導者になるべく運命付けられた特別な人物を懸命に探す女」という3つのぜんぜん関係ない物語を、同じ俳優陣が演じることで、絶妙な効果が。個人的に『哀れなるものたち』よりもヨルゴス・ランティモス味が濃厚で、大変好みでした。

『西湖畔に生きる』
お茶の名産地の⻄湖のほとりに暮らす⺟・タイホアと息⼦・ムーリエン。⽗が十年前に家を出てから母は息子を育てあけた。しかし、息子の就職がうまくいかず、母はマルチ商法にハマってしまう……自己実現と承認欲求の罠を、美しい西湖の映像を背景に描いているのが印象的だった。

『シビル・ウォー』
 アメリカでヒットした話題の1作。分断の末、内戦状態になったアメリカを、アメリカ大統領にインタビューを試みるジャーナリストたちの目から描く。
多くの(アメリカ)人にとって他人事だった内戦が自分事になる恐怖がひしひし。日本に住んでいるわたしもそれは感じた。でも、カメラマン志望の女性の成長(というより変化)が、皮肉としても肯定的に見えてしまうーーそう見せること自体皮肉だと思うけどーーに引っかかってしまった。みなさんがどう見たか、知りたい!

『花嫁はどこへ?』
2人の女性プールとジャヤは、それぞれの花婿の家へ向かう途中、満員列車の中で取り違えられてしまう(花嫁は赤いベールで顔を隠さなきゃいけなかったため)。予想外の行先で、新しい価値観と可能性に気づいていく二人。駅の売店で働く自立したおばさんの言う「“ちゃんとした女性”という考絵は、女性を従属させるためのフロード(詐欺)なんだよ!」というセリフが痛快!
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スペイン語圏の子どもの本から(67)宇野和美

『わたしのくつしたはどこ? ―ゆめみるアデラと目のおはなし―』(フロレンシア・エレラ文 ベルネルディータ・オヘダ絵 あみのまきこ訳 岩崎書店 2024.9)
 IBBY(国際児童図書評議会)のバリアフリー児童図書2023に選ばれた南米チリの絵本が翻訳出版されました。
 バリアフリー図書というと、ちょっと身がまえてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。思わず手にとってみたくなるユニークなしかけ、先が気になる物語に軽やかな絵の、親しみやすい絵本です。
 主人公のダックスフントのアデラのまわりでは、このごろおかしなことばかり起こります。引き出しにあるはずの靴下が見当たらなかったり、勤め先の研究所にたどりつけなくなったり。しかも、数人の友だちに会うことになっていた日、おかしなことに一番仲良しのキリンのバレンティーナは、声は聞こえるのに姿が見えませんでした。
 ……アデラは、だんだんと視野が狭くなっていく目の病気にかかっていたのです。
 この絵本のユニークなところは、見開きごとに藍色の紙がはさまれていること。その藍色の紙にあけられた穴がだんだんと小さくなっていくことで、アデラの見える範囲がせばまっていることが示されるのです。簡単なしかけですが、とてもよくわかります。
 けれども、視力を失っていっても、それで終わりにはなりません。アデラは、「耳とか鼻とかほかのところはすばらしくはたらいている」ので、手でさわったり、においをかいだり、なめたり、聞いたりと、これまでとは別のやり方を見つけていくのです。空を飛ぶ夢を見るアデラが描かれたラストがすてきです。
 著者のフロレンシア・エレナ自身が、目の病気で視力を失い、今は白杖を使い、盲導犬とともに暮らしているとのこと。アデラのふるまいに説得力があるのもうなずけます。巻末には、視覚障害とこの目の病気のこと、視覚障害の人の手助けをする際の注意点の説明もあります。
 注目のチリの作品です。
https://www.iwasakishoten.co.jp/news/n105848.html

 南米チリといえば、現在福島県の喜多方市美術館で開催されている巡回展「ブラチスラバからやってきた! 世界の絵本パレード」で展示されている第29回BIB(ブラチスラバ世界絵本原画展)で、グランプリを受賞したのはチリの絵本作家パロマ・バルビディアです。
 受賞作の、パブロ・ネルーダの詩集の絵本『問いかけの本』は、ネルーダのすべての詩や日記を読み、記念館を訪ね、謎をときあかしながら、6年かけて描いたとのことです。
 このあと全国を巡回しますので、機会があればお近くの会場でご覧ください。
 
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「世界のバリアフリー児童図書展」のご案内
・10月28日(月)~11月5日(火) 都留文科大学附属図書館 2F展示コーナー
・11月8日(金)~19日(火) 静岡県立大学短期大学部
・11月22日(金)~12月5日(木) 荒川区中央図書館ゆいの森あらかわ
IBBY(国際児童図書評議会)が2023年に選定した、22カ国15言語の40冊のバリアフリー児童図書を手にとって見ることができます。①Accessible Books(誰もがアクセスできる本)と②Portrayals of Disability(障害が描かれている本)の2つのカテゴリーがあり、『わたしのくつしたはどこ?』の原書は②のカテゴリーの1冊です。
 その後の開催予定は下記のリンクをどうぞ。
https://jbby.org/barrier-free-childrens-book-fair-from-around-the-world
(宇野和美)

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◆ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書いています。

10月の読書会は、『トラからぬすんだ物語』 (テェ・ケラー/作 こだまともこ/訳 坂口友佳子/装画 評論社 2022年6月  When You Trap a Tiger 2020)を課題本に選びました。

小学6年生のリリー、3歳違いの姉のサム、母は、大雨の日に、カリフォルニアからハルモニ(祖母)が一人で住むサンビームの町にある家に引っ越してきます。それはハルモニが脳腫瘍になったためでした。リリーはハルモニの家に行く途中で車の中から道に寝そべっている大きなトラを見ます。ハルモニはリリーがトラを見たことを信じてくれ、そのトラは、自分が小さな女の子だったときにぬすんだお話をとりもどしにきたと言います。リリーはトラと取引をしてハルモニを助けようとします。また、リリーは、家の前にある図書館で、リッキーという友だちができ、トラ狩りを手伝ってくれます。

全体の感想としては、好きなタイプの作品だという人もいる一方、ストーリーの中に入れなかった、難しく感じたなどの感想も出ました。そして、ハルモニの病状など、最初からすべてがわかるのではなく、いろいろなことが少しずつわかっていく書き方に興味を引かれた。詩のような文だと思った。冒頭のリリーたちがハルモニの家に行くときも雨で、ハルモニが死を迎える病院へリリーとサムが行くときも雨。天候がリリーたちのかき乱される気持ちを表現していると思った、という発言もありました。

作品の中では、4つのトラのお話が語られます。1つめ(p.49)は、ハルモニがリリーとサムに語る朝鮮半島の昔話で、おばあさんに化けたトラが、留守番をしている姉妹の家にやってきて家の中に入って追いかけ、姉妹は空へ逃げて月と太陽になるという有名な話です。この話でトラが家に入ってくるとき、姉のサムの記憶では姉が窓を開けたと言い、妹のリリーは妹がドアが開けたと覚えており、サムは姉妹が空の上で離れ離れになる悲しい話だと思っており、リリーは、二人がトラから逃げ切れるハッピーエンドだと思っています。こんなふうに、ひとつのお話が自由に解釈され、そこに姉妹関係が浮き彫りになる点が興味深いという指摘がありました。

2つめ(p.193)は、リリーがガラスのびんのふたを開けたことで出てきたお話を、トラが語ります。それは、トラと人間の両方になれる娘が自分の娘も同じ能力があることがわかったとき、神様に、その魔法を消してもらいたいと頼みます。すると、神様は、母親が空で自分の仕事を継ぐことを条件にし、母と赤ん坊は別れます。これは、ハルモニが自分を置いてアメリカへ行った母親のことを語った話だと読み取れます。3つめ(p.240)も、リリーがびんの栓をぬき、トラが語った話です。それは、ハルモニが自分のハルモニを置いてトラに変身して出て行ったというストーリーで、ハルモニが祖母を置いてアメリカへ来たことを示していると読み取れます。こうして、ハルモニは、リリーたちにも自分にも母親のこと、韓国に置いてきた自分のハルモニのことを封印していましたが、それが解き放たれたことが読み取れます。

4つめ(p.351)は、リリーがハルモニや家族に主人公がリリーとサムである物語を語ります。そこでは、二人の姉妹は、トラと人間のどちらかになることを選ぶのではなく、両方でいることを選びます。そして、ひいおばあさんである神様にロープをたらしてもらって空から世界を見せてもらいます。ここには、リリーの韓国とアメリカという二つの文化のどちらかを選ぶのではなく、両方を受け入れて生きていくことを選ぶという考えと、おはなしを語り継ぎながら祖先を感じることの意味が語られていると読み取れます。そして、物語を語ることによって、自分の生き方を模索し、生きる力を得ていることが伝わります。

このような4つの物語の語られ方から、事実とは違う真実があることが読み取れるという発言がありました。また、トラがリリーに、「強かったら、ひとつだけでなく、いろんな真実を心のなかに持てるんだよ」(p.345)というところから、一つのおはなしを多様に解釈し、複雑な思いをありのまま受け入れていくことの大切さが伝わるという人もいました。「手をのばしてお話をとってくる」という表現がおもしろかったという人もいました。

また、この作品には、お話の中には、家族の話もあれば、公の歴史もあることが書かれています。ハルモニが「ずっとむかし、日本とアメリカの人たち、わたしたちの国にまちがったことをした。だけど、わたしはリリーに、悲しい、腹の立つお話、したくないよ。そういう悪い気持ち、あんたに伝えたくないの」(p.313)というと、リリーは「そういうお話を秘密にしているのは、よくないと思う 起こったことは事実」(p.314)と言います。ここには、歴史を語り継ぐ大切さも書かれていると言えます。

登場人物についての感想も多く語られました。リリーについては、共感できる。冒頭「わたしは透明人間になれる」で始まるとおり、透明人間だと感じていたリリーが「わたしは、目に見えないものが見える女の子だ。だけど、透明人間ではない。」と言えるようになるまでが描かれた作品だと言える。リリーがサムになにもかも打ち明けたい気持ちがあったが、サムに話しかける前に、その気持ちがおさまるのを待つという場面があり、同じような場面が多くあったところに、リリーらしさを感じた。こういう描き方はあまり出会ったことがないと思った。2つのおはなしのびんを開け、最後のびんは、壊す。リリーの心が解放され、心の奥にあるトラを出現させていく過程が描かれていると読める、などの発言がありました。

姉のサムについては、図書館でリッキーたちに勉強を教えているサムと同性のジェンセンと付き合っていることがわかり、現代的だと思った。妹にも誰にも言わず、死んだ父親の記憶を書きだして暗記していたという様子がいたいたしく感じた、などの感想があり、サムとリリーの姉妹について、姉には姉の思いが、妹には妹の思いがあるというところに共感した、という人が多くいました。

この作品には、リリー姉妹と母親、母親とハルモニ、ハルモニとハルモニの母親、という3世代の母子関係が描かれています。それぞれの母と子の間にすれ違いがあることが描かれ、親子ならではの関係の難しさが描かれていると思った。すれ違いながらも、母もサムも家の窓から出入りするなど、同じことをするのがおもしろかった。なぜ、母は、ハルモニの病状について、引っ越す前に娘たちに言わなかったのかが腑に落ちなかった。リリー、サム、母は、父親の死から抜け出せていない家族だと思った、などが語られました。

そして、リリー、サムとハルモニ、ハルモニとハルモニを育ててくれた韓国の祖母という、2世代にわたる祖母と孫の関係も描かれています。この作品をハルモニの側から見ると、病気のハルモニが、家族と心が通じ合って幸せに死ぬ物語だと考えられる。家族はハルモニと最上の別れをすることができた。ハルモニは、韓国方式で生きながらも、コミュニティに溶け込んでいる様子が興味深い。祖母がどんな生き方をしてきたのかもう少し知りたかった、という発言がありました。

リリーは、引っ越し先で、父と二人暮らしのリッキーと図書館で出会って友だちになります。ところが、リリーはリッキーのハルモニについての言葉に傷ついて、プリンの中に泥を入れるというひどいことをし、二人はけんかをしてしまいます。そのあとの仲直りのとき、リッキーが自分の母親が出て行ってしまったことを語る。つまり、リッキーも自分の気持ちを解放したときに通じ合うことができた。この場面は心に残った、という人もいました。

この本の中でトラは重要な位置を占めます。勇敢、勇気の象徴だと思った。リリーはトラとの対話の中で成長していく。この作品の中に、トラはハルモニのお母さんだと書かれているところがある。ハルモニを置いてアメリカに来たお母さんが、ハルモニが幸せに死を迎えるために、トラとなって娘と孫娘たちを道路で迎え、お話によって封印していた悲しい気持ちを解放し、あの世へ迎え入れたのではないかと思ったという作品全体を解釈した発言もありました。トラとは何かという点でも多様な読みができることを語り合いました。一方で、韓国の昔話に登場するトラはときに恐ろしく、時に間抜けなところがあり、とても魅力的。この作品でどんなトラが登場するのかと期待したが、トラの魅力があまり感じられなかった。存在感が薄かったのが残念という人もいました。

作品には、韓国の食べ物や風習や昔話がふんだんにでてきます。アメリカの読者はどう感じるのかと思いながら読んだ。韓国のもちをリリーとリッキーがアメリカにある材料で作ろうとしたとき、ココナッツミルクやぶどうジャムを使ったところがユニークだと思った。文化は変化していくことが感じられる、という発言もありました。そういう文化の多様性を受け止める場所、地域のいろいろな人が出会う場として図書館が描かれている点もこの作品が伝えたかったことのように思われます。

英語のタイトルは、「When You Trap a Tiger」(トラをワナにはめるとき)です。トラに象徴される韓国の文化や勇気を出すことから逃げるのではなく、つかまえて、対峙し、受け入れることで生きていくということを表現していると読み取れます。さまざまな解釈が可能で盛りだくさんの作品は、ややわかりにくかったり、理屈っぽかったりして、それが読みにくさにつながっていたようです。まだ20代の著者とのこと、今後の作品を期待したいと思いました。(土居 安子)

<財団からのお知らせ>
●国際講演会 「アメリカの絵本作家 ウォルター・ウィック 自作を語る」
 日時 : 11月2日(土) 14:00~16:30、場所 : 大阪府立中央図書館 2階 多目的室、参加費 : 1000円
http://www.iiclo.or.jp/03_event/02_lecture/index.html#061102
●講演と対談「幼年文学のはじまりと現在」
 12月8日(日) 13:00~16:00 大阪府立中央図書館 多目的室 参加費1000円
講師:石井睦美さん(作家・翻訳家)、宮川健郎理事長
 http://www.iiclo.or.jp/03_event/02_lecture/index.html#061208
●「むかしの紙芝居を楽しもう!」
 日時:11月9日(土) 14:30~15:30 場所:大阪府立中央図書館 多目的室 ※無料、申し込み不要
 http://www.iiclo.or.jp/03_event/02_lecture/index.html#06gaitokamishibai
● Instagram https://www.instagram.com/iiclo_official/ new!
● 寄付金を募集しています
https://syncable.biz/associate/19800701/
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以下、ひこです。

【絵本】
『うえをみて!』(チョン・ジンホ:えとぶん 斎藤真理子:やく ハッピーオウル社)
 スジは交通事故で歩けなくなり、住んでいる高い階の部屋の窓からいつも、道行く人を眺めています。高いところから見るとまるでアリのようです。誰も、スジに気付いてくれません。誰も上を見ないからです。そこでスジは勇気を出して声を上げます。
 障害を持つ子どもと、人々の間に通い合う幸せな気持ちを一緒に味わってください。
https://happyowlsha.com/ohanashi/9784902528732/

『ワニのクロコ』(アンドレス・ロペス:作 宇野和美:訳 BL出版)
 縦長の絵本です。どうして縦長かというと、ワニがふかーい穴に落ちてしまうから。なにしろ縦長ですから、友だちのどうぶつたちの体験から来るアドバイス通りにしても抜け出られません。そりゃあ縦長ですもの。他の動物の体験談は、やっぱりワニの参考にはなりません。さて、穴からに抜け出せるのか? 頑張りを求めていないから、楽しいですね。
https://www.blg.co.jp/blp/n_blp_detail.jsp?shocd=b11451

『えほんよんでどこへいきたい?』(服部千春:さく こがしわかおり:絵 岩崎書店)
 モモはおひざのうえで絵本を読んでもらうのが大好き。ところがおかあさんのお腹が多くなってきて、おひざに乗れなくなり……。
 モモが絵本の世界から想像力を羽ばたかせて遊びます。絵本で絵本の素晴らしさを語る、メタ絵本でもあります。
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b10087932.html

『ともだち』(スギヤマカナヨ:作 吉岡昌子:手話監修 あすなろ書房)
 スギヤマによる手話絵本、あすなろ版二作目です。日本の文法に則った「日本語対応手話」ではなく、日本語の文法とは異なる「日本手話」(第一言語が日本語でない)を採用しています。「ともだち」は、胸の前で両手のひら合わせてにぎり2回振る。わかる。
http://www.asunaroshobo.co.jp/home/search/info.php?isbn=9784751532225

『ぬすまれたねむねむ』(アネテ・メレツェ:作 椎名かおる:訳 あすなろ書房)
 ママが仕事部屋にこもったので、パパが絵本を読んでくれますが、9冊終わっても眠くなりません。眠ることの出来る魔法の粉があるはずですが見つからない。ということで、お話は魔法の粉の在処探しへと移ります。意外なところにありますよ。
http://www.asunaroshobo.co.jp/home/search/info.php?isbn=9784751532249

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【絵本カフェ】
『もし、世界にわたしがいなかったら』(西村書店)
 とても大きなタイトルです。わたしが誰なのかは、最後まで明かされません。こんなことが言えるものはそうそういないでしょう。いったい誰なのか?
「ずいぶん長く 生きてきた」と、「わたし」は言います。しかも「だれよりも 前から」。ふむふむ。人間よりずっと長生きってことですね?
「わたしは どこにでも いる」。ん? 同時に違うところに存在できるってことでしょうか?
ひとつの「わたし」が消えると、ひとつの 文化が 消えるとのこと。どうやら文化を担うような存在らしい。
いろんな「わたし」がいて、それらを習得することで、「いろんな世界を 見ることが できる」。「わたし」複数会って、一つ一つ学習する必要がある。
 また、自分ほど「すばらしい 発明は ない」と自信を覗かせています。「発明」ということは、それは人間が作ったものなのでしょうね。
 そして、習得した人は、過去から未来まで時空を超えて飛び立つことができるらしい。
 さて、その答えは?
 「言葉」です。ここまでの説明を読み返してみると、なるほどと思われるでしょう。そしてこの答えの一つ前に置かれた言葉が、「わたしが いるから、人が人に なる」。つまり、「言葉があるから、人は人になる」のです。そう、わたしたちは言葉を持った生き物です。言葉は人を楽しくもするし、悲しくもします。真実も語るし、嘘も語ります。生かしもするし、殺しもします。それは、わたしたちの使い方次第です。
 言葉の定義に、もう一つわたしが付け加えるならば、「わたしは、空想の良き遊び場です」かな。
 あなたは言葉に、どんな定義を付け加えますか?
https://www.nishimurashoten.shop/?pid=181962865

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相米慎二監督『お引越し』『夏の庭 The Friends』4Kリマスター版
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