【児童文学評論】 No.85 2005.01.25
〔児童文学書評〕 <http://www.hico.jp>
☆今号から、鈴木宏枝「絵本読みのつれづれ」の連載がスタートします!
「絵本読みのつれづれ」(01)
鈴木宏枝と申します。本館の「児童文学評論」で時々子どもの本、小説、研究書などのレビューを書かせていただいています。今回から、別室をお借りして、絵本読みのことを少しずつ考えてみたいと思い立ち、不定期連載の形で、店子に入れていただきました。ひこ・田中さんに感謝申し上げます。
絵本は、私にとっては長年、高嶺の花でした。自分には語れないし、語る視点もなかなかもてないと感じていました。10代では(コテコテですが)「MOE」(白泉社)を愛読し、青山のクレヨンハウスや童話屋の空間が好きでした(今でも好きです)。そこで、名作といわれる絵本を読む機会や注目の画集や作品の情報を得て、それから現物を買ったり借りたり、あるいは展覧会に出かけたりしながら、自分なりに絵本を楽しんできました。…といっても、あくまで趣味の領域です。
その後、大学院に入って、絵本と同様に読み続けていた児童文学を専攻し、今は、研究者のヒヨコになって、日本や海外(主に英語圏)の児童文学研究を続けています。この間、絵本は特に児童文化や芸術や保育教材、あるいは出版文化の中で論じられることが多い印象を受け、ことばの「文学」「文芸」である子どもの文学の研究からアプローチするのはどうも難しいように感じて手を伸ばしてきませんでした。
同じように「子ども」がキーワードになっていても、文学を読むように絵本を読むことは、通用する場合もあるし、しない場合もあります。宮川健郎さんは、『日ようびのおとうさんへ 本をとおして子どもとつきあう』(宮川健郎、日本標準、2004.11)の中で、大学での児童文学の講義で、「視覚文化としての可能性を追求してきた結果、ことばの芸術としての児童文学とはちがうところに行ってしまった絵本の鑑賞の方法は、児童文学のそれとは別のものではなければならないだろう」から絵本は考察からはずすと学生に話したけれど、納得してもらえなかった、というエピソードを書かれています。
私自身、美術的に絵を読むという意味ではド素人なので、読み終わったあとの「よかったなあ」を「よかったなあ、素敵だったなあ」以上に言語化することが難しく(それこそ、何か言うと、その「よかった」を損ねてしまうような気さえして)、やはり絵本は趣味やfor funのものでした。
「絵本はスゴイんだ」という前提を抱えつつ、周辺をうろうろしてきたのですが、やがて2002年6月に娘が生まれてから(生まれることが分かってから)、堂々といろいろあさってみようと、絵本読みが楽しみになりました。単純に親として夢もふくらみますし、なんにせよ相方がいるというのは心強いものです。産まれてしばらく経って、先日、彼女との絵本読み経験を季刊誌「子ども+(プラス)」17号(雲母書房、2004.4)に書かせていただく貴重な機会を得ました。そして、この時間・空間の記憶を私の中にだけとどめ、やがて主観的な思い出に変形させてしまうのではなく、そのときどきのリアルをとどめておきたい欲求が芽生えてきました。ひとつのフィールドワークのようなものとして、書き留めておこうと思います。
絵本読みという点では、もうひとつ、「子どもの反応は~だった」「子どもが~だった」という言い回しに、違和感を覚えることがありました。一対複数の読み聞かせや、お話会などの場での反応についてのコメントであることが多いのですが、「子ども」というのは「人間」と同じだから、ひとりひとりバックグラウンドも反応の仕方も違うはずなのに、分かりやすい反応や結果がすくいあげられがちなことに、物足りなさを覚えます。あるいは、言語化された聞き手の言葉が本当に言葉どおりのものなのか、と疑問に思うことも。それも、きっとたしかに、絵本との時間のある部分の真実なのでしょうが、読み手の顔も聞き手の顔も、彼らの普段の姿や性格を知らない者にとっては、どうも画一的に見えてしまうような印象です。
それで、もうちょっと違うリアルはないかしら? と考えると、さあ読むぞと絵本に向き合う、特殊な時間として切り離される絵本の時間ではなく、一日に起きている時間が12時間くらいの生活の一部として、脈絡なく絵本に手を伸ばし、「これよもっか」(=これ読んで)と当たり前に持ってきたり、時にはままごとのお盆にしたり、ぬいぐるみのごとくごつごつした本を抱いて昼寝したりしている、私が一番よく知っている受け手のことがやはり思い浮かんでしまいます。彼女を、少しだけ自分の興味をまじえて見てみようと思いました。マスではなくごく個人的な、彼女と私(あるいは彼女の父親や他の親しい大人)との間だけに芽生えるsomethingはあるかしら。絵本を通すことで立体化する彼女の子ども時代を、彼女の年齢分だけの素人絵本読みとしてともに体験し、同時に一児童文学研究者として客観的な視点も添えるようなコラムを考えています。
…と大風呂敷を広げてしまいましたが、どちらかというと気楽な気持ちではじめたいと思います。娘のことは、自分のサイトでと同じくTさんと呼びます。どうぞ、よろしくおつきあいいただければ幸いです。
(1) バムとケロ シリーズ
バムとケロ、という名前を知ったのはTさんが生まれる前だが比較的最近である。たぶん21世紀に入ってから。大変な人気ということも、いろいろなご家庭で楽しまれているということも聞いていたのだが、一人で初めて本屋で見かけたときには、想像とは違うポップなトーンや「キャラクター」という感じに、正直、ちょっとがっかりした。なにしろ私はけっこう保守的でまじめなので。
でも、「子どもが産まれたら読もう」というやや他力本願な絵本読みの計画の中に、この本もしっかり入っていたので、Tさんが1歳過ぎから月に1冊ずつ『バムとケロのにちようび』(島田ゆか、文渓堂、1994.9)『バムとケロのそらのたび』(島田ゆか、文渓堂、1995.10)『バムとケロのさむいあさ』(島田ゆか、文渓堂、1996.12)と買っていった。『バムとケロのおかいもの』(島田ゆか、文渓堂、1999.2)は持っていないのだが、2004年8月に八ヶ岳の絵本の樹美術館に行ったときに図書室にあったものを読んでいる。
だいたい、初めての絵本を読むとき、Tさんは先を急がせることが多い。何度も繰り返して読むうちに、じっくり絵や文を見るようになるが、ファースト・コンタクトのときは、ちらちらと次のページを見たり、早くめくりたいそぶりを見せたりする。そのときは、あまり興味がないようにすら思えるのだが、壁の本棚に並べておくと、思い出したように次の日も持ってくる、さらにまた思い出したように次の日も持ってくる、という調子で、だんだん気に入っていっていくようである。実際、1歳のTさんの日常は、たかが狭い家の中だけでも「知らないもの」への好奇心と「知っているもの」へのシンパシーの混在だから、「これは見たことがある!」といううれしい驚きを、『バムとケロのにちようび』の表紙に感じたようだ。
1歳だったTさんは、バムケロに限らず、表紙や裏表紙の見返しに注目することが多かった(全部の絵本ではないけれど、私が多分にすっとばしてさっさと本文にいこうとするのに比べると、かなりの敬意を払っていた)。実際、『バムとケロのにちようび』では、まず喜んだのは1ページ目でケロちゃんが傘をさしながら庭で滑って遊んでいる場面だったが、その次くらいに好きだったのは見返しで、はしゃぐケロちゃんがバムに追いかけられているところである。「まてまてまて」と言い、バンバン本をたたいていた。
今、Tさんがバムケロを読むときも、シンパシーを示すのはケロちゃんである。2歳のクリスマスにサンタに傘をもらったTさんにとって、ケロちゃんの傘はもはや手の届かない憧れではなく、雨や雪の中、傘をさして歩く楽しさもリアルに経験している。もう一年もすれば、ケロちゃんの行為は、「ちっちゃいこみたいだねー」となっていくのかもしれない。
この前、3冊並べておいたら、Tさんが「これよもうか」と持ってきたのは『バムとケロのさむいあさ』だった。『バムとケロのにちようび』の、1歳児の頃の圧倒的な食いつきのよさに比べると、どっちかというと地味な扱いを受けていた本だ。だけど、ここで、Tさんは、11ページ目のお風呂の場面に、今までにないくらい喜んだ。夏の間はほとんどシャワーで済ませていたお風呂は、冬になってから、湯船にじっくりつかり、おもちゃを出して遊ぶ場になった。洗い場から湯船に入るときの、彼女にとって楽しい「ぼっちゃーん」をバムもケロちゃんもカイちゃんもここで再現している。「ざばーん」と合いの手を入れ、「シャワーがないねえ」と湯船を犬型のお風呂を観察し(次のページになるとちゃんと出てくる)、「こーりゃ どーこの じーぞうさん? うーみのはーたのじーぞうさん うーみに つーけて どぼーん!」(『あかちゃんとお母さんのあそびうたえほん』小林衛己子/大貫妙子、のら書店、1998.4)のわらべ歌を、3匹に一通り歌って聞かせていた。
それから、25ページ目の、絵本のクライマックスともいえる楽しいトイレットペーパー・ミイラの場面では、トイレやトイレットペーパーを知るようになった今だからこそ、そのおもしろさが分かったようだ。最近は、2歳半から3歳くらいまでの間でのトイレ・トレーニングが趨勢のようで、Tさんもその流れに乗っかっている。トイレットペーパーでこんなに遊んでしまう禁忌違反のおもしろさは、トイレの認識ができなければわからなかったな、と思う。かつては軽くスルーしていたこの場面をTさんはうれしく眺め、「Tちゃんもやりましょうか、ぐるぐるまきまき」、まんまる目玉しか出ていないトイレットペーパーのかたまりを見て「ぬいぐるみもなにも、こーんなぐちゃぐちゃになっちゃった」「ぱそこんもそふぁもー」と喜んでいた。
絵本は絵本だけであるのではなく、わらべ歌や、お風呂やトイレのある日々の生活とのつながりの中で、よりそのおもしろさを増す。このくらいの時期から楽しみはじめるという<見立て遊び>が、絵本の中で繰り広げられているように、私には見えた。
何度も接するうちに愛情が芽生えるというのはたしかにあるようで、私も、今ではバムケロをおもしろく読んでいる。ストーリーはどうも散漫だから、はっきりした起承転結というよりは、バムとケロのそれこそオチのあまりない楽しい日常をin detailで描くところに魅力があるのだろう。Tさんがケロちゃんに圧倒的シンパシーを感じているのと同じように、私は後片付けや食事やお風呂の面倒に追われるバムに共感してしまう。そもそも、この2匹、なぜ一緒に住んでいるのかしら? ともあれ、バムとケロの家は、おふろといい椅子といい、屋根裏部屋の書庫(虫やねずみはいやだけど)や庭など、憧れに満ちている。こんなんあったら楽しいな、が満載のインテリアだ。バムの小さな分身のようにいつでもバムのすぐそばでバムと同じことをしたり、あるいはバムのかなえられざる願いをさらりとやったりしているように見える小さな犬のぬいぐるみが、私は好きである。
鈴木宏枝 http://homepage2.nifty.com/home_sweet_home/ Tさん(2歳7ヶ月)
【絵本】
児童文学書評2005年一月
○絵を描くということ
「絵描き」いせひでこ作 (理論社 2004.11)
「画家」M.B.ゴフスタイン(ジー・シー・プレス 1980/1986.3)
いせひでこは追い求め、掘り下げて行こうとする作家だ。あこがれ、この手でつかもうとしてつかまえきれないものの輝きを絵に焼きつけようとする。「よたかの星」などの宮沢賢治の絵本シリーズはその賢治の心象と呼応したような画面が印象的であった。本作では絵を描く行為そのものを、自分の在り方を絵本という形にして見せてくれた。とても誠実に、力強く描かれた本だと思う。描かれたものとそれを彩る吟味された言葉。なるほど、絵描きはこのような心で毎日、いく枚もの絵を描いているのか。いせの思う画家の姿はやわらかな心で感じ、悩み、でも少しのことでスキップしてしまうような少年の姿に見える。絵本のページの中には、ゴッホの絵を思わせるページもあるし、強い風の中を進む宮沢賢治の姿も描かれる。りんごをもって、飛び立とうとする風の又三郎も見える。でも、それはわかる人にだけわかれば良い、というような感じで、絵本の中に置かれているように感じられた。ある程度、絵画について、いせの絵本について知識のある人には、より深く感じられ、そうではない幼い人たちには、何かしらの疑問の種を残す。それもひとつの在り方だとは思うのだが、同じく画家を絵本にしたゴフスタインを思い出した。
ゴフスタインの小さな絵本では「画家は神のようなもの。でも つつましい」というテキストとともに、白いひげをはやした老人のような形が描かれる。この絵本のテキストの中では、「神」という言葉以外はどれも具体的で、絵画について知識のない人も、ある人も、かわらず自分の言葉でこの絵本を読むことができるだろう。最初に手にとった印象では、ゴフスタインの絵本のほうが読者を選ぶのではないかと思わせるのだが、そうではない。
描かれる画家の姿が、少年か老人か。巻頭に挙げられる言葉が、ゴッホかピサロか。
同じようなテーマを持ちながらも、語りかける対象が自身であるか、あなたであるかによって、こんなにも肌触りの違う絵本になるというのが、とてもすてきだ。(ほそえ)
○その他の絵本、読み物
「ねこだまし」斉藤洋作 高畠那生絵 (理論社 2004.10)
斉藤、高畠コンビの不条理絵本第3弾。(出版社はそれぞれちがっているけれど)今回もお話は絵には描かれない男の一人称ですすむ。いろんなものをかりて行く猫。最初はネクタイ。それから……。他の家から出てくるところ見たこともあるし、町で見かけたこともある。そして、ぼくの家の隣に引っ越して来た人は……。こういうテイストの絵本はあまりみないし(こういうお話のかける人は子どもの本の世界にはほとんどいないから)、ひとつの場所を作って見せてくれてはいるし、こういうのが好きという人は好きなのだと思う。(ほそえ)
「ゆきだるまのるんとぷん」たかどのほうこ作・絵 (偕成社 2004.11)
以前サンリードで出されていた幼年童話の改訂版。赤い帽子と青い帽子をかぶることで自分の名前と役割を決めていた雪だるまのふたり。そこにもうひとりの雪だるまが入ることで、その決まりごとがくずれ、それぞれの名前を持つことになったという。深読みしたければ、どんなふうにも深読みできる型のお話なのだが、ユーモラスなイラストとうたの入ったリズミカルな文章で、なんだか変だな、おかしいぞ、でも、わらっちゃう!
というかんじ。この奇妙な感じはこの作家ならではのもの。(ほそえ)
「私が学校に行かなかったあの年」ジゼル・ポター絵と文 おがわえつこ訳 (セーラー出版 2004.9)
ユニークな絵で人気のジゼル・ポターの自伝的な絵本。両親と妹の4人で人形劇団を作り、イタリアを巡業して歩いた一年間のことを絵本にしている。のちに両親が離婚し、ばらばらになってしまう家族の、唯一水入らずですごした濃密な一年のことを、たんたんと子どもの頃の目線のままに描いている。街頭での公演、見なれない陽気な人たちの姿、一人前の芸人として扱われた誇らしい気持ち……。ポターの描く、動物のお面をかぶった姉妹の愛らしいこと。(ほそえ)
「ムーちゃんのくつ」いとうひろし作 (主婦の友社 2005.1)
「ぼうし」「かばん」と続いたボードブックの3作目。今回、ムーちゃんはいろんな靴をはいてみます。おとうさんのながぐつ、お母さんのハイヒール、おねえちゃんのサンダル。でこでこ、ぽこぽこ、ぺたぺた、といろんな音がするのがおもしろい。そして、さいごはみんなの靴をはいてしまうのですが、その姿、小さな子を身近に見たことがある人には、そうそう、こういうこと好きなのよね、と手をたたいて喜びそう。目の前の子どもの姿が、きちんとしたストーリーの中で生き生きと描かれるとき、一緒に読む子どもも大人も、暮しの中のシーンでそれをまた、楽しめることでしょう。(ほそえ)
「ドラゴン だいかんげい?」デヴィット・ラロシェル文 脇山華子絵 長友恵子訳 (徳間書店 2004/2004,12)
犬を飼いたいのにだめ、といわれてしまった男の子。「じゃあ、ドラゴンだったらいいでしょ」と家に連れてきたんだけれど、部屋でウィンナー焼いちゃうし、お風呂にスパゲッティをてんこもり……とうとう、ママに「出て行って!」といわれてしまう。「じゃあ、ドラゴンの嫌いな犬を連れてくるよ」ということに。明るく陽気なイラストはカリフォルニア在住のイラストレーターの作。オチがしっかりしていて、納得の展開なのがよい。(ほそえ)
「ねえツチブタくん」木坂 涼文 いちかわようこ絵 (朔北社 2004.12)
ツチブタが絵本になったということが珍しい。耳の長くて、足がカンガルーみたいで、はながぶたみたい。ツチブタは長い舌でアリを食べるのだという。絵本ではそういうことはまったく関係なく、ツチブタくんのそばにいるねずみがねえねえ、と声をかけているように描かれる。いろんな背景のなかの、いろんな表情のツチブタくんを楽しめば良いのだろうが、展開はもうひとひねりほしいかな。(ほそえ)
「さくら子のたんじょう日」宮川ひろ作 こみねゆら絵 (童心社 2004.11)
絵童話といってもいいかたちの絵本。自分の出生の秘密を「みごも栗」という木に託して伝えられる少女の年月をじっくりを描いた絵がいい。途中で折れた栗の木のうろに、さくらが芽吹き、成長していったという「みごも栗」とさくら子の相似をていねいにお話に組み立てて、さくら子とともに読者も納得させられる。(ほそえ)
「天からのおくりもの イザベルとふしぎな枝」ジャクリーン・ブリッグズ・マーティン文 リンダ・S・ウィンガーター絵 掛川恭子訳 (BL出版 2003/2004.12)
ジャグリングとよばれる、Y字型の枝を軽く持って、その先が強く揺れた場所に探し物が見つかるということができる人がいる。その力をこの絵本では「天からのおくりもの」とよんでいる。大好きなおじいさんがその力を失いかけた時、孫娘のメイベルがしたことは、それまでの自分では無理だと思っていた、100才の木にのぼって、Y字型の枝をとってくること。少し奇妙な遠近で丁寧に描かれた絵は、神秘の力のありさまを信じさせる力を持っている。引っ込み思案だけれど、きちんと愛されて、力をたくわえているあたしの心の動きを、きちんとあたしの言葉で描き出している。(ほそえ)
「こどもパンソリ絵本 水宮歌」イ・ヒョンスン文 イ・ユッナム絵 おおたけきよみ訳 (アートン 2003/2004.12)
パンソリというのは太鼓の音に合わせ、節をつけて物語を語る韓国の伝統芸能だという。その古典である水宮歌を現代に通じる言葉での説明をつけながら絵本化したもの。子どもがうたうパンソリのはいったCDもついているため、実際の語りの芸も堪能できる。お話自体は日本民話の「くらげほねなし」ににたもので、海王様の病を治すためにウサギの肝が必要だと、陸まで亀がとりにいったのだが、ウサギの智恵でまるめこまれ、肝を取ることはかなわなかったというもの。文語体での謡の部分と口語体での説明の部分が色分けされ、わかりやすくなっている。韓国でも伝統芸能が子どもたちにとって難しい、取っつきにくいものになっているようで、もっと親しめるようにと、このような形式の絵本が作られたらしい。(ほそえ)
「ちっちゃな ちっちゃな おんなのこ」バイロン・バートン作 村田さちこ訳 (PHP研究所 1995/2004.12)
ベスコフの処女作「ちいさな ちいさなおばあさん」と同じストーリーで、こちらは女の子。ちいさなちいさな、という繰り返しが楽しくて、幼い人たちに愛されている物語だ。バートンは相変わらず、グイグイとシンプルに描いていてきもちがいい。でも、訳がちょっと甘過ぎ。(ほそえ)
「しあわせの石のスープ」ジョン・J・ミュース作 三木 卓訳 (フレーベル館 2003/2005.1)
マーシャ・ブラウンも描いている「石のスープ」が、中国を舞台に3人の禅僧の話として絵本化されたもの。その成り立ちは訳者あとがきに詳しい。この語り直しで一番違うのはラストの村びととお坊さんたちのやり取りである。村人たちは「分かち合うということがますます心を豊かにするということを教えていただいた」といい、禅僧たちは「しあわせとはかんたんなこと、石のスープを作るようにかんたんなこと」とこたえる。この絵本がアメリカで、今この時代に刊行されたという意味が、きちんとつたわるといいのだけれど。(ほそえ)
「きょうはこどもたべてやる!」シルヴィアン・ドニオ文 ドロテ・ド・モンフレッド絵 ふしみみさを訳
(ほるぷ出版 2004/2004.12)
生きのいいフランスの新進絵本作家たちの絵本。フランスらしいオチのしっかりしたお話。なんともげんきんで憎めないチビわにがかわいい。自分のことを、もう大きくて一人前だ、と思っている子には、それこそ真剣な気持ちだし、ずいぶん大きくて、このチビわにのことを愛いやつと思ってしまう子には、大笑いできるつくり。表情ゆたかな絵を見ているだけでおかしい。(ほそえ)
「あお」ポリー・ダンバー作 もとしたいづみ訳 (フレーベル館 2004/2005.1)
「ケイティー」で女の子の(だけじゃないんだけれど)気持ちの揺れを色と共に見事に描き切ったダンバーが、こんどは青色にこだわる男の子を描いた。青色が好きで、犬も好きだから、青い犬が欲しいんだって。だから、青い犬ごっこをして、自分で青い犬になってみる始末。そこに本物の犬がやってきて……。どういう風に自分の気持ちを納得させてハッピーになるか。それがこの絵本の眼目。淡い鉛筆の線で描かれるバーティーのきもちがページのバック色でしっかりとわかる、絵本の構成力の確かさ。デザイン感覚にあふれた造本。やっぱり生きの良い人の作る絵本は良い。(ほそえ)
「だっこのえほん」ヒド・ファン・ヘネヒテン作 のざかえつこ訳 (フレーベル館 2003/2004,12)
だっこのえほんはたくさんあるけれど、こんなに大きく大らかに描かれているのは見たことない。かめもあひるもかにもはりねずみだって、ちゃんとだっこする。紙に太い線で描いてからザクッとカットして、背景に張り込むという手法が良い加減なラフさを作っているのかしら。ラストはお兄ちゃんになるぼくとママとお腹の中の赤ちゃんのやさしいだっこ。単純な造りだけれど、愛される造りになっている。(ほそえ)
「あっ おちてくる ふってくる」ジーン・ジオンぶん マーガレット・ブロイ・グレアム絵 まさきるりこ訳 (あすなろ書房 1951/2005.1)
あの「どろんこハリー」のコンビの初めての絵本。見開きごとに、花びらや噴水の水やりんごなどがおちてきて、皆がどうするかをやさしく絵と言葉で示します。葉が落ち、ゆきがふり、雨が降る。自然の営みが恵みや楽しみを与えてくれることもきちんと描いています。さいごは夜のとばりがおりて、おやすみなさいで終わるのかなと思ったら、おはようのあさでしめくくって、おとうさんが「たかい、たか~い」シーンにしているところがいいなあ。この絵本があったからこそ、ゾロトウの「あらしのひ」や「かぜはどこにいくの?」が出てきたのだなあと思います。(ほそえ)
「キス」安藤由希作 (BL出版 2004.11)
ライク ア リトル スター、走って行こう、きんぽうげの連作3編からなる作品。それぞれに少しづつ重なる人物が登場し、同じ時間と空間を生きる中学生なんだなとわかる仕掛け。女の子も男の子も自分の器を持て余していて、子どもじゃないけど大人でもないし、大人にもなれないと思っている。でも、キスという、生身の他者との最初の触れ合いが、自分という輪郭に少し色をつけてくれる。自分だけのことではなくて、誰かを想うということの甘やかな感じ、震えるような感じがよくわかる。ささめやゆきの挿し絵が文章の色によくあっている。(ほそえ)
「ポリッセーナの冒険」ビアンカ・ピッツォルノ作 クェンティン・ブレイク絵 長野 徹訳(徳間書店 1993/2004.11)
464Pもあるイタリアの児童文学だが、どんどん先が読みたくなる構成になっているため、厚さが気にならない。町一番の裕福で商人の娘ポリッセーナが、ひょんなことで自分はこの家の子ではないと知り、本当の両親を探しに旅をするという物語。訳者はあとがきで「家なき子」との類似や、主人公が女の子であり、一緒に旅をする少女ルクレチアが動物曲芸団をひきいていることなど、現代の物語として組み直したスタイルになっているという指摘をしているがその通りだと思う。女の子のお姫さま願望をうまく、お話をすすめる原動力にしながらも、それを軽くいなして、最後はまったくねえ、というオチと安心の場所を用意しているのが心憎い。イタリアの幼児教育、児童教育はユニークなものが多いし、そこからたくさんのお話もでてきて、読まれているはず。これからも紹介、翻訳を期待したい。(ほそえ)
『うちにあかちゃんがうまれるの』(いとうえみこ:文 伊藤泰寛:写真 ポプラ社 2004.12 1200円)
母親の大きなお腹に顔を寄せる女の子の写真が印象的な表紙から始まって、家族が新しい命を迎えるまでを撮っています。
時にユーモラスにその事実を伝える姿勢から、逆に感動が伝わってくる逸品です。(hico)
『ターちゃんのてぶくろ』(おおしまたえこ ポプラ社)
おかあさんがつくってくれたてぶくろは、みぎてがおとこのこ、ひだりてがおんなのこ。ともたぢもきにいってくれたし、とてもうれしい。
夜、てぶくろたちは、家の外に冒険に・・・。
雪の中を遊ぶてぶくろ。子どものイメージがひろがる設定ですね。
その軽やかさが、おおしまの持ち味です。(hico)
『だれかいるの?』(マイケル・グレイニエツ:さく ほそのあやこ:やく ポプラ社 2004.11 1200円)
たびねずみが見つけた家は、なんだかおばけが出そう。
だから、大掃除をして綺麗にしたら、恐くないもん、とがんばるたびねずみ。が・・・。
とてもシンプルな物語展開が、心地よさを誘います。
画は、曲線を主体としていて、そこのおばけの怖さと、見る物にとっての柔らかさを生んでいます。(hico)
『ゆう』(谷川俊太郎:文 吉村和敏:写真 アリス館 2004.11 1300円)
左からみると絵本で、右からよむと詩集という作りです。
夕暮れの写真たちが美しい作品。
その静かさと情熱が、目を引きつけます。
谷川の詩はいらないと思うのですが?(hico)
【創作】
『ぼくは、ジョシュア』(ジャン・マイケル:作 代田亜香子:訳 小峰書店 2003/2004.12 1600円)
架空の島のお話。といってファンタジーではなく、リアルな人種差別を巡る物語です。
漁村の中で主人公ジョシュアの父親は船には乗らず、肉を売って暮らしています。何故? しだいにあきらかになるのは、父親が山岳民であるらしいこと。それでも生活はうまく行ってはいたのですが、風習の違いから、父親は漁民のタブーに触れてしまい、阻害され、やがて死んでいきます。孤児になったジョシュアの運命は?
そこでのメッセージは、タイトルに尽きます。ぼくは、漁民とか山岳民とかではなく、「ジョシュア」なのだと。
とてもわかりやすい結論ですが、そこに至るまでの作業は実はそんなに簡単ではありません。だから舞台は架空の島になったわけです(作者の原風景でもあるのでしょうが)。(hico)
『イクバルの闘い』(フランチェスコ・ダダモ:作 荒瀬ゆみこ:訳 すずき出版 2001/2004.12 1400円)
パキスタン、過酷な労働を強いられる子どもたちの姿を描いています。
必死で働くことでいつか親の借金がなくなり自分は解放されるのだという、偽りの希望にすがるしかない、絨毯製造工場の子どもたち。
そこにイクバルが現れます。足を鎖でつながれる、もっとも下層の子ども労働者イクバル。しかし、彼の絨毯を織る腕は天才的。そして、彼は現実を見つめそこから解放されるための方法を模索し、みんなを勇気づけ、行動を起こす子どもです。
一人の子どもの勇気だけでは何も変わらないけれど、そうした一人が流れを作るのも確か。
ラストは苦いですが、心地よい苦さです。(hico)
『10代のメンタルヘルス9 喪失感』(アイリーン・キューン:著 上田勢子:訳 大月書店 2001/2005.01 1800円)
シリーズもあと一冊を残すのみとなりました。今回の「Loss」もまた、気付かれずに見過ごされがちな、「がんばれがんばれ」ですむと思われがちな、10代の心の痛みと彷徨を解きほぐしてくれます。
このシリーズのいいところは、ケアの前に一人一人にその心と向き合い自分自身で自分を丸ごと受け止めてほしいというスタンスがあるところ。だから説得力があるのです。(hico)
『海の金魚』(ひろはたえりこ:作 あかね書房 2004.09 1300円)
北方四島問題を巡っての物語。子どもの読者が北方領土問題を考えるためのきっかけ物語です。
冬休み、主人公広夢は、おじいちゃんの家に遊びに行きます。久さん(おじいちゃん)は色丹島の出身なのがしだいに明らかになり、彼の子ども時代の思い出が描かれていきます。
それはいいのですが、ファンタジー仕立てにする必要があったのかが疑問です。というか、そのファンタジーが、先行作品を彷彿とさせてしまうために、読みが引っかかってしまいます。
おじいちゃんの家で眠る。眠れない・・・、古い柱時計の音が一二時を打つ。音がヘンなので起きて柱時計のある部屋に行くとおじいさんがいて、廊下が伸びて、戦前の色丹島へ。そこで少年と出会い親しくなるのだが、少年は実はおじいちゃんだった。
古い時計によるタイムトリップ。出会う子どもが実は現代に生きる老人だった。
これは『トムは真夜中の庭で』の要素ですから。(hico)
『ドアーズ』(ジャネット・リー・ケアリー:作 浅尾敦則:訳 理論社 2004/2004.12 1280円)
友達とのコミュニケーション、嘘、ほんと、行き違い....。そうしたことが物語の中で繰り返し描かれていきます。
ゾーイのパパは失業します。家も失い、新しい職を見つけるまで、こっそり車の中で暮らさなくてはいけません。
親が職を求めて転地したためにゾーイは新しい学校に通うのですが、来るまでの生活をしていることは話せません。そのために、せっかくできた友達とも、ギクシャクします。相手の家に招待されたのに、自分は家へ友達をよべないのですから。
親が大変なんやからしょーがないやろ! と言われても、子ども本人にとっては切実な問題です。物語はこのあたりを実にリアルに追っていってくれます。そこが読みどころ。
もちろん、幸せな結末です。(hico)
『ふしぎの国のレイチェル』(エミリー・ロッダ:作 さくまゆみこ:訳 杉田比呂美:絵 あすなろ書房 1986/2004.12 1300円)
退屈した子ども。何か不思議が起こってほしい。そして、ヘンな世界へと入っていく。
アリスやオズなど、おなじみの骨格を持った物語構成ですから、行って戻ってくるパターンで、安心して物語に浸れます。
迷い込んだ別世界は<ブタ嵐>(『はれブタ』みたい)が起こると、みんながヘンになってしまうところ。はちゃめちゃな出来事に巻き込まれながら、自分の日常に戻るまでがおもしろおかしく描かれていきます。
さすが、この作者らしい、サービス満点の展開です。収まるところに収まるのも無理なく、気持ちよい処理で、おいしい読後感です。(hico)
『六本そでのセーター』(令丈ヒロ子 小峰書店 2004.11 1300円)
タイトルからして、つかみはOKな作品です。
おばあちゃんからのプレゼントである、六本そでのセーター。それぞれのそでに腕を通すたびに、様々な能力をはっき。
短い物語ですから、トントンと進みます。
魔力に頼ったそんな能力は結局役に立つわけでもない、という極めて真っ当なメッセージが、おもしろい読み物の中にさりげなく置かれるところは、この作者の腕。(hico)
『リ・セット』(魚住直子 講談社 2003.03)
テレビゲームだったら、途中で失敗してもリセットすれば何度でも最初からやり直せるが、人の一生は歩みだした瞬間から後戻りすることはできない。しかし、精神的な負荷や恒常的な不満を抱えてしまうと、不可能と知りながらも、現在の自分を消し去り、改めてやり直したい気分に駆られるのだ。 一歳のときに両親が離婚し、母と二人で生活している三帆。買い物の帰りに散歩していた海辺で、テント生活をしていた男に声をかけられ、それが初めて目にした父親だと知る。三帆が中学二年生だと聞かされて、男は二十年前に出会った、深夜の庭に穴を掘り、中に座っていると肉体も精神も真新しく蘇るのだという同い年の少女の話をする。少女はしばらくして亡くなったはずなのに、男は仕事先の受付でその少女に出会ったというのだ。三帆は、呪われていると衣服や文具をマンションのベランダから投げ捨てる少年と、転校することになったクラスで疎外されがちな少女を誘って、深夜に男が砂浜に掘った穴に一緒に座り、少年の提案で船を海に漕ぎ出し転覆する。
穴にうずくまるのは、胎内回帰を幻想させる蘇生のための儀式である。海に出た船の転覆からの帰還は、子どもから若者になるときの、伝統社会で行なわれていた通過儀礼を思わせる。子どもから大人への移行期の、戸惑いがちな少年少女たちのリセット願望を巧みに反映し、それぞれが抱え込んだ様々な呪縛からの解放にほのかな可能性を示唆してみせる。(「産経新聞」掲載)(野上暁)
『ペーターという名のオオカミ』(那須田淳 小峰書店 2003.12)
六年前からドイツのベルリンに住んでいる一四歳の亮。新聞記者の父の都合で、一家は急遽日本にもどることになるが、あまりに突然なので亮は父に反発して元日本語学校教師のところに家出する。そこで亮は、教師宅の大家の娘フランチェスカや、教師からチェロを習っているアキラと出会い、近くの公園で起ったオオカミ騒動に巻き込まれていく。
オオカミの群れは森で捕獲され、輸送中のトラックが横転して逃げ出したのだ。そのうちの一頭が散歩中の犬を襲って警察官に射殺され、残りの十頭も逃走中で、一頭あたり千ユーロ(約十二万円)の賞金がかけられている。フランチェスカの大叔父で寡黙なマックスが公園で拾ってきた子犬が、オオカミの子どもと判明するあたりから物語は急転する。
オオカミは群で行動し、子どもも群の中で育てられる。群を捕獲しようとする警察や猟友会の作戦に対抗し、子オオカミを群に返し森に逃そうとするマックスの企みに、亮とアキラは同行し、スリリングな冒険が展開するのだが、そこで亮たちはマックスの意外で悲惨な過去を知らされる。
西ベルリンから東の親戚に遊びに行っていたマックス少年は、突然東西を遮断する壁が作られたために帰れなくなる。その後、親友の誘いで脱出を企てるが、愛する人の安全を守るために取った行動から、親友を裏切り恋人さえ失い住民からも迫害される。子オオカミを自然に帰そうとするマックスの激情は、封印してきた忌々しい過去の呪縛の清算であり、それが少年たちの抱えた精神的な困惑からの解放にも重なるのだ。分断された国家の悲劇と、それを様々に投影した個々人の複雑な過去を巧みに織り込み、印象的な終盤に収斂させていく。難しいテーマを見事な構成で鮮やかに展開した読み応えのある力作である。
(産経)(野上暁)
『狐笛のかなた』(上橋菜穂子 理論社)
呪者の使い魔にされて霊狐となった子狐の野火は、主の命により人の喉笛を噛み切り、自らも深手を負って夕暮れの野を猟犬に追われていた。里はずれの森に、とりあげ女(産婆)の老婆と二人きりで暮している少女小夜は、瀕死の野火を咄嗟に懐へかくまい、里人の出入り厳禁の森陰屋敷に逃げ込む。そこで、幽閉状態の少年小春丸に出会った。
冒頭からスリリングである。三者三様の深い闇を背負った小夜と野火と小春丸という若い命は、領地争奪をめぐり憎しみあっている隣国の領主同士の怨念と呪術的な抗争に巻き込まれていく。
「狐笛」(こてき)とは、強力な呪者が使い魔の霊狐を自在に操る笛で、霊狐は死ぬまでその笛の音の呪縛から逃れられない。幼い日に目撃した母の惨殺記憶の封印を解かれ、自らも土着の神々から継承した呪力を持つことから、小夜は使い魔を操る呪者によって度々命を狙われる。その窮地を、主の命に背いて霊狐の野火が救うのだ。
領主の隠し子であった小春丸の跡継ぎをめぐる策謀に、たがいに敵対する小夜と野火の叶わぬ愛が様々に絡み合い、悲惨な結末さえ予感させながら物語は終盤に向かっていく。
「守り人シリーズ」で、多くの読者を魅了してきた作家の意欲作である。呪力を持つ少女と、狐笛に呪縛された子狐の愛の行方は、はたしてどうなるのか? 歯切れの良い文体が緊迫感を盛り上げ、読み手をぐいぐいと作品世界に引き込んでいく。満開の桜が白雲のように山肌をおおい、花びらが舞い散る春の野に、まるで幻影のようにのどかに繰り広げられる終章は、それまでと見事なコントラストをなし、作者の巧みな構成力に気持ちよく酔わされる。(産経新聞 野上暁)
『竜退治の騎士になる方法』(岡田淳 偕成社 2003.10)
一人きりの夕食に目玉焼きを作り、胡椒がなかったのに気がついてコンビニに買いに行ったぼくは、同じクラスの優樹とパッタリ出会う。彼女と、幼い頃は家族のように仲がよかったのに、最近は一緒に遊ぶこともなくなっていた。ぼくは咄嗟に、学校へ宿題のプリントを忘れてきたと口走ると、なぜか優樹は、だったら一緒に取りに行こうという。そこで二人は、夕暮れの教室に忍び込む。
するとそこに、「おれは竜退治の騎士やねん」と関西弁で話す男がいた。二人は、学校の観劇会にきた劇団の人だと思ったが、そうでもなさそうだ。その人はジェラルドと名乗り、突然「うそでなければ語れない真実もある」などと、芝居がかった大声を張り上げる。
ジェラルドと怪しげな会話を続けているうちに、二人は竜の話に巻き込まれていく。ジェラルドは、たいていの学校に竜はいるといい、竜退治の騎士になるには、まず「トイレのスリッパをきちんと揃える」などと何とも気の抜けた方法を伝授する。
そのうち、ジェラルドと竜の戦いがはじまる。ジェラルドのパントマイムかと思って見ていたが、そうではない。最初は優樹に、そしてぼくにも竜の姿が見えてくるのだ。剣を振りかざして必死で闘うジェラルドを助けようと、二人は滅茶苦茶にまわりの物を竜に投げつける。
竜とは、いったい何だったのか? そして竜退治の騎士とは? 現実と幻想が奇妙に入り組んで、それが読み手の内面を激しく揺さぶる。作者は、竜という空想上の怪物を、小学六年生の少年と少女の心象と重ね合わせて、エキサイティングで不思議な物語世界を展開してみせる。(産経新聞 野上暁)
『シノダ!樹のことば石の封印』(富安陽子 偕成社 2004.09)
『チビ竜と魔法の実』につぐ『シノダ!』の第二作。人間の父とキツネの母から生まれた三人の子どもは不思議な力を持っている。長女のユイは匂いや音や気配などを敏感に察知する「風の耳」、弟のタクミは過去や未来を見通す「時の目」、末娘のモエは人間以外の生き物の言葉も聞き取る「魂よせの口」。これら三人の異類ならではの超能力を巧みに織り込んだ異世界でのスリリングで痛快な物語は、エキサイティングに展開する。
両親が後輩の結婚式の仲人を頼まれて留守の土曜日。同じマンションの階下にすむ同学年の友だち優花が、ユイのところに漢字ドリルを借りに来て古箪笥のふだん開くことのなかった引き出しに吸い込まれて姿を消す。モエが見つけた金色のドングリに誘われるかのように、ユイとモエ、そしてタクミの三人も、つぎつぎと箪笥の中の異世界へ引き込まれ、巨大な石の蛇オロチによって無残にも石像化された村人たちの中に優花の姿を発見する。三人は、そこで出会った少年と館主や石工らと、すべての人間を石像にしようと企むオロチとそれを操るセキエイの執拗な攻撃に立ち向かい、ついに打ち倒して石像化された人々を開放する。
引き出しの中の奇妙な世界から現実にもどったユイは、「のりこえられない災いなんてない」とママがいっていた意味がちょっとだけわかった気がするとパパに告げる。それはまた、ユイたちの冒険をともに歩んできた読み手の感慨でもあり、物語を読み終えた快感とも重なるのだ。そして、「物語やマンガと違って、現実っていうのは、ハッピーエンドになっても、それはおしまいじゃないの。メデタシ、メデタシのそのあとにも、未来はつづいていくんだよ」とも。物語というフィクションの世界で物語と現実の違いを語らせ、現実の未来に向かった可能性を示唆して見せるのだが、これがまた後続の新しい物語を予感させるところが、エンターテイナーとしての作家の巧みさだ。
(野上暁 産経新聞)
『なんにも しない いちにち』(仁科幸子 フレーベル館 2004.10)
切り株の家に住むハリネズミと、おとなりさんの小さなヤマネ。ある日、ヤマネが散歩しようとハリネズミを誘いに行くと、「今日は何にもしない一日なんだ。いつも忙しすぎるからね」と、草の上に寝転んだハリネズミが、あおむけになったまま答える。「まったく まったく、きみの言うとおりだよ」と、ヤマネも一緒に寝転がったものの、どちらからともなく話しかけずにはいられない。気持ちのいい風に身を任せ、真っ青な空に浮かぶ雲を見てていると、ついしゃべりだしたくなるのだ。遠くの山がやっとスミレ色に染まる頃、「何にもしない一日は、どうしてこんなに疲れるんだろう」と、二人は飛び起き、思いっきりジャンプしてキイチゴのジュースをがぶ飲みする「なんにもしない一日」。
朝から雨が降り続いている日。ハリネズミは一人でお茶を飲むのはつまらないなあと独り言。おとなりのヤマネは尻尾が濡れるのを嫌い、雨の日は外に出たがらないのだ。そこでハリネズミは一計を案じ、草花を束ねたきれいな傘を作ってヤマネを誘いに行く。ところが、ヤマネは木の枝の下をすばやく移動するので、傘には雨水がたまってしまって役に立たないどころか邪魔になる。だったら雨の日だけ枝の上を歩けばいいとハリネズミに言われ、ヤマネは色とりどりの草花が編みこまれた傘をクルクルまわしながら小枝の上を跳び回る。そうこうしているうちに、ヤマネはハリネズミの家に行くのをすっかり忘れてしまう「雨の日のかさ」。
森のなかよしデコボココンビが織りなす愉快なお話し六編を収めた絵童話集「ハリネズミと ちいさな おとなりさん」シリーズの最初の一冊。何でもしたり顔のハリネズミと、「まったくまったく」と感心して相づちを打つ小さなお隣さんのコントラストがユーモラスで笑いを誘う。柔らかな色調の可愛い挿絵も、細部まで描きこまれていて味わい深い。続刊が楽しみである。(野上暁 産経新聞)
『パンダのポンポン』 (作・野中柊 絵・長崎訓子 理論社)
食いしん坊のパンダのポンポンは、町一番の人気レストランのコックさん。夢の中で食べ損なったサンドイッチを作って、なかよしの猫のチビコちゃんと一緒に食べようと家を出る。空は真っ青、気持ちのいい朝。最高のサンドイッチ日和だと、ご機嫌に歩いていくと、伊達男のキツネのツネ吉と出会う。サンドイッチを入れたバスケットを目ざとく見つけたツネ吉は、さりげなくポンポンの後を追う。つぎに出会ったのは、コアラのララコ。それからクジャクのジャッキー。ヘビの三人娘。ヤギのギイじいさん。カバのカヨおばさんと三人の子どもたち。ゾウ、キリン、ワニ、ビーバー、シカ、ワラビー、アルマジロ、タヌキ、ハリネズミと、出会った動物たちが、つぎつぎとポンポンの後について町中が大パレード。チビコちゃんの家に雪崩れ込んで、盛大な朝食大パーティーとなるが、ポンポンとチビコちゃんは、一口もサンドイッチを食べることができなかった「サンドイッチ・パレード」。
ポンポンのレストランで、ランチスペシャルがオムライスの日。カバのやんちゃ坊主たちはオムレツの部分だけ先に食べてしまい、御飯の中に混ぜ込まれた野菜をより分けて山を作って遊びだす。そのうちスプーンをパチンコのようにして、より分けたグリーンピースをお客さんの顔を目がけて飛ばしては歓声を上げる。そこにレストランのオーナーであるクジャクのジャッキーがやってきて、客とは一味違った世界一美味しいメニューを要求する。ポンポンが考え抜いて作ったのが「空飛ぶオムライス」。チビコちゃんの誕生日だと思って、とびっきり美味しいケーキを作って町中の仲間を家に呼び、チビコちゃんをびっくりさせようとしたところが、自分の誕生日だったという「紅白ふわふわケーキ」。いずれも食べ物がテーマの三話を収めた、海燕新人文学賞でデビューした作家の始めての童話集。個性的なキャラクターが賑やかに登場し、ユーモラスで祝祭的な雰囲気が楽しい。長崎訓子のイラストも見事だ。(野上暁 産経新聞)
『宇曽保物語』(舟崎克彦 風濤社 2004.07)
「伊曽保物語」といえば、仮名草子に翻訳された「イソップ物語」の和名だが、この本は「宇曽保」の題名から推測できるように、かの動物寓話集の一種のパロディー版。著者は、これまで『雨の動物園』『ぽっぺん先生の動物事典』『ぽっぺん先生のどうぶつ日記』などの作品を通して、動物たちに対する並々ならぬ造詣の深さを披露してきた。それだけに、この本に収められた寓話のそれぞれは、登場する動物たちの個性を見事に織り込み、様々な角度から読み手を巧妙に刺激する。
考える暇もなく、ただひたすら草原を駆けずり回っているミチバシリの「急がば走れ」。ワニの口の中を夢中になって掃除していた仕事熱心なワニドリは、口を開けっ放しにしているのに疲れたワニが口を閉じた瞬間、ビックリして暴れたために反射的に食べられてしまう。それとは知らず次に来たワニドリは、ワニの口の中で前のワニドリの後始末をする「そうじ屋のそうじ」。首が長いから遠くまで見渡せるキリンは、敵の襲来を教えてくれるので他の動物たちに信頼されていたが、遠くの竜巻に気を取られて、足元にライオンが襲ってきたのに気づかず逃げ遅れてしまう「善人の悲劇」。小心者のヤマアラシが、隠れ家を求めて岩山のふもとに穴を掘り始めるが、途中から方向転換しようとしたが適わず、慌てた拍子に全身の針が逆立ち、それが周りの壁に突き刺さり戻ることが出来なくなってしまう「前進あるのみ」。こういう人っているよね、なんて思ったら、自分の姿だったりして、ドキッとさせられてしまうところが、ナンセンス童話の凄みでもある。イソップ寓話集でおなじみの「ウサギとカメ」「ウシとカエル」「北風と太陽」「アリとキリギリス」なども、シニカルに、あるいはナンセンシカルに原話の教訓を巧みに反転させ、味わい深い作品に仕立て上げている。(野上 暁)
『うそか?ほんとか? 基本紳士の大冒険』(山下篤 理論社 2004.10)
基本紳士とは奇妙な名まえだが、もちろん本名ではない。ペテン師とかイカサマ師とか詐欺師とも呼ばれる一方で、歩く神様とか天才天子様とあがめたてまつられたともいうから、最初から胡散臭い。
しかも冒頭から、異常な聴力を具えた体調17,8センチで体重35,2キロという超重量級のコウモリと、338グラムの蜂蜜を食べると透明になるミツバチの協力で、二大国による核戦争の危機を回避してみせるのだから尋常ではない。
つぎに基本紳士が語るところによると、イベリア半島の洞窟に十六年以上もこもって千里眼の術を会得し、コロンブスに随行して新大陸の発見に寄与したというのだ。
まさか現代から十五世紀にと思うだろうが、そこが基本紳士。百年睡眠の技を身につけて眠りについたものの、「稀代のペテン師の墓、自らのうその発覚を恐れ、薬をもって命を絶つ。村民の厚意により、ここに眠る」の墓碑銘のもとに埋葬される。そして、やっとのことで地中から這い出すという後日談が続くから、もっともらしいのだ。これを嘘の上塗りというなかれ。虚構の中の、リアリティなのだ。
シルクロードで、落ちぶれた孫悟空の子孫と出会い、一緒に悪徳高利貸しを懲らしめて子孫の名誉を回復したというのは、なんと清の時代の話。アマゾンの大猫とともに、アメリカのある町で餓死寸前の兄弟を助けるが、彼らは衰弱しているにも関わらずなぜか食事を拒否する。それがウエイトを減らして初飛行を成功させようとした、ライト兄弟だった。などなど、いずれも嘘か本当か眉唾(マユツバ)もののエピソードが五連発。
時代も空間も難なく飛び越えて、何が基本でどこが紳士なのか疑いたくなる奇天烈な主人公の語りにより、奇想天外で気宇壮大なほら話が快適に展開して楽しめる。大道香具師の口上よろしく、あることないことを微細にかつ饒舌に語らせる口調が怪しさを増長し、それがまたユーモラスだ。(野上暁)産経新聞
『魔女モティ』(柏葉幸子 講談社 04・7)
紀恵は小学五年生。誕生日だというのに誰も気がついてくれないばかりか、こともあろうに母親からお使いを頼まれる。何で姉や弟でなくて自分なのかと、ムクレて五回目の家出を企てるものの、とりあえず泊まるところが思いつかない。公園のブランコに腰を下ろして思案していると、大きな黒猫が音もなく現れ、ある人が家族になってくれる子どもを探していると、いきなり話しかけてくる。魔女学校の教授会が、万年落第生の魔女モティを、家族と一緒を条件に独立させるというので、校長の使い魔である黒猫が紀恵に目をつけたのだ。
黒猫に誘われて、なんとも奇妙で未完成の魔女屋敷に行くと、紀恵はそこで失敗ばかりしていてサーカスをリストラされたピエロのニドジと出会う。こうして紀恵は、ピエロの父と魔女の母との、にわかづくりの怪しげな擬似家族の一員となる。この奇想天外な設定が、以後の物語展開をユーモラスで荒唐無稽に導くのだが、作者の企みはそれだけに終わらない。
無人島だと思っていた島で、翌朝なぜか人が訪ねてくる。隣に住むという少年が、朝食をご馳走してくれるというのだ。少年の家に行くと、母親はある日突然魔女になりたいと一室に閉じこもり、それ以来、家事は父親と子どもたちが切り盛りしている。落第生とはいえ本物の魔女であるモティは黙っていられない。紀恵たち三人は、それぞれ事情の異なる家族が抱えた深刻な問題に巻き込まれていく。そこに涙があり、笑いがあり、三人三様の個性が弾けて痛快でもある。
そして、家族はあらかじめ家族として存在するのではなく、構成員それぞれの思いの総和によって創造されるのだという、血縁家族を超えた家族観をベースに現代家族の迷妄をしたたかに打つのだ。(野上 暁)産経新聞
『鹿よ おれの兄弟よ』 (神沢利子/作 G・D・パヴリーシン/絵 福音館)
人間も自然の一部であり、ほかの生き物たちと"いのち"を分かち合って生きている。にもかかわらず、いつのまにか万物の長であるかのように錯覚し、自然を破壊し殺戮を繰り返している。そんなわたしたち人間の傲慢さや現代文明の危うさを、したたかに打ちのめす気迫のこもった大型物語絵本である。
シベリアの森で うまれた おれは 猟師だ
と、物語は始まる。服も靴も鹿皮で、鹿の足の腱を糸にして縫ったものだ。
おれは 鹿の肉を くう
それは おれの血 おれの肉となる
だから おれは 鹿だ
最初の場面で、主人公である"おれ"は鹿と一体化し、"おれ"が、"鹿よ"と呼びかけながら、物語はまるで叙事詩のように展開していく。
おれは鹿に会うために小舟で川をのぼっていく。シベリアの大自然を両岸に見やりながら、おれは幼少時の鹿との奇妙な出会いを思い出す。おれが、こうしていのちを繋いでこれたのも、森の主や川の主が、祖先たちに鹿の恵みを与えてくれたからだ。
森の巨木や老木も、それにまとわりつくようにおびただしく繁茂する植物や草花のそれぞれにも、まるで精霊が宿っているかのように、画家は執拗なまでに微細に描写し、それがまた自然の生命力を鮮やかにアピールしてみせる。
おれは銃を二つ折りにし、筒口を口に当て牝鹿の声を真似て音を出す。その声につられて、みごとな枝角をかかげた大鹿が姿を現し、おれはそれを射止める。そして、倒れた鹿におれはひざまづき、丁寧に皮をはいで骨一本折ることもなく解体する。こうして得た鹿のいのちが、若い妻と幼い子どものいのちを繋いでいくのだ。
大鹿を倒した後に続く見開きの、満月のもとで蛇が鎌首をもたげ、虎が牙をむく異様な光景は、あたかも自然の魔性が湧出したかのようで秀逸だ。雄大な自然の中で繰り広げられる、生きとし生けるものの生と死のドラマが、端正で詩的なテキストと、克明に描き込まれた濃密で呪術的ともいえそうな画家の描写力により、読む者の心に強烈な印象を残す重厚な絵本でもある。(野上暁 子どもプラス)
【ノンフィクション】
『ねじれた家 帰りたくない家』原田純 講談社
進歩的知識人の父親と娘の葛藤の記録
中学生時代に全共闘運動にかかわったという一九五四年生まれの著者が、両親との軋轢から生じた悪戦苦闘の少女時代を克明に振り返り、トラウマのようになったその桎梏から自身を解き放っていく苦渋に満ちた過程を綴った魂の軌跡である。
父親は著名な編集者であり、ベトナム戦争の脱走米兵を自宅に匿ったこともある、いわゆる進歩的文化人である。既に婚約者がいた父親が家族の反対を押し切って婚約を解消し、同じ出版社で経理部にいた母親を口説き落とすために、母や同僚の目の前で杭が何本も突き出ている池に飛び込んで愛情を証明するという熱烈な求愛をしたという。
母親は生真面目な潔癖症で、著者の出産のときも、陣痛が始ってから家中くまなく掃除し洗濯して、それから風呂に入り、家の中に汚れ物を一切残さず産院に行ったと子どもたちは度々聞かされていた。
共産党員だった父は母親も入党させ、しばしば家で細胞会議が開かれる。家庭は「革命の砦」であり「革命思想の実践の場」だというのが、その頃の父の考え方だった。細胞会議が終わったあと、著者は書類の入った大きな風呂敷包みを他所へ届けに行く父のお供をさせられる。子ども連れだと怪しまれないというのだが、著者にはそれが父と一緒の大冒険のようで胸が躍る。しかし、少しでもはしゃいだ様子を見せると、「これは命がけの闘いなんだ、遊びじゃないんだぞ」と父親に叱られるのだ。
三、四歳の頃、家の近くに紙芝居屋さんがくるが、清潔好きの母は駄菓子を買うことなど許すはずがない。見かねた友だちが駄菓子をくれようとすると、「ばい菌だらけで汚い」とか「赤痢菌がいっぱいだよ」などというので、仲間はずれにされる。友だちから粉末ジュースをもらって、断りきれずに舐めたのが母親に見つかり、くれた友だちまで叱られてしまう。安全で清潔な食べ物は家で作ったものだけだと信じている母は、出来合いのおかずも信用しなので、コロッケも隣に住む祖母に買ってもらう。
小学校に入学して始めてもらった通信簿を、父親に見てもらいたくて夜遅くまで帰りを待っていた。「ねえねえ、すごいでしょ。ほとんど五だよ」というと、「人間の価値は成績で決まるものじゃない。ちょっとばかり成績が良かったからといって、そんなことを自慢するな」と、怖い顔をしてにらまれる。
革命思想に染まっていた父親は、媚びたり甘えたり着飾ったりする女性を軽蔑していて、妻が口紅をつけるのさえ許さず、肌が露出しすぎると半袖を着るのも容認しない。父の言葉を真に受けていた著者は、女の子らしく振舞うよりも、男の子と取っ組み合いの大喧嘩をして得意になっていた。
いささか特異な家庭のように見えるかもしれないが、敗戦直後の革命的気運の中で学生時代を過ごした世代には、共通した民主主義的建前や硬直化した革命思想の残滓が、程度の差はあるものの、家庭や子どもの教育に少なからぬ陰影を刻しているようだ。著者と著者の父親のちょうど中間の世代にあたる筆者が、子ども時代を過ごした長野の田舎町でも共産党の影響力が強く、父親がシンパだったこともあり周囲に党員がたくさんいたので、少なからぬ思想的な影響を受けたりもした。大学進学で上京した六〇年代の始め頃、筆者自身もシンパとして学習会に呼ばれたり、深夜にビラ貼りをしたりした頃のことを思い出すと、克明に描かれている状況やそこで交わされる会話もよく理解できる。
著者が中学生のとき、両親を早く亡くしたために定時制に通いながら妹弟の生活を支えていた同級生の兄が、車の運転ミスで小田急のロマンスカーに激突死するという事故がおきた。遺族が賠償金を払わされる羽目になり、それを減額してもらうための署名運動を著者はクラスで提案する。酔って帰った父親はその話を聞くと、「思い上がるな」と冷酷に対応する。
母親を軽蔑し父のようになりたいと思っていた著者は、次第に父親にもことごとく反抗するようになり、父親はまた著者を殴ったり蹴ったりと暴力で対応する。そして著者は、父も母も殺したいとさえ思うようになる。両親を透過して見る大人社会の欺瞞にいたたまれなくなってきたのだろうか。新宿のフォークゲリラの集まりに参加したのがきっかけになり、仲間と一緒に全国中学生共闘会議を結成し、反戦運動にかかわるようになる。その後なんとか高校に進学するが中退し、家に帰りたくないばかりにアルコールに溺れて様々な男と一夜を共にし、しばらく同居していた男の子どもを宿して堕胎する。両親に家に連れ戻された著者は、しばらくして「労働の喜びを学べ」という父親の指示で、北海道のヤマギシ会の牧場で生活することになるが、それも長続きせず、著者の彷徨はまだまだ果てしなく続いていく。
戦後の市民運動を担ってきた父親とその娘の精神的な葛藤の記録であり、父親から家族からの困難な自立の道程を、子どもの立場から克明に描いたドキュメントでもある。そして"子どもという制度"のもたらす桎梏を、どこで断ち切るかが哀切に綴られる。革命思想や進歩的な思想といわれるものが、家庭や家族という第一義的な人間関係のなかに投影したものは何だったのか? 幼くして父親の思想的薫陶を受け、その影響からか六〇年代から七〇年代にかけての政治の季節を伴走してきた著者の、三〇年後にして語られる貴重な同時代の記録としても興味深く読める。(『子どもプラス』掲載)(野上暁)
アンナは車いすを使っている障害者です。でも、ソックスをはいたり、ズボンに足をとおしたりは出来ます。
そんなアンナが、初めてのおつかいで体験したことを描いた絵本が『わたしの足は車いす』(フランツ・ユーゼフ・ファイニク作 フェレーネ・バルハウス絵 ささき たづこ訳 あかね書房 千四百円)。
おつかいなんて退屈だと思うかもしれないけれど、彼女にとっては大冒険です。
アンナは周りの人々反応に驚きます。車いすに興味を持った女の子がいたのですが、母親はその子をひっぱって、アンナから離れて行ってしまいます。ジロジロと見るのは差別だと思っているのです。車いすに乗っている人と初めて出会った子どもが、興味を持ってジロジロと見るのは自然なことです。母親の過剰な反応は、子どもが車いすに乗っている人を理解するための切っ掛けを奪っています。
やっとたどりついたスーパーでは、店員たちは気を遣って、アンナが買いたい品物を取ってくれます。そんなことは自分でできるのに!
だからアンナは、「わたしはほかの子とおんなじよ」と言います。
そんなアンナのプライドは、よくわかります。けれど、そこで終わってしまっては、本当の理解は生まれてきません。
アンナは、おんなじではなく、違っているのです。そして、違っているそのままの自分をアピールすることが大事なんだと、この絵本は教えてくれます。(hico)
読売新聞2004.12.27
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【評論】
「『少年倶楽部』の笑い話」(選・解説/杉山亮 講談社 2004.02)
一九一四年に創刊され、六二年の終刊まで半世紀近くに渡って刊行された『少年倶楽部』は、昭和戦前期の子どもたちを圧倒的に熱中させた月刊誌である。「のらくろ」や「冒険ダン吉」などの連載漫画や、「神州天馬侠」「鞍馬天狗」「敵中横断三百里」「亜細亜の曙」「あゝ玉杯に花うけて」などの読み物は今でも広く語り伝えられ、戦後のサブカルチャーにも多大な影響を与えてきた。その投稿欄の、「笑話」コーナーに掲載された作品を、「昭和初期」「昭和十年代」「戦時下」「戦後」の四期に分けて、当時の体裁のままに再録したのが本書である。
子ども雑誌の投稿欄は明治期からの子ども雑誌の伝統で、読者の継続性を高めるとともに、読者と編集部をつなぐ双方向の場として、そこでのやり取りが編集内容にも様々に反映させるためのシステムともなっていた。『少年倶楽部』も、創刊号から読者の作品を募集する。そこには、「和歌」「俳句」「なぞなぞ」「通信」などとともに、「一口笑話」があった。当初は、正月号で「お雑煮」、二月号で「初午」といったように、季節ごとの課題があったが、途中からそれはなくなる。時代とともに変わっていくテーマや笑いの質的変化が、半世紀に渡って通観できるのが本書のねらいでもあるが、それが今日の攻撃的で刺激的な笑いと一味違った、のどかな大らかさに彩られていて微笑ましい。
解説者は、掲載される笑いについて、下ネタがない、駄洒落や言葉遊びで笑いを取ることがない、いじめを感じさせる陰湿な笑いがない、素材やテーマに共通の物語が感じられるなどと、その特徴を分析してみせる。そして子どもたちの笑いの質が、同誌が終刊した六二年、高度経済成長の真っ只中で、テレビの受信契約数が一千万台を超えたあたりから急速に変質してきたことを見逃さない。子どもたちが投稿した半世紀近くの膨大な笑い話をセレクトし、その変遷をたどりながら、ユーモラスな作風で子どもたちに大人気の作家でもある解説者は、多様で豊饒なメッセージを懐かしい笑いとともに現在に伝えてくれる。
(野上暁)産経新聞
『『少女の友』とその時代――編集者の勇気 内山基――』(遠藤寛子 本の泉社)
著者は、一九三一年に『少女の友』の主筆となり、同誌の黄金時代を築き上げた編集者の内山基に寄り添いながら、彼が主筆時代に『少女の友』で起用した作家や画家とその作品を、周辺エピソードを交えながら紹介していく。戦時体制に向かって暗雲が立ち込める時代相の中で、それらがどう変わっていったか。少女時代に同誌の熱心な読者であったという著者は、内山主筆の遺族や関係者に取材しながら、当時の『少女の友』の変容を克明に描いてみせる。
『少女の友』は、一九〇八(明治四一)年に実業之日本社から創刊され、五五年に終刊するまで続いた二〇世紀前半を代表する少女雑誌であった。主筆とは、新聞や雑誌で、社説や論説を主席で執筆する記者を指すが、戦前の同誌は主筆制度をとっていて、主筆は編集長と同様な立場を保持していたようである。雑誌は、編集長が交代すると編集方針が変わり紙面も一新されることが少なくない。それだけ雑誌というメディアにとって、編集長の権限は絶大で紙面作成への影響力が大きい。『少女の友』の場合も、例外ではなかった。
『少女の友』には、以前から読者と編集部を結ぶ通信欄「友ちゃんくらぶ」があり、主筆となった内山はそれを強化するとともに、読者の集会「友ちゃん会」を各地で開催して、読者と直接交流した。それが同誌と読者との関係を濃密にし、終刊して四〇年以上も過ぎてからも、かつての読者がまるで同窓会のように参集して「内山主筆を語る会」が開催されたりしているのだ。また、「友ちゃんくらぶ」には文芸作品投稿欄があったようで、そこでの成績優秀者には銀の腕時計が贈られて、主筆と直接会話が出来る「緑の部屋」に参加できたという。この「緑の部屋」の投稿者同士のネットワークも、読者の連携を緊密にしたのだろう。本書の著者を含むかつての読者有志らがはじめた『少女の友』復刻版実現のための署名呼びかけも、この本には紹介されている。
内山基の編集者としての最大の功績は、中原淳一の優れた才能を見出して、『少女の友』に登用し、彼を当時のトップイラストレーターであり斬新なデザイナーに育て上げるとともに、松本かつぢらの抒情画家を起用して紙面を飾ったことであろう。中原は頻繁に編集部に現れ、内山に絵を見てもらったり、カットや挿絵や付録の仕事を受けながら抒情画の腕を磨いていった。そして三五年一月号から同誌の表紙を担当し、夢二をモダンにしたような独特な抒情画と、彼のデザインによるハイセンスな付録が少女たちを魅了し熱狂させたのだ。巻頭のカラー口絵や、本文中に収載された、中原淳一や松本かつぢのイラストや付録などの図版からも、少女たちを夢中にさせた雑誌の熱気が伝わってくるようだ。
内山はまた、川端康成の少女小説「乙女の港」に中原淳一の挿絵をつけて連載し、それが大評判になったことから、その後も「花日記」「美しい旅」などの川端の長編を、中原の挿絵で連載して、いずれも好評を博したという。しかし、圧倒的人気で同誌の柱ともなっていた中原淳一に、当然のことながら他誌からの依頼が殺到する。それを内山が窓口になって断り続けたというが、次第に不満を抱いた中原は、四〇年春に渡米の計画を立てて、それを機に『少女の友』を去ろうと思ったらしい。そこに内務省から「執筆禁止命令」が出たと著者は記している。戦争に向かって国家統制が子ども雑誌にも様々な制約を強いていく困難な時代であった。同年三月には、不敬な芸名やカタカナ芸名が禁止され、国民精神総動員本部が東京市内に「ぜいたくは敵だ」の立看板を設置した年でもある。中原の表現する憂いに満ちた少女の表情や、しなやかな姿態が健康的でないとでも思われたのだろうか。描かれた少女たちのファッションが贅沢に映ったのだろうか。著者は、中原に下された「執筆禁止命令」の実態に、も
う少し具体的に迫ることはできなかったのだろうか。それにより、戦後の中
原が当時の作品集を刊行するにあたって、なぜ内山の名前を伏せ続けたかの
疑問も解けてくるのではないか。本書のテーマである「編集者の勇気」にも
関わってくるだけに、その点がいささか残念でもある。ともあれ、中原淳一
の抒情画が紙面から突然消えたために、編集部には七千余通の抗議のはがき
が殺到したともいうから、その人気の程がわかる。
子ども雑誌というと、日本児童文学の芸術的伝統の証でもあるかのように、
いまだに『赤い鳥』ばかりが喧伝されている現在である。そのような中で、
都会の少女たちのちょっと背伸びしたハートをとらえ、ハイセンスな少女文
化を発信した『少女の友』とその時代を追った本書は、子ども文化史の空白
を埋める貴重な証言資料でもある。(野上暁 「図書新聞」)
『図説 子どもの本・翻訳の歩み事典』(柏書房)
子どもの本に限らず、日本の出版文化は欧米諸国の著作物の移入と翻訳か
ら計り知れない影響を受けてきた。毎年フランクフルトで行なわれる国際ブ
ックフェアーや、ボローニャ国際児童図書展での、日本の出版社に対する積
極的な版権売り込みを目の当たりにすると、今日でも我が国は欧米出版物の
最大輸入国であることが強烈に印象付けられる。
この本は、二〇〇〇年五月、東京上野にできた国際子ども図書館の開館記念
として催された「子どもの本・翻訳の歩み」展をもとに、それをさらに発展
させてまとめた労作である。記念展示そのものは、スペースの制約もあって
いささか物足りなかったが、この本ではそれが大幅に拡充され、日本の児童
文学翻訳史としてこれまでにないユニークな本に仕上がっている。
編者の一人である佐藤宗子は、翻訳は創作以上に時代の子ども観を反映して
いるのではないかと述べているが、完訳、翻案、抄訳、再話といった翻訳の
さまざまな在り様を時代の変化と読者との関わりの中から読み解いていくと、
それが如実に浮かび上がってくる。
本文は明治期の「子どもの文学の誕生」から、「成長する子どもの文学」「
花開く時代」「広がる子どもの本」「戦争をはさんで」「「近代」から「現
代」へ」「「現代」の出発」「変化の波」と、日本の児童文学の流れを基準
にして一九七九年までを八章に区分し、日本語化された代表的な海外作品に、
時代を象徴する国内の児童文学作品を挟み込みながら九六二点紹介する。そ
のそれぞれの作品解説が、短文ではあるが要を得ていてなかなか読ませる。
後半は「翻訳児童文学データ集」「翻訳児童文学関連施設紹介」「翻訳児童
文学出版年表」と続き、児童文学や児童文化研究者にはなかなか重宝な本で
あろう。
とはいえ、疑問に思える点も少なくない。タイトルに「子どもの本」とあり
ながら、膨大に出版されてきた翻訳絵本が全く省かれている。ならばなぜ「
子どもの文学」としなかったのか。また、「図説」とか「事典」という表現
にも疑問を感じる。同じ版元から昨年出版された、ピーター・ハントの『子
どもの本の歴史』が、随所にカラー口絵を挟み込み豊富な図版を大きく紹介
しながら、世界の子どもの本の流れを楽しく見せていたのだが、このような
優れた手本があるのだから、「図説」と題するならもう一工夫も二工夫もで
きたのではないか。「紙上シンポジウム」というのも、理解しがたいものが
ある。巻末の「翻訳児童文学出版年表」は、本文で紹介しきれなかった翻訳
作品を補充するものかと思って読むと、本文の紹介作品を年代別に表にした
だけで、これではページの無駄使いだ。
本文中に唐突に入っている石子順の「映像に"翻訳"された外国児童文学」の
「児童文学は子ども映画の大きな供給源となってきたから、欧米各国のたい
ていの児童文学は映像化されている」という記述にはまったく呆れてしまっ
た。こういういい加減な記述を容認しては、本そのものの信憑性に関わって
くる。せっかくの意欲的な企画であり、たいへんな労作であるだけに惜しま
れてならない。(野上 暁 週刊読書人)
『こころが織りなすファンタジー 安房直子の領域』(藤澤成光 てらい
んく)
没後十年を過ぎてもなお、ますます光彩を放つ安房直子の、本格的な作家
作品論である。
一九七〇年、「さんしょっ子」で日本児童文学者協会新人賞を受賞したと
き以来、たまたま同年生まれだという親近感からか、遺作となった『花豆の
煮えるまで―小夜の物語』まで、新刊が発売されるたびに興味深く読んでき
た。それだけに、九三年二月末、突然の訃報に接したときの欠落感は大きか
った。『日本児童文学』同年一〇月号の追悼特集「安房直子の世界」では、
「風と木の歌」を中心にした小論を寄稿したが、彼女の作品世界に通底した
曰く言い難い深い闇のイメージは何に由来するのか、それが澱のように今日
まで心に引っかかっていた。
この本の著者・藤澤成光は、彼女が生涯に残した作品を可能な限り丹念に
蒐集し、それを特異な数量分析によって解読して、安房文学の深淵を鮮やか
に穿ち、秘された心の闇を照射してみせる。それはまた、筆者が長年抱えて
きた疑問をも氷解させるものでもあった。
著者が安房作品を読み始めたのは彼女が他界してからで、それさえも文庫
本の略歴で知ったのだという。その距離感が、安房直子という作家の生涯と
作品を一つの建造物のように俯瞰させ、その全体像の内部構造分析を数量的
に解析する方法論を可能にさせたのであろう。
著者が綿密に調査蒐集した安房直子の創作による作品数は、全部で二六七
だという。そのうちの七〇編が神隠し(人さらい)系の作品だと著者は分析
してみせる。しかしそこでは、巧妙に悪のイメージがかき消されているのだ
が、作品を俯瞰してゆけば、何らかの悪の要素を少しでも含まずに成立して
いる作品を探し出すのは難しいと著者はいう。そして、「もし悪というもの
を深部において描き続ける作家でなかったなら」安房作品の言葉を生活の中
心に据える人々は現れなかっただろうとも述べている。
二〇年間勤めた教師を辞めた後に、安房作品に突き動かされ、この人の作
品を読み続けていけば塾が成立すると判断して実践を始めたエッセイストの
武田秀夫。「きつねの窓」との出会いをきっかけに、安房作品の朗読を続け
る女優の秋元紀子。公演の演目に必ず安房直子の作品を加える朗読家の川島
昭恵。秋元も川島も、なぜ安房作品かと問うと、「やさいいから」という答
えが返ってきたという。どうして安房作品が、このように「行動を促す力」
を持ち、「未来を生む時間への信頼を瞬時に植えつけるのだろうか?」とい
う著者の疑問は、安房文学の緻密な数量的構造分析に向かわせる。
主な登場人物が名前を持たない作品が、全作品二六七編中のほぼ半数にあ
たる一三四編。死の影を濃厚に感じさせる作品は四三編。結婚を持ち込んだ
作品は四七編。母の物語は八八編に対して、父の物語は四〇編というように、
「悪」「名前」「「死」「結婚」「母」「父」などをキーワードに全作品を
対象にした綿密な数量分析はなかなか見事である。そして、安房直子が残し
た単行本未収録の作品やエッセイはもちろん、講演録や関係者の証言をも丁
寧に拾い上げ、これまでの記された作品解説や作家作品論を対照させながら、
作家の内面に沈潜していた「語れない謎」を次第に炙り出していく。
安房直子は、自分の作品を常に文学として読まれたいと近しいものに語っ
ていたという。大学生の頃に「向日葵」という純文学作品を文壇への登竜門
と目されていた雑誌に発表し、それなりの評価を受けながら童話の世界に向
かったのは何故か? 著者は「文学の想像力を始動させることになる彼女の
心の深淵に巣くう困難が、彼女の実人生のあまりにも幼いころに起こったか
らではないだろうか」と推察する。日常生活においては解決不可能な、外部
にはそのままの形で持ち出すことのできない困難に、方向性を与えたのがフ
ァンタジーだったのではないかと著者はいう。「安房直子は、作品を書いて、
自らの心の深淵を、たわめ、いやし、乗り越えた。彼女には、おそらく他に
方法がなかった」とも。
「童話の形をとることによってしか存在し得ない、類い希な〈幼さ〉の中に、
およそ文学がかつて人間達に対して持っていたもっとも根源的な効用が、今
なお、きちんと昔のままの姿で残っていたのである」という結語の、「類い
希な〈幼さ〉」という規定の仕方には疑問符を投じながらも、希薄化しつつ
ある子どもの文学の今日的な可能性に一石を投ずるものであるのは確かであ
る。(野上暁)
『編集とはどのような仕事なのか 企画発想から人間関係まで』(鷲尾賢也
トランスビュー 2004.03)
景気は上昇に転じたとはいえ、出版界は七年連続で対前年売上げがマイナ
スとなった。雑誌や書籍の販売総額は下落を続け、これまで売上げを下支え
していたコミックスさえも低落気味だという。出版の危機が叫ばれて久しい
が、一向に上向きの気配は見えてこない。そのような恒常的ともいえる出版
不況の中での、ベテラン編集者による編集者論である。
著者は業界最大手の講談社で、「週刊現代」編集部を出発点に、「現代新書
」やPR誌「本」の編集長を経て、「選書メチエ」や「現代思想の冒険者た
ち」「日本の歴史」などのユニークで刺激的なシリーズを創刊し、昨年取締
役を退任したばかり。大出版社で役員まで勤め上げた著者だから、これまで
の編集者論にありがちな良書至上主義的な理想論とはひと味もふた味も違う。
今日の出版界が抱えた多様な問題点を視野に収めながら、編集者の仕事の在
り様ばかりか、その可能性や本作りの裏ワザまでも鮮やかに紹介してみせる。
編集者ほど、人間が好きでないとやっていけない職業はないと著者はいう。
百人百様の様々な人たちとネットワークを組み、本という商品を仕上げて世
に送り出していくのだから、フットワークのよさやコーディネーターとして
の才覚も要求される。「三人寄れば文殊の智恵」のことわざではないが、人
と人を結び合わせ新しい可能性を見出していくエキサイティングな仕事だと
も著者はいう。これまで、文芸編集者による回顧や交遊録のようなものはた
くさん出版されてきたが、人文系編集者ならではの視点がここにはある。書
名や帯の文章からは、現役編集者や志望者への解説書のように思われそうだ
が、出版人はもちろん、本好きの人には興味津々の話題が盛り込まれていて、
なかなか奥行きが深い著作である。(野上暁)
『マンガ学への挑戦 進化する批評地図』(夏目房之介 NTT出版)
およそ四十年近く前、筆者が子ども雑誌の駆け出し編集者だった頃は、今
日のようにマンガが大学で講じられたり、学会が発足したり、大学院生の研
究課題になるなど夢にも思わなかった。マンガが論じられるのは、もっぱら
子どもへの悪影響を思い量ってのことで、教育関係者からの発言が多かった。
それに対し送り手としては、波多野完治や滑川道夫らが唱えた読書を主食と
する「マンガおやつ論」で防戦するという情けなさだった。
そこに、一九六七年、藤川治水の『子ども漫画論』と石子順造の『マンガ
芸術論』が相次いで刊行され、赤瀬川原平の表紙による季刊のマンガ評論誌
『漫画主義』が創刊される。学生時代に白土三平やつげ義春の作品に出会い、
それらを小説や現代詩と同列に論じ合っていた筆者らの世代は、まさに欣喜
雀躍して貪り読んだものだ。
"進化する批評地図"と副題されたこの本は、「日本のマンガ批評は教育的
影響論から脱し、自立したマンガ分野の批評段階に入った」と当時を位置づ
け、一九六〇年代の貸本劇画から月刊ガロへの流れに注目してそこに研究批
評の対象を見出した人々として、藤川、石子のほかに、尾崎秀樹、鶴見俊輔、
佐藤忠男らを上げている。鶴見、佐藤は、六九年から刊行された『現代漫画
』全一五巻(筑摩書房)の編集にかかわり、尾崎は後に『現代漫画の原点』
を刊行している。
著者は、六〇年代後半に登場したこれらのマンガ批評を、それまでの"教
育論的マンガ論"に対して"大衆文化論的マンガ論"と位置づける。そして、
彼らの外在的なマンガ批評に対して、自らがマンガ世代であった団塊の世代
以降の、村上知彦、米沢嘉博、亀和田武、中島梓らのマンガ批評を"〈私語
り〉のマンガ批評"と命名する。ここで、「マンガは社会のもの」から、「
マンガはぼくら(作者=読者)のもの」という、外在的なものから内在的な
ものへと転位をとげたと著者は言う。その延長上に、この本の著者の夏目や
四方田犬彦の"マンガ表現論"を位置づけた"批評言説史"の瓜生吉則など、九
〇年代後半以降、大学院の博士課程でマンガを専門に研究対象とする、宮本
大人、吉村和真らが登場するというのが、著者による今日までのマンガ批評
史の大まかな見取り図となる。
この本では、かつて「BSマンガ夜話」で岡田斗司夫が問題提起したとい
う、「マンガはだれのものか?」という問いが執拗に繰り返えされている。
それが、マンガという表現の特異性を炙り出すキイワードとなり、マンガと
いうメディアの入り組んだ構造を解き明かす糸口ともなるのだ。もちろん作
品そのものは作者のものであることは自明だが、出版されたときそれは版元
に所有され、それを読者が買って読まれなかったらマンガは存在しえない。
つまり読み手の意識の中に作品の痕跡を残さない。
アメリカのコミックスなどとは違って、作家性が濃密でありながら読者と
の往還関係も他のメディア以上に緊密な日本のマンガは、作家の創造性と同
様な密度で作品の趨勢さえもが読者の意向によって変形されていくというこ
とも少なくない。それが日本のマンガの他に類を見ない特性であり、今日の
マンガ文化を培ってきた最大の要因でもあった。そこで軸足を消費者の側に
傾けると、「読者のものとしてのマンガ」という観点が生まれたり「作者・
読者の合作」という考え方が生じ、それがまた批評の根拠にも関わってくる。
だからこそ、著者は「マンガはだれのものか」と度々問い返すのだ。
それはまた、劇画の工房やプロダクションによる集団制作システムの成立
とも重なるものだが、とともに作者と読者の媒介項となって機能したマンガ
編集者の特異な存在がクローズアップされる。新人発掘から育成、身の回り
の世話やスケジュールの調整、企画の立ち上げから原案出し、作家の代理人
的な役割など、マンガ編集者は、マネージャー、ディレクター、プロデュー
サー、エージェントといった多様な役割を担ってきた。「世界的にも、これ
ほど親密で完備した作家補完制度はない」だろうし、これまで語られてこな
かった日本のマンガ制作システムの秘密といっていい部分だと著者はいう。
商品としてのマンガとその市場の特性、マンガの影響論や法的規制の問題
点、コミック著作権の内外比較などと、その社会的な広がりも視野に納めな
がら、多岐にわたってマンガとマンガ批評の現状を俯瞰してみせる展開は見
事である。終章の「あらたなマンガ論の枠組み」では、"日本マンガ固有文
化論"とともに、鳥獣戯画や北斎にルーツを求める伝統的な"マンガ起源論"
の危うさを照射し、異文化混交の越境的な現場の中にマンガを位置づける。
そして、想定されるマンガ論の枠組みを、五つのモデルに分けてその模式図
を提示する。"マンガ学"の現在とマンガ研究の可能性を今後に向かって大き
く押し広げる力作である。(野上暁)「図書新聞」
『魔法使いになるための 魔法の呪文教室』
ビアトリス・フィルポッツ=文 ロバート・イングペン=絵 神戸万知=
訳 東洋書林
『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』が、二百九十万セット(五百八十万
冊)という前代未聞の初版部数で発売された。じわじわと部数を伸ばしてい
くのとは違い、発売前からの異常ともいえる一点集中は、今後の出版と流通
システムに禍根を残しはしないかと危惧感を抱かざるを得ない。しかし、こ
ういう趨勢だからこそ出版可能になる書物もある。この本もまた、そういっ
た一冊だが、便乗書とは一線を画す濃密な内容である。
「魔法使いの起源は、人類とほぼ同じ」と、本書の第一部「呪文の歴史」は
書き起こされる。古代エジプトのピラミッドに残された呪文から始まって、
魔法の歴史や技法が様々なエピソードとともにビジュアル中心で展開する概
説書。『指輪物語』のガンダルフから、ル=グウィンの『ゲド戦記』のゲド、
映画『スターウォーズ』のヨーダ、フィリップ・プルマンの「ライラの冒険
」シリーズの登場人物たちなどと、ハリ・ポタの老賢人タイプの大魔法使い
ダンブルドア校長を系譜つけて見せるあたりも、なるほどと思わせる。
第二部は「魔法の実践」、第三部は「目的別の呪文」。「魔法の儀式」「
知恵者」「秘密結社」「護符・魔よけ・お守り」「魔法使いの杖」「大道具
・小道具」「水晶と鏡」「魔法円」などなど、お決まりのキイワードやアイ
テムが見開きワンテーマで薀蓄たっぷりに解説されていて便利だ。
ともかく豪勢な本である。まず、豊富な図版の数々に圧倒される。この本
のためにイングペンが丹念に描き込んだ挿画には、さりげなくフェルメール
が混入するなどの遊び心もまた楽しい。アーサー・ラッカムの幻想画を始め、
魅力的なイラストの数々が大判の場面いっぱいに展開する。これで二千八百
円は、ハリポタの四千二百円に比べると安くてお買い得。ファンタジーファ
ンはもちろん、ハリ・ポタなど昨今の翻訳ネオ・ファンタジーブームを支え
る読者にも必読の一冊といえよう。(野上暁)産経新聞
【エッセイ】
2003年の子どもの本から(JBBY)
今年度上半期の芥川賞に、当時十九歳の綿矢りさと二十歳の金原ひとみの、
いずれも若い女性作家が受賞したことで大変な話題になった。受賞作品の『
蹴りたい背中』と『蛇にピアス』は、それぞれ大ベストセラーになり、受賞
作を掲載した『文藝春秋』は完売して、雑誌では異例の重版までし、同誌と
しては最高の発行部数を記録したという。
綿矢は、受賞時のインタビューで、子ども時代にカニグズバーグの『クロー
ディアの秘密』が好きだったと答えていたのだが、それを紹介したメディア
は皆無に等しく、太宰治に熱中していたことのみが紹介されていた。
重版したという『文藝春秋』三月号の受賞者インタビューで綿矢は、子ども
の頃に『ぐりとぐら』などたくさん絵本を買ってもらい、小学校の低学年で
は、江戸川乱歩の「少年探偵団」ものに夢中になり、五年生ぐらいのときに
読んだ『クローディアの秘密』が大好きだったと告白している。金原ひとみ
の場合も、父親が海外児童文学の翻訳者であることから、児童文学からの文
学的影響は少なからずあったものと想像できる。実際、児童文学作家の芝田
勝茂は、自身の作品『きみに会いたい』に対して、小学六年生当時の金原か
ら熱烈なファンレターをもらったということをホームページで紹介していた。
七〇年代の子どもの本隆盛期からその余韻がまだ残っていた八、九〇年代に
子ども時代を過ごした二人の作家の読書体験が、作品傾向に微妙な影響を与
えていると読み取ることも可能なのだが、そこに言及する記事も皆無であり、
子どもの本に対するメディアの一般的な反応の希薄さを如実に物語っている
ようで象徴的であった。とはいえ、子どもの本は、様々に意欲的な作品を多
様に送り出してきている。昨年一年間の、筆者の目に留まった作品を中心に
眺望してみよう。
芝田勝茂の『きみに会いたい』(あかね書房)は、九五年に刊行された作
品で、少女の内面の孤独な心象が世界に敵対するという緊迫力の強いメッセ
ージを秘めたものだったが、その延長上に芝田勝茂は、九七年『進化論』を
発表して主人公たちを未来世界で国家と激しく対峙させてみせた。そして昨
年から今年にかけて、八一年に刊行した『ドーム郡ものがたり』(福音館)
を全面改稿して、戦争と平和をテーマにした硬質なファンタジー、新『ドー
ム郡ものがたり』と『虹への旅』(いずれも小峰書店)を出版した。
〇二年一〇月、「ハリー・ポッター」シリーズの第四巻『ハリー・ポッター
と炎のゴブレット』(静山社)の邦訳が、分売不可の上下二冊で二三〇万セ
ットという驚異的な発行部数で刊行されたことが象徴しているように、児童
書は空前の翻訳ファンタジーブームである。『ダレン・シャン』(小学館)
や『デルトラ・クエスト』といったネオ・ファンタジーシリーズも、ミリオ
ンセラーを驀進している。このような中で、芝田勝茂のメッセージ性の強い
創作ファンタジー作品の改稿復刊には意義深いものがある。
上橋菜穂子は、〇三年二月に「守り人」シリーズの第五作『神の守り人』来
訪編と帰還編(偕成社)の二冊を刊行し、同時多発テロ以降の、平和を口実
に戦争という大量殺戮を容認しかねない状況に、重厚なファンタジー作品で
一石を投じた。そして上橋は、『狐笛のかなた』(理論社)で、領地争奪を
めぐる隣国の領主同士の怨念と呪術抗争を背景に、人と動物を超えた異類間
の若い命のひたむきな愛を謳い上げてみせた。たつみや章は、『月神の統べ
る森』(講談社)に始まる長編四部作の外伝として、『裔を継ぐ者』(講談
社)を刊行。独特な古代史ファンタジーに果敢にチャレンジして見せた。柏
葉幸子の『ブレーメンバス』(講談社)は、ちょっと不思議でミステリアス
な短編ファンタジー集。岡田淳の『竜退治の騎士になる方法』(偕成社)は、
学校を舞台に現実と幻想が入り組んだ世界で展開する奇妙な戦いを魅力的に
描いて見せた。香月日輪『妖怪アパートの優雅な日常①』(講談社)は、様
々なお化けと交流する荒唐無稽な世界が楽しく続編が楽しみだ。
那須田淳『ペーターという名のオオカミ』(小峰書店)は、ベルリンを舞台
に、分断された国家の悲劇を今日的な視点でエキサイティングに描いて見せ
た力作である。川島誠『ゲキトツ!』(BL出版)、森絵京『永遠の出口』(
集英社)、魚住直子『リ・セット』(講談社)、『オレンジソース』(佼成
出版社)、長崎夏海『空にふく風』(汐文社)、花形みつる『わがままガー
ルズ』(佼成出版社)は、いずれも子どもたちの現在に鋭角的にアプローチ
して印象に残った。幼年向け作品では、森山京『おさらの ぞうさん』(小
峰書店)、角野栄子『リンゴちゃん』(ポプラ社)が秀逸であった。絵本で
は、荒井良二『ハッピーさん』(偕成社)、梨木果歩文・木内達朗絵『蟹塚
縁起』(理論社)、今江祥智文・長新太絵『なんででんねん 天満はん』(
童心社)、星川ひろ子・星川治雄の写真絵本『しょうたと なっとう』(ポ
プラ社)などが目を引いた。高橋邦典『ぼくの見た戦争』(ポプラ社)や、
一三歳のアメリカの少女、シャーロット・アルデブロンの非戦メッセージを
森住卓の写真と組み合わせた『私たちはいま、イラクにいます』(講談社)
など、イラク戦争に関連したフォトドキュメントも、時節柄たいへん意義深
い貴重な仕事である。(野上暁)
●ベストセラーの法則
――読まずに書かれるブックレビュー
ベストセラーは本の内容よりも話題性が大切。なんて言ったら当たり前だろうと笑われそうだが、最近の大型書店のランキングなどを見ていると、なんとも情けなくなってくる。十月に入ってから『アフターダーク』『グッドラック』『ダ・ヴィンチ・コード』などを抑えて、いきなり上位に登場した『うずらちゃんのかくれんぼ』と『もりのこえ』って、一体どんな本かと思った人も多かっただろう。どちらも皇太子一家のビデオがテレビで紹介されたときに、皇太子が読み聞かせしていた愛子さまお気に入りの絵本。児童書だから普段はあまり話題にならないのだが、やはり皇室効果は凄まじい。十月第一週は八重洲ブックセンターで一位と四位、紀伊国屋でも一位、アマゾンでも前週がトップで次週は二位。以後も各書店で上位にランクされ続けてきた。前にも同様なことがあったが、こうして話題になった児童書はその後も口コミで拡がり、なかば伝説化してロングセラー化するから一般書では考えられない抜群の持続効果がある。 それにしてもテレビは強い。『冬のソナタ』のヒットに続いて、同作品の二人の脚本家が書いた『もうひとつの冬のソナタ』は六刷り八十万部だというし、『イ・ビョンホン写真集』も発売早々に上位にランキングされた。今年度の上期にトップを走っていた『世界の中心で、愛をさけぶ』も、ピークは過ぎたと思われていたのに、夏の映画化の後も秋口のテレビドラマ化で三百二十万部超まで部数を伸ばしている。 『世界の中心…』は、著者の片山恭一による題名は『恋するソクラテス』だったのだが、担当編集者の執拗な説得によって、エヴァンゲリオンを思わせるようなベタなタイトルに変わったのだという。原題通りだったら、あれだけのベストセラーになったかどうか。映画化で一挙にミリオンセラーに迫ろうとする『いま、会いにゆきます』も、まさに内容そのまんま。そういえば『バカの壁』もストレート。マイケル・ムーアの『アホでマヌケなアメリカ白人』という先例があったものの、老舗の大手出版社が堂々と「バカ」をうたうとは『五体不満足』以来の大胆さだ。ついにミリオンセラーとなった『グッドラック』もベタベタ。グリーンの表紙の真ん中に四葉のクローバーだから、そのものズバリ。さすが児童書出版社ならではの判りやすさだ。ストレートでベタな書名や、内容そのものズバリの装丁もベストセラーの条件なのか? 話題性ということで言えば『電車男』も外すわけにはいかない。2チャンネルの掲示板から誕生した、まさにネット時代ならではのベストセラー。発売前から話題が沸騰。横組みでパソコン画面を再現したようなレイアウトも好評のようだが、筆者には決して読みやすいとは言えなかった。 九月一日、初版二百九十万セット(五百八十万部)という記録的な発行部数で発売されて話題になった『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(静山社)のその後も気になるところ。前作が三週目にして八十万セット重版し、二ヶ月に渡ってベストセラーのトップを突っ走り瞬く間に三百万セットを超えたのに比べると、かなりのパワーダウン。自業自得とも言いたいところだが、前回同様の買切り性だから、書店は在庫を抱えて悲鳴を上げている。ハリポタを返品できないので、同じジャンルの他の本の返品が急増して児童書の版元も泣いているというから驚異のベストセラーも罪作りだ。 このハリポタ、本場のイギリスでは既にかつての勢いはなく、話題はすっかり沈静化している。ともあれ、欧米でペーパーバックが千円前後の本なのに、ハードカバーとはいえ四千二百とは高すぎる。業界では初版のアドバンス(版権前払い金)が五万ドルとも六万ドルとも言われているから、そこから逆算した価格設定なのだろうが、あれだけ刷るのだったらもっと安くできるはず。おまけに、翻訳バブルが崩壊した後、ハリポタ効果で海外ファンタジーの版権のみが急騰し、五万、六万ドルも当たり前のようになっているというから、ハリポタが残した問題は大きい。 第一巻が発売されたとき、シングルマザーの原作者や翻訳者で版元社長の、出版に至るエピソードとその熱意や人柄を中心にした、作品そのものを読まずに書いたとしか思われないようなブックレビューが『ベストセラーの方程式』などの著書がある書評家や、新聞記者によって様々なメディアで紹介された。そういった話題づくりが効を奏して、第一巻の売上を加速させた点も否定できない。いずれも似たり寄ったりの内容だったから、間違いなく発信源は同じだったのだろう。 本そのものよりも、本にまつわる周辺の話題性が先行するのは、どうやら昨今のベストセラーの共通点ともいえそうだ。しかもその話題が、版元や編集者からの情報を鵜呑みにした内容だったり、中には後書きやプレス向けの新刊案内をそのまま引用しているものまであるのだから呆れてしまう。確信犯的とも言えそうな「読まずに書かれるブックレビュー」なのだが、本そのものにとって極めて危険な兆候である。(「いける本 いけない本」ムダの会発行)(野上暁)
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あとがき大全45
1.奇遇、その一
本にかかわる仕事をしていると、たまに楽しい偶然にぶつかることがある。
先日、ジョナサン・ストラウドさんが来日して、二日ほどご一緒したのだが、彼の『バーティミアス1:サマルカンドの秘宝』の映画化が進んでいるらしい。映画会社はミラマックス。脚本を担当するのがホセイン・アミニ。『鳩の翼』や『サハラに舞う羽根』の脚本を書いた人だ。そうそう、そういえば、去年、A・E・W・メイスンの『サハラに舞う羽根』(角川文庫)を訳したのだった。長いし、文体もちょっと難しいし、なにより、当時のことなどほとんど知らないし……というわけで、大変苦労したのだった……共訳者の杉田さんが。
その杉田さんと話していたら、また戦争物で苦労しているとのこと。第二次世界大戦のアフリカ戦線におけるドイツ軍とイギリスの戦いらしい。ぼくはこのへんのことはちょっと興味があって、昔はよくその手の戦争物を読んでいたことがあるので、詳しくきいてみたところ、Magicianが主人公とのこと。いや、魔法使いじゃなくて、手品師。それで、「え?」と思って、さらに詳しくきいてみたら、十年以上前に出逢った本だったことがわかった。
じつはその本、当時、ユニ・エージェンシーにいた加島牧史(加島さんも加島くんも、なんとなく違和感があるので、とりあえず呼び捨て。向こうも「金原」と呼びかけてくるし)が、下訳をしないかともちかけてきたのだった。じつは彼のお父さんは著名な翻訳家で、その人の下訳を、という話だった。
David Fisher という作家のThe War Magician という作品で、舞台は第二次世界大戦、アフリカ戦線。ドイツ軍の戦車隊を率いるのは砂漠の狐との異名を持つ智将ロンメル、イギリス軍は苦戦をしいられるが、手品の手法を用いて、それに対抗する……というふうな話だったと思う(ちがってたら、ごめん、なにしろずいぶん昔のことなので)。手品の手法をというと、ずいぶん安っぽくきこえるが、基本的には misleading と呼ばれる手法であって、そう突飛な発想ではない。
そうそう、十年以上前と書いたが、考えてみればロバート・ウェストールの『かかし』を出した少し後だったから、1987年、15年まえのことである。そのとき、下訳料が100万くらいかなあといわれて、驚いたのをよく覚えている。まあ、作品自体が長いこともあるが、『かかし』の初版印税の二倍以上だし、それも下訳なのだ。当時駆け出しの身にとっては、魅力的な話だった。が、結局断ることにした。ほかの仕事が忙しくて、それにさく時間が取れなかったのだ。
なんと、その昔の作品が映画化されたというので、日本での公開に合わせて翻訳されることになった。そしてそれを訳すことになったのが『サハラに舞う羽根』の共訳者、杉田さんという、まあ不思議な縁だと思う。
杉田さんから、作品の簡単な説明が届いたので。
「第二次大戦時に、奇想天外なトリックを駆使してドイツ軍を翻弄したイギリス人マジシャンがいた。その実在の人物ジャスパー・マスケリンの活躍を描く歴史小説」
加島というのは面白い男で、ユニ・エージェンシーをやがて辞めて、横浜でギャラリーを始め、そのうちそこを辞めて、銀座の路地裏に小さいバー兼ギャラリーを開いた。その店には一度寄ったことがあるのだが、もともと銀座近辺には縁がない身なので、それきりになっていて、そのうちその店も閉店となった。
そしてつい先月あたりである。太棹の寛也師匠が、知り合いが小さいギャラリーで個展を開くからといわれて、その案内状をいただいた。なにげなく、案内状の作家案内を読んでみたところ、なかなかに癖のある紹介文で、あれ!と思い、店の名前をみてみたら、「Gallery Bar KAJIMA」とあるではないか。これはたぶん、あの加島の店だろうと見当をつけて、寛也師匠に、もしその店にいったら確かめてきてほしいと頼んだところ、まさに、加島だった。
そのあとすぐに加島から次の個展の案内状がきて、一筆、「元気かよ。顔を出せよ」と書いてあった。
2.奇遇、その二
じつは何を隠そう、フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』の隠れファンである。原書で読んで、ぜひ訳したいなと思った一冊なので、新潮社から出たときには、ちょっと残念だった。ところが、今年、理論社の小宮山さんからプルマンの新作を訳さないかとの話があった。「喜んで!」というわけで、訳すことになったその本が、The Scarecrow and His Servant。なんか、ウェストールの『かかし』(The Scarecrows)に似ているが、内容はまったく違う。プルマンのほうは、カブ頭のかかしと男の子の愉快な冒険物。ついでに書いておくと、ロバート・ウェストールの『かかし』の最後のところで、トリスがサイモンにいう科白が「やあ、カブ坊主」。カブ坊主、カブ頭、どちらも、おばかの意味らしいが、プルマンのかかしは本当に頭がカブでできている。
そんな話をメールで、イギリスに留学中の豊倉さんに送ったら、「プルマンさんの朗読会にいきます」とのこと。じゃあ、どんなだったかエッセイ風にまとめて送ってと頼んだら、次のようなものが届いた。
えっ~~~! 先生、プルマンさんの作品を訳されるんですか? それも『Scarecrow and His Servant』を?! びっくりです。実はわたしが行くというプルマンさんのトークショーは、その『Scarecrow……』のプロモーションをかねて、チャリング・クロスの書店で行われるものなんですよ。
というわけで、以下そのトークショーの報告です。
ロンドンの大型書店『フォイルズ』のギャラリーで、売り場のリニューアルを祝うイベントの一環として行われたフィリップ・プルマンのトークショーにいってきました。開演30分ほど前に会場に到着すると、まだお客さんはまばら。こぢんまりとした会場には、演壇を囲むようにして60ほどの座席がセッティングされ、なかなか良い雰囲気です。入場料6ポンドの中に含まれているワインとクリスプを手に、しばしおしゃべりを楽しんでいると、予定の午後7時を10分ほどすぎたところでいよいよプルマンさんの登場となりました。
まずはこの本を書くにあたって、どこから着想を得たかという話です。プルマンさんは「どこに行ってもこの手の質問を受けるのですが、私の場合は、ただ頭のなかにストーリーが湧き上がって自然に書きはじめることがほとんどなのです」と前置きした上で、「ただし、この『Scarecrow……』に関しては、物語を書き始めるきっかけになったものがあります」とポケットのなかからふたつのものを取り出しました。ひとつは日本在住(ニュージーランド人)の画家が送ってくれた日本の田んぼにたたずむ『かかし』のスケッチ。そのかかしを見た瞬間、今まで見たことのない独特なフォルムに惹かれたそうです。そして、もうひとつはトランプそっくりのカード。1セット二十四枚のカードにそれぞれ風景が描かれているのですが、どのカードをどの順番で並べても必ず風景がつながるようになっており、カードをいろいろに並べ替えて組み合わせの妙を楽しむというゲーム(後に『Myriorama』という名前だと判明)のようなもの。このカードとスケッチを眺めるうちに、かかしとジャックが出会い、旅を始めるという今回の物語が浮かんできたとのことでした。
と、ここまで聞いて「へぇ~、日本のかかしってイギリスのかかしとそんなに違うのかぁ? いや、やっぱ感性が違うのね。作家の感性はかかしひとつの微妙な違いにも刺激を受けるんだわ……」とひたすら素直に感心するわたし。ところがそこで「あの、よろしいかな……」と会場内のかなり年配のジェントルマンから手があがりました。「いやはや、プルマンさん、ごらんになったことございませんかな? その手のかかしなら、南イングランドにいけばあちこちでみられますよ」。《ひぇ~~~っ?!(わたし、心の中で)》。でも、そこはさすがに大御所プルマン「ほぅ、ほうぅ! それは知りませんでしたな。今度一度見に行かなくてはね……はっはっはっはっ」とジェントルマンのつっこみを余裕の笑顔でかわしたのでした。
そのあとは、この『Scarecrow……』のスタイルについて。プルマンさんはこの作品をあれこれ説明を必要とするNovelではなく、Fairy Taleの形で書きたかった。そのために視点を近からず、遠からずに保つ、Fairy Tale Distanceをキープすることに留意した、との話が印象に残りました。
ざっと物語についての説明が終わると、次はいよいよプルマンさん自らによる読み聞かせです。『Scarecrow……』の冒頭とハイライト部分をいくつか朗読されたのですが、教師をしていたときから、ストーリーテリングが大好きだったとおっしゃるだけあって、さすがのうまさ。いろいろな声音を使い分けた迫力たっぷりの語りに、会場中の人が一瞬にして物語の世界に引き込まれてしまうのを感じました。
引き続いておこなわれた質疑応答では「あなたの作品『His Dark Material』は反キリスト教的だというので、アメリカでは全然売れてないようですが……」などという、挑戦的な質問をする女性もいたりしてちょっとドキッとしました。どうもその質問をした女性は自らも反キリスト教で、プルマンさんから「まったくです。わたしも神は信じちゃいません。同じですね」という反応を引き出したかったらしいのですが、プルマンさんは彼女のペースに乗せられることなく「そういうことをいう人はあの作品の全部を読まなかったのかもしれません。私の作品がアメリカで格別に不評を買っているという話は、直接耳にしたことがないのでわかりませんね」と穏やかに、しかしきっぱりと答えていました。
また、隣に座っていた友人のリザが「あなたの作品は世界各国で翻訳されていますが、翻訳の出来、不出来についてはどう思いますか? あまり売れないと、翻訳のせいじゃないかと思ったりすることは?」ときいたところ、プルマンさんは「もちろん、日本語とか中国語など、すべての言語が読めるわけじゃないので、翻訳の出来については自分では判断できません。基本的には、編集者を信頼してまかせることにしています。たしかに同じ作品でも国によってかなり売れ行きが違ってくることはありますが、それは翻訳ばかりが問題なわけじゃなく、マーケティングや装丁などいろんな要素が関わってくるのだと思います」というお答えでした(^^)。
イギリスでこういう催しに初めて参加したわたしは、そのさばけた雰囲気に驚くとともに、前述のジェントルマンにしても、過激な女性にしても、聴衆がまったく遠慮などしないことにも感心しました。「こんなこといってもいいかな……」という気遣いは皆無。みんな「入場料払ったんだし、聞きたいことは聞かせてもらうわ」とばかりに、閉店時間ぎりぎりまで質問の嵐が続きました。
最後のサイン会では、プルマンさんが座るデスクの前にずらりと長い列ができました。中にはその日書店で買った本だけでなく、いかにも年季の入った本を二十冊以上も抱えている人もちらほら……というかかなり……。さしずめ日本なら、店側からサインは何冊だけにとか、当店で買ったものだけにとか一言ありそうなものだし、お客もこれだけ長い列ができているのだから自分ひとりで二十冊は……と少しは遠慮しそうなものですが、そこはさすがイギリス人。店側からの注意もないし、お客も「別にいいじゃん」という感じで、プルマンさんの目の前にどんと本を積み上げていました。まったく異様に寛容なのか、それとも鈍感で無神経なのか、日本人の目からみるととっても不可解。こちらへ来た当初は日常生活のいろんな局面でこの手のイギリス人的態度に接するたび、首をかしげ、イライラしていましたが、最近はもう「おもしろがるしかない」と思ってます。ロンドンから戻った一年後のわたしは、きっとものすごーく寛大で、忍耐力のある、心の広い人間に変身しているはず……どうぞ乞うご期待を!(話が脱線しちゃいましたね)。
さてさて、30分ほど待ったところで、ようやくわたしの順番が回ってきました。サインのペンを走らせるプルマンさんに、おそるおそる「あの……ミスター・プルマン。わたしは駆け出しの翻訳家なのですが、実はたまたま、わたしの師匠というか、ボスにあたる人が、この『Scarecrow……』を日本語に訳されると聞いて、とても驚いているんです」と声をかけたところ、氏は手をとめ、顔をあげ、わたしをじっとみつめて「本当? 驚いたなぁ。よろしく伝えておいてね。君もこの作品の翻訳を手伝うの? 今日は本当に来てくれてありがとう」とにっこり微笑んでくださったのでした。とても優しい笑顔でしたよ。書店を出て、冬のロンドンの寒気に触れても、興奮はまったく冷めやらず、その勢いでパブ巡りへ。楽しい夜でした。
先生が『The Scarecrow and his Servant』をどんな風に訳されるのか、とても楽しみです。
3.奇遇、その三
じつは数年前から、ピエール・バルーというシャンソン歌手にはまっている。シャンソン歌手としてだけでなく、「サラヴァ」というフランスのインディーズのレーベルを立ち上げたことでも有名なのだが、詳しいことは 「Les Anees 1967-2002 Saravah」 という二枚組のCDの解説に書かれているので、そちらを参照してほしい。手っ取り早く紹介すると、クロード・ルルーシュ監督の『男と女』の音楽を担当した人とでもいえばいいかな。そのバルーを見直す、いや、聴き直すきっかけをくれたのは、梶本くん(Baby Recordsという通販のレコード、CD販売をやってる)が送ってくれたCD。さっきあげた二枚組のほかに数枚、とくに「Vivre~生きる」というアルバムが抜群によくて、それこそ繰り返しよく聴いていた。
そうしていたら、つい去年のこと、二十年来の飲み友達、酒井さん(もと西村書店にいて、いまはフリーの書籍営業なんだけど、一度も一緒に仕事をしたことがなく、酒と音楽のみでつながっている)から、すごい情報が入った。なんと、ピエール・バルーの映画、映像が六日間にわたって、吉祥寺のバウスシアターのレイトショーで上映されるというのだ。それだけではない、毎晩、バルーその人が登場してトークあり、歌ありだという。彼が歌うときだけでも行かなくちゃと思って、手帳をめくってみたら、なんと、地方での講演と重なっていて、一日も行けそうにない。おいおい、待って待って、という感じだが、どうしようもない。酒井さんはたぶん、三晩行ったんじゃないかな。
くやしがっていたら、ちょうどイギリスからもどってきた秋川さんが行く、という。じゃあ、というわけで、その三日間の様子をレポートしてほしいとお願いして、書いてもらった。それをあとに載せておこう。秋川さんにきいて知ったのだが、バルー、じつは日本の女性と結婚して、新宿御苑に住んでいるらしい。
しかし奇遇というのはそれだけではなく、そのあと池袋で、おくだ健太郎さんと歌舞伎対談をしたあと、おくださんや求龍堂の人たちを飲みにいったのだが、そこでなんとなくピエール・バルーの映画のことをぽろっと話したら、清水さんという女性の編集者が、「あれ、ご存知なんですか? じつはバルーの本、2005年に出す予定なんです」と言うではないか。すばらしい!
というわけで、今年は自分の音楽的にはピエール・バルーの年なのだ。
というわけで、秋川さんからきた「ピエール・バルー・レポート」を。
11月24日(水)
ピエール・バルーのフィルムフェスティバル。前売り券を買えなかったので、早めに行って当日券を買ったんですが、意外と人は多くなかったです。劇場の人にきいたら、これまで満席にはなってないとのこと。明日はもう少し遅く行っても大丈夫かな、という感じでした。
今日は、『サ・ヴァ、サ・ヴィアン(bis…)』。「かぼちゃ商会」というちんどん屋さんがフランスまで遠征していくのを追うという・・・。ちんどん屋さんだから、もっぱら街中を練り歩いてストリートで演奏、なんですが、村のお祭りやらカフェやら老人ホームやらに乗り込んでいってしまう。そして周りの人も、それを白い目で見て通り過ぎるのでなく、集まってきて、みんなにこにこしながらきいていて、そのうち踊り出したりしちゃう。そういうのはみているとなんだかとてもほほえましく、たのしくなってしまいます。
で、映画上映の後にその「かぼちゃ商会」の面々が実際にやってきて、ライブ演奏をしてくれました。しかし、悲しいかな、客席にしっかり座ってみてると、つい今さっき映画でみていたというのに、手拍子もいまいちノリが悪い。かくいう私も、なんだか違和感を感じて、最初うまく乗り切れなかったひとりですが。
イギリスにいたときも、コンサートなんかに行くと、よく「みんな降りてきていっしょに踊りなよ」みたいな感じになったのですが、そういうノリって日本人にはあまりなじみのないものだよな、とか思ったりしました。というか、イギリスにいて、周りの外国人がみんな踊ってれば日本人も踊るわけだから、誰かがやればみんなもやるのかもしれないなあ。
ともあれ、バルーも彼らと一緒に歌ってくれたし、よかったですよ。とても気さくなおじ(い?)さんという感じ。誕生日の人をステージに上げて誕生日の歌を歌ってあげたりしてました。彼は奥さんが日本人なのですね。それでよくフランスと日本をいったりきたりしているとか。奥さんと娘さんが通訳をしていました。帰り際、みんな買ったCDなんかにサインをもらってましたよ。もしほしかったら、もらってきますけど?
もっとしっかりしたレポートを書こうかと思っていたんですが、時間がけっこう遅くてちょっとつらいです。思いつくまま書きなぐってしまったので乱文・・・ご容赦ください。
また明日、いってきます。
11月25日(木)
私にとっては第二夜。ちょっと勝手もわかってきたので、映画を観るだけだったら後ろのほうに座るけれど、今日は前から3列目(だって、バルー、平気でステージに座り込んだりしちゃうんですもの)。昨日と同じく、まず最初にバルーが奥さんの通訳で舞台上で挨拶。曰く、「プログラムとはちがうんだけど、2時間前に編集し終わった短編映画を・・・」。 彼が去年日本に来て、計40箇所をまわったというツアーのドキュメンタリーでした(彼はそのあと、「じゃ、あとで」といって、空いた席に座って、最後にまた現れるのです)。おもに、北海道と奄美大島に行ったときのものでしたが、それを編集し終わってるところまで(笑)。しかし、それがとてもよかった。
本人も言っていたけれど、バルーは大都市の大きなコンサート会場でなくとも、ローカルな、たとえば小さな居酒屋だとか、ギャラリーのようなスペースだとか、かなりフットワーク軽くほいほいと飛んでいく。こうやって日本に来るのも「長い散歩」と形容するように、気の赴くままに、たとえば、友人が「今日はこれから青森にキリストの墓参りに行く」といえば「じゃあ、おれもいく」というようにあちこちどこへでも飛んでいき、そこでこれ、と思うものがあればカメラを回すようです(ちなみにこれは青森県新郷村の「キリスト祭り」というイベントらしいです)。今回紹介していた、青森在住の鈴木さんという彫刻家はとてもおもしろそうなおじいちゃんでした(『ムッシュー・スズキ』)。彫刻家だけれども、個展も開かないし、作品も売らない。どうやって生活するかといえば物々交換。お鮨屋さんにいって、さらさらっと魚の絵を描いて、お鮨を食べてきたりするという。バルーはいたく感銘を受けたようでした。
今日のドキュメンタリーは、そうやって、そのときそのとき出会った人たちとの交流を描いたものが多く、たとえば、小さな小さなコンサートの後の打ち上げで、めいめいがお酒を片手に歌ったり、楽器を奏でたり、踊ったりしている。それがとてもたのしそうで、ほほえましく、あたたかい。ギターの音に合わせて踊るおばあちゃんの笑顔とか、とても印象的。そしてそういうのをバルーはいつもうまくとらえている。
今日のライヴは、バルーがギターを弾きながら自作の曲を披露してくれた後、客席にいた娘さんを呼んで、映画の中でも歌われていた曲を父娘二人で歌ってくれました(「出会いの星」。彼女は昨日のかぼちゃ商会とのセッションではサックスを吹いていたし、今日の映画ではもっぱらフルート、そして、今日のお父さんの話の様子ではギターも弾けるよう。声もよい。さすがに、なんでもできてしまうんだなあと。この後、CDも出していることが判明)。その歌も、ゆっくりゆっくり歌って、最後は観客にいっしょに歌ってもらおうとする。2回いっただけで、もうバルーの奥さんも娘さんも、名前も顔もばっちり覚えてしまいましたが、そんな風に、あたかも家族ぐるみのホームパーティの中にいるような、あたたかい空気が漂います。
誰かが、誰かのことを、何かのことを、すごく愛していていとおしんでいるのがわかるような瞬間というのは、ほほえましく、あたたかく、私はとてもすきです。
11月26日(金)
最終夜です。今日は、意外にも(笑)、プログラムどおり『アコーデオン』でした。著名なアコーディオン奏者の企画したコンサートの様子を追っていくのですが、映画の中で使った本番の映像といえばたった5分ほどで、あとはもっぱらリハの様子だとか。バルーは本番よりリハのほうがすきなんだそうです。わかる気がします。
今日の映画で印象に残っているのは、コンサート前からコンサート後までのミュージシャンたちの姿。彼らにとって、舞台に上がることと路上で演奏することとでは、音楽を楽しむ、という点で区別はないのでしょう。本番前から、メンバーが集まって、ずっと路上で演奏、そうしてそのまま楽器を演奏しながら、それこそちんどん屋のようにしてコンサート会場へ。本番があって、お客さんが出て行って、それでもまだステージでは演奏が続いている。みんなとても楽しそうで、いつまでたっても終わらない。最後、ようやく、「さあお開きだよ」と誰かがいって、終わったかと思うと、ホテルまで帰る道すがら、やっぱり楽器はしまわずにそのまま演奏しながら夜の街を歩いていく。好きで好きでたまらないことをやっているんだなというのが伝わってくるようでした。
映画の後のライヴには、ピアノ・ハーモニカ・ヴォーカルのセッション。その後バルーも交えて、リハなしで(というのはとてもバルーらしいのだと、さすがに3日目にはわかってきました)2曲ほど披露してくれました。最後の一曲は昨日と同じナンバーだったので、すっかり覚えてしまいました。
全体として、個人的には昨日・一昨日のほうが自分に合っていたようで、今日の映画には、みていてついにこにこしてしまうような感じはあまりなかった。最後にきいた曲、昨日はいつまでも耳に残るのがその夜の余韻のようで心地よかったのだけれど、今日は同じ曲でも聴いていてなんとなく悲しい気分になってしまいました。最後の夜だったからなのか。「Bonsoir」といって舞台を降りるバルーも、昨日はまた明日の夜会える、と思っていたから、こちらも「じゃあね」という気分になっていたのか、わかりませんが。とにかく、なんだか、とても寂しくなってしまいました。最終日ということもあり、今日はいちばんの入りで、終わった後のロビーはバルーを囲む人でいっぱいだったのですが、そそくさと人垣をぬけて、帰ってきました。
4.あとがき(『スカイラー通り19番地』『タイドランド』『シャバヌ』『マンゴーのいた場所』『火を喰う者たち』)
先月お休みをしてしまったせいで、5冊もたまってしまった。そしてじつは、今夜、オーストラリアへ。といっても、いつもと同じで本屋しか行かない。そもそもむこうに三泊のみ。今朝方までほぼ徹夜状態でたまった仕事を片づけ、四時間ほど寝て、起きて、これを仕上げているところ。なので、それぞれの本に関しての解説はなし。いきなり、あとがきを五本、並べておきます。ただ、『マンゴーのいた場所』については、付録つきで。
訳者あとがき(『スカイラー通り19番地』)
この一年ほど縁があってカニグズバーグの作品を読み直しているのだが、ひとつひとつ読み直すたびに、うまいなあと感心してしまう。
カニグズバーグの特徴を四点あげてみよう。
まず第一に登場人物がユニークでおもしろい。たとえば『エリコの丘から』だと、往年の個性派女優タルーラがすばらしい。タルーラはクッションにもたれてタバコを吸いながら、地上から呼び寄せたふたりに、あれこれ指図して、ふたりを思うように使いながら、そのふたりにそれとなく自分の壁を越えさせていく。ひと癖もふた癖もあって、一筋縄ではいかない女性だが、なんとも魅力的だ。そしてタルーラに呼び出されるジーンマリーとマルコムも、際だっている。病気大嫌いで潔癖性で、将来女優になりたいと思っているジーンマリー。数学が大好きでなんでも論理的に考え、将来科学者になりたいと思っているマルコム。このふたりの、でこぼこコンビが楽しい。これら三人がからみあいながら、ひとつの謎を追っていくのだから、物語はおもしろくならないわけがない。
ほかにも『800番への旅』に出てくるお父さんや、会うたびになぜか名前がちがうリリーとサブリナ母娘もおかしい。『ティーパーティの謎』に登場する四人も、それぞれが粒立っている。
第二に、現代的な目で描かれていること。もう七十歳を越えた作家を指して「現代的」でもないだろうと思われるかもしれないが、なんのなんの。世界を見る目の確かさは実際の年齢とはまったく関係がない。たとえば、『クローディアの秘密』でが主人公たちが家出をするが、その先はメトロポリタン美術館だ。これは一九六0年代に書かれた本とはいえ、今でもそのリアリティが生きている。たとえば、スティーヴン・キングの『スタンド・バイ・ミー』では少年たちが死体探しの旅に出る。昔なら太平洋の小島に海賊の宝を探しにいくところだろう。しかし現代の少年たちにとっては、死体探しのほうがずっとリアリティがあって、わくわくすることなのかもしれない。
第三は、物語を作るのがとても上手なことだ。それは、もう今までに取り上げた作品を読んでもらえばわかると思う。
カニグズバーグの四つ目の特徴は、今までの三つの特徴を、どの作品でも出し惜しみすることなく、思い切り巧みに使うところだろう。才能のある作家は、決してその才能を出し惜しみしない。いや、出し惜しみすることなんかできないというお手本といっていい。
カニグズバーグの最新作『スカイラー通り19番地』にも、まさにそんなカニグズバーグの特徴が色濃く表れている。
キャンプ仲間のいじめにも、まったく無理解なまわりの大人にも、屈しないマーガレット。いつも言い合いばかりしている、頑固でしたたかで、ユーモアいっぱいで、マーガレットには甘いふたりのおじさん。それから、マーガレットの寝室の天井いっぱいに一輪のバラを描くジェイク。それから……と、どの人物もいい。これほど個性的で魅力的な人物が次々に登場してくる作品もまた珍しい。
また現代を見る目、という点でいえば、アウトサイダー・アートを持ってきたところだろう。この言葉は、一九七二年、イギリス人の美術史研究家、ロジャー・カーディナルが最初に使った。「アウトサイダー」によるアートという意味だが、簡単にいってしまうと、美術の勉強をしたことのない素人が、発表することなど考えもしないで好きなように作ったにもかかわらず、見る人々の胸を打つ作品のことだ。たとえば刑務所や収容所のなかで描かれた絵や、奴隷たちの作ったキルトといったものがそれにあたる。シカゴのレストランで働いていたヘンリー・ダーガーは、だれに見せるでもなく、自分の作った物語にそった絵を死ぬまで描き続けた。その膨大な量の絵が、彼の死後発見され、今ではアウトサイダー・アートの傑作として世界の注目を浴びている。
このアウトサイダー・アートが、この作品に見事にからんでくる。からみながら、ふたりのおじさんのたどってきた歴史を、くっきりと浮かび上がらせてくれる。これにマーガレットがからみ、ジェイクがからみ、さらに……と、物語はいよいよ盛りあがっていく。
さて、この作品の背景について、少しだけ説明しておこう。時は一九八三年。サリー・ライドが女性初の宇宙飛行士となり、キャベツパッチ人形(キャベツ畑人形)が大流行した年。今から二十年ちょっと前の時代だ。
それからマーガレットが何度か歌う、イギリスの国歌。なんでいきなり十二歳の女の子が、と思う読者もいるかもしれないが、これは英語圏の人ならまず知っている歌だし、メロディーなら、おそらく日本でも知っている人が多いはず。マーガレットがカプラン先生を見て、無意識にこの歌を口ずさむというあたりが、またおかしい。
ともあれ、今までの作品の総決算のような新作、どうぞ、楽しんでください。
なお、最後になりましたが、編集の若月万里子さん、翻訳協力者の小林みきさん、原文とのつきあわせをしてくださった段木ちひろさん、細かい質問や見当はずれの質問にていねいに答えて下さった作者、およびその取り次ぎをしてくださったポール・カニグズバーグさんに心からの感謝を!
二00四年十月十八日
金原瑞人
訳者あとがき(『タイドランド』)
母さんが死んで、そのまま家を飛びだした父さんに連れられて、ジェライザ=ローズはテキサスのおばあちゃんの家にやってきた。しかし父さんは椅子に座ったきり、動かなくなった。しかたなく、ローズはバービーと探検を始めることにした。
……金髪のマジック・カール・バービーは度胸が足りない。ファッション・ジーンズ・バービーとカット・アンド・スタイル・バービーは怪我している。ファッション・ジーンズの右目はだれかに刺されて穴が空いているし、カット・アンド・スタイルの額と目は黒のペンで落書きされているのだ。となれば、相棒はクラシック・ベネフィットボール・バービーに決まりだ。クラシックはわたしのお気に入りだった。わたしのバービーたちのなかで唯一、植毛のまつげがついている。
クラシックを人差し指にはめ、「準備はいい?」ときいた。
「あたりまえでしょ。いつでもオーケーよ」クラシックがこたえた。
「よかった。危険な仕事になるかもしれないから」
「まあ、うれしい」
主人公の少女、ジェライザ=ローズの友達は、各種バービー人形の頭。ジェライザはクラシックの頭を指にはめ、たがいにおしゃべりをしながら、リス退治に出発する。そのうち屋根裏で、おばあちゃんの遺品が見つかる。ジェライザは金髪のかつらを持って下り、父さんの頭にのっける。
父さんはぴくりとも動かない。それにいやなにおいもしてきた。父さんたら、いつまでも死んだふりなんかしてないでよ。母さんは麻薬の過剰摂取で死んだけど、父さんは死んでないんだから。
やがてジェライザが、養蜂家のような帽子をかぶった幽霊女に出会うあたりから、物語はゆっくりと動き始める。
アメリカの南部特有の、ある種グロテスクで幻想的な雰囲気の中で展開する、死と狂気の物語。それを無邪気で、恐ろしいほどの想像力を持つ、ある意味したたかな現代のアリスが語る。そこには、不気味で鮮やかで美しいイメージが交錯する。
転覆して燃えたバスの残骸のなかから眺める外の風景。夕闇とともに、割れた窓から流れ込んくる蛍。沼の水の不思議な力によって何千年も腐らずに残った死体(沼男)。底なしの穴に落ちていくバービーの頭。遠くから響く、発破の音。百年の海。
……ついに、クリーム色の大地がざっくりえぐられた場所についた。度重なる発破で切り刻まれた斜面は、巨人でも登ってくるのが大変なほど深くえぐれている。
その場所で腹這いになった。切り立った岩壁の縁から下をのぞいて、石切場──ディキンズの言葉だと「穴」──をながめた。はるか下に暗い水面が広がっている。
「もしここから落ちると、あの海につくまで百年かかる」
「それって何キロ?」
「千五百キロくらいかな」
百年の海は、岩壁に囲まれたはるかな谷底にへばりついていた。水は、静かで暗い。
こんなふうに引用を始めたら、いつまでも終わりそうにない。暗くまぶしいイメージと言葉が氾濫するなかを、ちりちりと微かな音を立てて、導火線が燃えていく。死と狂気で、いまにも爆発しそうに震えているのに、この物語は静かで穏やかで、ある種、快い。
トルーマン・カポーティが『アリス』を書いたら、こんなふうになるのかもしれない。あるいは、ロアルド・ダールの短編「お願い」(『あなたに似た人』に収録)をカースン・マッカラーズが長編に仕立てあげたら、こんなふうになるのかもしれない。
ともあれ、一度読むと、死ぬまで忘れられないほどの強烈な印象を与える本であることは間違いない。その点、ダン・ローズの『ティモレオン』にも似ている。
作者のミッチ・カリンはこれまで数冊、やはりユニークな作品を発表して、それぞれに高い評価を受けているが、これまでの最高傑作はやはりこの『タイドランド』(Tideland)だろう。
なお、最後になりましたが、編集の津々見潤子さん、翻訳協力者の海後礼子さん、原文とのつきあわせをしてくださった菊地由美さん、そして数多くの質問に親切に答えてくださったミッチ・カリンに心からの感謝を!
二00四年六月二十八日
金原瑞人
訳者あとがき
二週間しつこくおねがいして、ついにパパとママに「家には動物を入れない」決まりを曲げてもらった。みんな、あたしがマンゴーという名前にしたのは、目がオレンジ色だからだと思っているけど、そうじゃない。マンゴーと名づけたのは、ゴロゴロのどを鳴らす音、ぜーぜーいう声、ミャーォという鳴き声が、どれもいろいろな色合いのオレンジ色だから。季節によって色がちがう果物のマンゴーそっくりだったからだ。
主人公の女の子ミアは、ほかの人とちょっと感覚がちがう。音や数字や文字に色がついてくる。たとえば、「2」は綿菓子みたいなピンクで、「a」は枯れかけたヒマワリの黄色で、チョークで引っかく音をきくと赤いジグザグが走る、といった具合。こういう感じ方を共感覚というらしい。共感覚を持っている人はとてもめずらしい。
共感覚者の数はというと、作品では二千人にひとりという説をとっているが、海外で報告されている情報を見ても、その数は十万人にひとりとか、二万五千人にひとり、二千人にひとり、さらには二百人にひとりの割合でいるというように、定まった説がない。色聴(共感覚のうち、音をきくと色が見えるというもの)の調査をしている長田典子さん(関西学院大学理工学部情報科学科助教授)によれば「日本国内では共感覚の研究はほとんどされていないが、日本は絶対音感教育がさかんなので、絶対音感保持者の中に多いといわれる色聴者はわりといるのではないか」ということだった。世界でもまだまだ未知の部分が多いんだろうと思う。
ミアは八歳のとき、ほかの人たちは自分と同じように感じていないことを知り、それを必死に隠していたが、十三歳になったとき、すべてが変わっていく。同級生たちの自分を見る目が変わるし、なにより幼い頃からの親友ジェンナとの関係がねじれてしまう。しかし一方で、共感覚について色々わかっていって、仲間もできる。ボーイフレンドも……?
ミア自身も、ミアのまわりもめまぐるしく変わっていく。そんななかでのミアの気持ちの変化が、とても細やかに、あざやかに、生き生きと描かれていく。
そうそう、そうなんだと思いながら読んでいるうちに、ついついミアの心の動きにひきこまれてしまう。
ミアを取り巻く家族や仲間も魅力的だが、なによりネコのマンゴーがいい。一年前に亡くなったおじいちゃんと同じ目をした灰色の浮気者、マンゴーは、ちらり、ちらりと顔を出して、この物語をもりあげていって、最後をすてきにしめくくってくれる。
読み終わったあと、きっと、切ないけれど温かいため息がもれてくるはず。そのため息は何色だろう。
最後になりましたが、編集協力の宮田庸子さん、翻訳協力者の小林みきさん、原文とのつきあわせをしてくださった桑原洋子さんに心からの感謝を!
二00四年十一月五日 金原瑞人
(補遺)じつは文中に登場する、長田先生の論文の一部をいただいてきた。共感覚に興味のある人は、ぜひ読んでみてほしい。
(論文査読回答書より抜粋)
著者1の経験を述べます。
私は音(調性)や数字・文字などにも色を感じます。感じる色を文字にすると下記のようになります。
調:C(白),D(黄色に近い橙色),E(黄緑),F(ピンク),G(青),A(赤),B(えんじ色)
★本文中で述べた典型的なマッピングにF以外該当しており,私自身もびっくりしました.
数字:1(白),2(橙色),3(水色),4(赤),5(黄色),6(紺色),7(レモン色),8(緑)・・
アルファベット:A(朱色)B(緑)C(ブルーがかったグレー)D(えんじ色)E(緑がかったグレー)F(クレヨンの肌色)・・・
ひらがなや漢字にも色を感じます。ただし形状の構造が複雑になってくると,色を感じなくなってきます。
幼い頃から色は記憶と深く関わっていました。電話番号・ナンバープレート・歴史の年号などを記憶するのが好きで,その記憶と検索にはいつも色の並びを使っていました。
よくある年号の語呂合わせを使うのは嫌いで,絶対に使いませんでした。その理由は「汚いから」だったのですが,今となって考えると,語呂を数字に無理矢理関連づけることで色のイメージが壊れてしまうからだったからではないかと推測します。例えば"大化の改新"の645年は大好きな年号でしたが,それは"紺+赤+黄"の並びがきれいだったから,というような覚え方でした。また自宅の電話番号が,市外局番がとてもきれい(0742)だったのに,市内局番が汚い(43:赤+水色)のがとても不満だった,という風に感じていました。
調性についても,私は音楽の専門教育を受けていましたが(絶対音感もありますが),作曲をする際に「ブルーの曲を作ろう」とか,テンションコードのコードネームをあてる試験で「このピンクと肌色のコードはなんだったっけ?」と思い出すように,音の響きと色のイメージが深く関係していました。
このような色を感じて色で覚えることは小さい頃からの習慣で,自分にとって当たり前のことだったので,これが特殊なことだとは意識したことがありませんでした。研究の仕事についた後に,こうした現象が色聴と呼ばれ,限られた人にのみ意識されることを知りました。しかしなぜ,ある対象に対し固有の色を感じるのか,過去の体験を思い起こしてみても思い当たることはありません。またその頃にはもう,小さいときほど強く色を感じなくなっていました。
同じように私の元共同研究者の息子さんである中学3年生の男子も,音楽を聴いて色が見える?という問いに対して,「見えるよ,でも前はもっとよく見えたけど,今はあんまり見えない」と答えています。彼も小さい頃から音楽の専門教育を受けていましたが,現在は受験のために一時中断しています。
また本実験に参加した色聴保持者も著者らの親しい友人であります.著者らにとって色聴現象は非常に身近な現象です.
訳者あとがき(『火を喰う者たち』)
『肩胛骨は翼のなごり』『闇の底のシルキー』『ヘヴンアイズ』『秘密の心臓』、そしてこの『火を喰う者たち』(The Fire-Eaters)と、いくら寡作とはいえ、書くそばからこれほど次々に翻訳されていく作家も珍しい。自然に日本で全集ができあがってしまいそうな勢いだ。それも英語圏でミリオンセラーを飛ばしている作家ではない、どちらかといえば独特の文体と独特の味わいが特徴の、読者を選ぶタイプの作家だ。ある意味、不思議だが、ある意味、当然のような気もする。ぼく自身、ディヴィッド・アーモンドの新作が出たら、まっさきに読む。そんな作家は、フランチェスカ・リア・ブロック、ソーニャ・ハートネット、ドナ・ジョー・ナポリ、クリス・クラッチャーくらいだ。
アーモンドの何がそれほど魅力的なんだ、と思っている人には『ファイヤー・イーターズ』を勧めておこう。これまでに訳されている四冊ほどには不思議でもなく不気味でもない物語で、ほかの四冊以上にじわじわと切なさがこみあげてくる作品だからだ。
時は一九六二年十月、米ソ冷戦のさなか、ソビエトがキューバに中距離ミサイル基地を建設していることが発覚、アメリカは二百隻近くの艦艇と、一千機を越える軍用機を派遣して、キューバを海上封鎖する。こうして核ミサイルの飛びかう第三次世界大戦につながりかねない状況が生まれた。いわゆる「キューバ危機」である。
これは米ソだけの問題ではなかった。遠くイギリスでも、そして日本でも大きく取り上げられ、多くの人々がかたずをのんで、事の成り行きを見まもった。一歩間違うと、世界が滅亡しかねない。イギリスの小さな海辺の町でも人々は同じような危機感をもって、ニュースにききいっていた。この本の第四十二章にこうある。「その夜、テレビはキューバに配備された兵器や、さらに多くの兵器を運んでいく船や、アメリカの船や、ミサイルや爆弾や爆発の映像を映しだした」
海辺の貧しい町に生まれ育ったロバートは試験に合格し、上流階級の子弟がいく中学校に入学することになる。しかし様々な出来事がロバートをゆさぶり、追いつめていく。引っ越してきた隣人と転校生のこと、中学校の残酷な教師のこと、最近体調が悪い父親のこと、そして第三次世界大戦という悪夢。しかしロバートは祈り、闘う。その祈りと闘いに、気のふれた火喰い男マクナリティが触れることによって、奇跡が生まれる。
どんな奇跡が、どんなふうに起きるのか、それがこの本のテーマになっている。これは祈りと闘いと狂気のせめぎあう、火と救いの物語といっていい。実際、アーモンドの魔法にかかってしまうと、最後のたき火が本当に世界を救ったような錯覚にとらわれてしまう。いや、錯覚ではないのかもしれない。それは読者自身に読んで確かめてもらいたいと思う。
それにしても、読者の想像力をとことん試すような作品を書き続ける作者の想像力には驚くほかない。そして不思議なものや超自然的なものが一切出てこない、一見リアリズム風のこの作品こそ、アーモンドの想像力が最も凝縮されているような気がする。
なお最後になりましたが、編集の松尾亜紀子さん、津田留美子さん、翻訳協力者の豊倉省子さん、つきあわせをしてくださった高林由香子さんに心からの感謝を!
二00四年十月十日 金原瑞人
なぜか『シャバヌ』のあとがきの原稿がない。しかしオーストラリアに行かなくては。というわけで、『シャバヌ』は次回に。