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哲学は私に何を与えてくれたか(4)

自分のことを、記録すべきレベルで醜い、貴重で珍しいモンスターだとウルトラポジティブに本気で解釈できた後、しっかりと骨のある自分の思想を作ろうとドイツの大学に1年の留学をした。

ドイツは哲学の本場だ。

カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデッガーなど、「お、これは読みごたえがあるぞ!」という著作や、「お、これは知る価値のあるすごい知識だな!」と圧倒される思想が沢山生み出されている聖地だ。

毎日最終のバスの時間まで、大学の図書館やカフェでがむしゃらに勉強をした。

授業にちゃんと理解して議論にも加われるように、同じ大学内で日本語を学ぶドイツ人に積極的に話しかけてお願いし、語学の練習パートナーになってもらった。半分の時間は私のドイツ語の会話に付き合ってもらい、半分の時間は相手の日本語の練習に付き合うというものだ。

そうして1年過ごし、ドイツ語もペラペラになり、私が帰国する5日前、練習パートナーの一人が私に「好きだ。付き合ってほしい」と言ってきた。

初めて受けた人からの愛の告白だった。

でも私は愛の告白をされたのが初めてで驚き、「自分のことを好きなんて人は存在する訳がない」と信じていなかった。

その後、帰国してしばらくはその人と毎日メールやスカイプでやり取りをした。

向こうは好きだと毎日のように言ってくれるも、私は信じられず、ただ、「練習パートナーとして語学の勉強に助かっている。ありがたい」と伝えていた。相手はそれに強く不満を訴えていた。

そうして相手は3か月で心が折れて「君はロボットみたい。愛が感じられない。もう話をしていても人間と話している気がしない」と泣きながら去っていた。

私はその時に本当に好かれていたんだと知り、私のことを好きになってくれる物好きな人が存在することに心底驚いた。

(ちなみにそのドイツ人はただの日本人女性好きだったのか、別れて1か月もしないうちに、facebookで別の日本人女性との交際を宣言していた。)

ただ哲学の能力を高めるために行ったドイツで、自分のことを好きになってくれるかもしれない誰か0.00001パーセントの人が世界のどこかにいるかもしれない、ということに気づいたのだった。

(日本では間違いなくブスとして冷ために扱われ続けていたので、これは海外に出ないと獲得できない考えだった。)

その後、まともに友達もいなかった私は、私を好きになってくれるかもしれない他の0.00001パーセントの人を友達や恋人にすることを夢見て、外面と内面磨きに集中した。ジムに行ったり化粧やしぐさ、話し方、立ち振る舞いなどを本やネット、周りの魅力的な人から学んだり、人の集まる場所に積極的に出かけて出会いの機会を増やした。

結果、わずかながら友人ができ、また、恋人も、思想について熱く楽しく語ることができて、でも変な人だなと感じていた人が告白してきてくれて、その人と付き合い、結婚まで至った。

続く

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