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哲学は私に何を与えてくれたか(2)

ブス哲学の確立を目指して大学で学び始めたが、それは自分の思想を作る時間というより、哲学史を辿って膨大な思想を正確に理解するための時間だった。

無名の私がどう思うかはそこでは全く求められておらず、求められているものは、分析対象の思想家がどう考えたかを正確に解釈することだった。

そうしてあっという間に、「自分のやりたい仕事はそのうちね」と思いながら哲学史研究だけの時間が過ぎた。

哲学史研究というのは正直、面白い。

日本語にしても何を言いたいのか分からない難解な文の外国語を1文1文訳して、その単語や表現が別の文献に出ていなかったか、それについてほかの研究者はどう解釈しているのかを探して、その文が本当に言おうとしていることを導き出していく。探偵ごっこやパズルゲームをしているような感覚だ。

でも、定年間近の教授が「自分の思想に取り掛かりたいと思ってもなかなか始められない。研究の業績を上げることと学校の庶務とで精いっぱい。まして、自分の思想が世間にそぐわない変なものだったら、業績に響いて本業が立ち行かなくなる」とぼやいているのを聞いて、私もこのまま哲学史研究の道にいれば自分の思想どころではなくなるとぞっとした。

そうして、大学院の修士課程まで終えて、自分の思想をどんどん出していきたいと思い、一般社会に出た。

続く

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