あなたのなかの、わたし
あなたがだれかと出会うときは、もしかすると、同時に”未知の自分”と出会っているのかもしれませんよ。
私たちは自分以外の人とかかわり合うなかで、それまで自覚していなかった自分に気づくことができるからです。
ときには、イヤな気分を味わうこともあるかもしれませんが、じつは、それも自分の一部分なんですね。
「目の前にいる人は、自分の内面を映し出す鏡」だから。
たとえば、だれかと出会って「なんて愛情深い人だろう…」と感じて心が震えるのは、あなたの内側にも同じような深い愛があるからです。
もしもあなたが愛のカケラもない人だったら、心が震えることはないでしょう。
また、「あの人はワガママだから嫌い!」と感じて拒絶してしまうのは、あなたのなかにも居座っている”自分勝手な私”を、むりやり抑えつけているか、嫌悪して否定しているせいかもしれません。
相手に対する感情が「快」であっても「不快」であっても、あなたの心の針がピンと大きく振れたときは、相手に刺激されて”未知の自分”が引っ張り出されたときで、まさに自分を知るチャンス!
その自分が、勇敢だったり、思いやりに満ちていたり、情熱的だったら、あなたはきっとしあわせな気分に満たされるはず。心から「出会いはすばらしい」「あの人とめぐり会えてよかった」と感じるでしょう。
そして、人の縁がもたらしてくれる恩恵に感謝して、ますます自分のことを好きになっていくと思います。
むずかしいのは逆のケースです。ものすごくイヤな感情に、どっぷり浸かった自分を見せつけられたとき。
たとえば、自分のことを「嫉妬深くない人間だ」と思っていたのに、ある人に出会ったとたん、自分のなかに眠っていた陰険さや執念深さがジクジクと引き出されたような場合です。
だれでも、自分の醜いところは見たくない…と思うものですが、成長の第一歩は「自分を知り、どんな自分も受け入れる」ことなのです。
嫉妬深いことがいけないのではなく、「私は嫉妬深くない」と決めつけていた自分に、まず気づくことが大切です。
その自分を否定しないで、そのまま受け入れましょう。だれのなかにもすべての感情が眠っているということを、ただ受け止めればいいんです。
それをちゃんとしないで自分の一部分をねじ伏せてしまうと、自分を本当にいつくしんで満たしてあげることができなくなってしまいます。
すると、新しい人と会うことがしだいに億劫になって、人と関係性を深めていくことに疲れを感じるようになるんですね。
私たちは、縁のなかで生かされています。
その人とめぐり会えたのも、縁があればこそ。
だから、不快な気分にさせられたと思ったときは、相手から”自分を知るヒント”をもらったんだ、と考えるようにしませんか?
そうすれば腹も立ちにくいし、むやみに相手を嫌わなくてすむから。
心を開いて、もっといろんな人とかかわっていきましょう。
そのたびに、自分自身への思い込みをはずし、そこに現れるさまざまな自分を認めて、心をもっともっと自由にしてあげましょうよ。
それが、あるがままの自分を受け入れるということなのです。
あなたが、毎日出会う人たちを”自分を映し出す鏡”にして、人間としての深みを増していこうと思えば、すべての出会いは間違いなくすばらしいギフトだと感じられるようになるでしょう。