休んだって、大丈夫。
私は若いとき、自他ともに認めるがんばり屋でした。
疲れがたまっても、まず休むことはありませんでした。
「人に迷惑をかけたくない」というよりは、「人に遅れをとりたくない」というのが本音。
ただほめられたい一心でがんばっていたのです。
そんな生活を長らく続けるうちに、心身ともにすり切れて、とうとう休職せざるを得なくなってしまいました。
疲れてイライラすれば、笑顔が減ります。
自分がちっとも楽しくなければ、いい仕事も、人を幸せにすることもできません。
そんなことは充分わかっていたはずなのに、私はなんの手当てもしませんでした。
なぜなら、まわりを見れば自分よりがんばっている人たちがたくさんいたし、休むことは“なまけること”だと思っていたからです。
体を壊して仕事をやめた私は、初めて「時間がゆったり流れていく」のを感じました。
それまでの自分がいかにアクセクして、心安らかに生きてこなかったかを思い知らされました。
そのころ、私の体は子宮筋腫が最悪の状態で、医師の第一声は「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか」。
私はやむなく子宮をすべて摘出する手術を受けました。
子どもの誕生を心から望んでいた私にとって、この手術を承諾するのは、苦渋の決断でした。
退院してから、毎日のように泣いてばかりいました。
湯船に横たわっておなかの傷を見ると、とめどなく涙があふれ、「私は今までいったい何をしてきたんだろう」「こんな体にしてしまって、ごめんなさい」と自分を責めつづけました。
どれほどの涙を流したかわかりませんが、私はしだいに「どんなに傷ついて絶望しても、私はこうして生きている。きっと、何か大きな力に生かされているんだ」と感じられるようになっていったのです。
どん底までいったら、あとは這い上がるしかありません。
私は意を決して立ちあがりました。
「悲しんでばかりいたって仕方がない。これからはまわりの評価に気を取られないで、人生をもっと楽しんで生きよう。体を壊してまでやるべきことなんて何ひとつないんだから、もう『~せねばならない』という発想はやめる!」と。
あなたはなんのために生まれてきたのでしょうか。
ここで一度、考えてみませんか?
疲れ果てて今がサイアクだと感じている人は、自分を立て直す絶好の機会かもしれませんよ。
休んだって大丈夫!
それは何かを失うことではなく、これからの自分に必要なものを得ることだと信じましょう。
勇気をふるって自分にお休みをあげると決めたら、その自分をしっかり応援してあげてくださいね。
肩の力を完全に抜いて、「この時間が必要だった。貴重な時間を作れてよかった」と、安楽と感謝の気持ちに浸って休みましょう。
人生に与えられた時間は、あなたの”いのち”そのもの。
そこでゆっくり自分にたずねてみてください。
「これからの人生で、本当に大切にしたいものは何?」
そうすれば、次にあなたが動き出すときは、喜びに満ちたいちばんイイ顔で再出発できるから。
★ 著書『うえを向いて泣こう。』(サンクチュアリ出版)より★