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自分に親切にしてくれた人に、喜んで「ありがとう」と言う。 自分にいいことが起きれば、喜んで「神様、ありがとう」と言う。 うれしいときは誰もが自然にしていることですよね。 では、人生の壁にぶつかったときにも、「この体験をありがとう」と言えるでしょうか……? 私たちにとって一番むずかしいのは、「何が起きてもありがたがる」ことなのかもしれません。 私は若いころ、「人生に何が起きてもありがたがる人は、人生が愉快、愉快の連続になる」と説いた一節を読んだとき、どうしても
「今より幸せになるために何がほしいですか?」 そんな質問をすると、多くの女性から、「もっと美貌がほしい」「もっとお金がほしい」「もっと時間がほしい」という答えが返ってきます。 それが手に入れば、今よりもいい恋やいい暮らしができて、幸せになれそうな気がするのかもしれません。 けれど、目の色を変えて欲望を追いかけても、得られるものはいっときの満足。 その満足が通り過ぎたあとには、ふたたび 〝終わりなき欲望〟に心を奪われて、ガツガツ、イライラ、クヨクヨする自分が取り残さ
「今度はできる!」 そう信じるから、がんばれる。 * 「失敗」という言葉は、「喪失」「敗北」などの文字が組み合わさっているせいでしょうか? 「失敗するのが怖くてできない」とか「失敗して立ち直れない」とか、とにかく暗いイメージがついてまわりますよね。 もういっそのこと、 あなたの辞書から「失敗」という文字をなくしてしまいませんか。 私は、人生に「失敗なんてものはない」と思っています。 しいていうならば、あなたが「失敗した」と思い込んで、自分にマイナスの烙印を
私は「自分の身に起こった出来事が無色なら、それを自分が苦しくなるような”色メガネ”で見るのはよそう。代わりに、もっと気が晴れる”メガネ”を探そう」と思いました。 そうやって手に入れた“お気に入りのメガネ”を3つ紹介します。 イヤな目に遭って落ち込むと、あれこれ悩みはじめる前にサッとこのメガネをかけます。 「これを乗り切れば次はいいことがある」メガネ。 「痛い思いをした経験は必ず活きてくる」メガネ。 「今に見ていろ!」メガネ。 ときには、いっぺんに全部かけるこ
青春時代、華やかなマスコミの世界でマイクを握っていた私は、「私は花よ、見て見て」という自己顕示欲がとても強かったんですね。 それが年齢とともに「花よりも、花を咲かせる土がいい」という気持ちに変わっていきました。 「これからは、ひたむきに咲こうとする花を応援する土になろう」と決心したとき、「若い時代にさんざん悩み苦しんだ経験が、土の養分になる」と気づいてうれしくなりました。 すると、それまで一度も味わったことのないようなやすらぎを覚えたのです。 人より抜きん出て
人生には、思うようにならないことが山のようにあります。 それでも、幸せに生きている人と、そうでない人がいるのはどうしてでしょうか。 人生が色あせて見えるのは、心が“過去”に置き去りになっているとき。 「失敗ばかりの人生で、一度だって報われたことがなかったなぁ……」 「あのとき、結婚できていればよかったのに……」 「あんなに一途に愛したけれど、ついに想いは通じなかった……」 そんな無念を引きずって過去に生きていると、毎日がどんどんつまらなくなっていきます。 そんなとき