【MMPI研究5.1】最新の基礎的な尺度 再構成臨床(Restructured Clinical/RC)尺度~①RC尺度開発まで
「MMPIでMMPI-2を使う」ことを目指して学んでいます。「MMPI2(by1)」計画と呼んでます。その学びの一端をシェアしたいと思います。本ノートはMMPIヘビーユーザー向けです。
特に今回は、MMPI-3にも引き継がれる再構成臨床(Restructured Clinical/RC)尺度です。すべてMMPI-2トレーニングスライドに基づいています。一度、別なノートでも示しています。今回はそこにコメントを添えます。
(※1)「士気喪失」
士気喪失demoralizationはRC尺度の根幹。(どうやらMMPIでいうWelshのAが源流のよう。くわしくはここ)。ききなれませんが、独自の概念というよりもすでに出典があります。
APA辞典にものっているので、MMPIに特化したものでもないようです。診断概念ではなく、つまり病理ってほどでもないけれど、その準備状態で重要なもの、でしょうか。
(※2)経験的キーイング
原文はEmpirical Keying。おそらくEmprical Criteria Keyingと同じようなことを指すのでしょう。これもAPA辞書はあります。おそらくMMPIの基本的な尺度作成のやり方で、たとえばうつ病の人をあつめて、ほかのグループの人とわけるために、うつ病の人が答えた項目を「第2尺度:抑うつ」となづけた、といったやり方、だと思います。
この、MMPIの「経験的」手法はMMPI~MMPI-2の基礎にはなっていました。経験的手法のために内容的には一見して「うつ?」ってわからない項目が入り込んだわけです。
MMPIでいうと「第2尺度」の「(項目3)物音で目を覚ましやすい」「(項目130)血を吐いたり、咳をして値が出たことはない」「(項目193)ぜんそくや花粉症の気はない」にあてはまると回答すると抑うつが強い(第2尺度が高くなる)のです。
つまり
MMPI-2って、経験的には実践的にはつかえるんだけれど、経験的なやり方だと、隠蔽項目って問題、基礎尺度で項目重なってる(第2尺度は抑うつ、第7尺度不安なのに同じ項目がある)のも問題。これらが見直されて、RCスケールにいたるわけです。
ぼくは、この隠蔽項目、結構使えるので使っています。隠蔽項目を使った過剰報告・過少報告をみるGreeneの方法も好んでいます。使い勝手悪くないと思ってはいます。でも、きたるMMPIー3になると喪失するポイントでしょう。
(ちなみに、隠蔽は原文Subtle。別に”かくして”るわけじゃないから、隠蔽じゃないほうがわかりやすいとおもう。でもまあたしかにかくれてるヤツだ)
(※3)収束的妥当性、弁別的妥当性
おさらいおさらい。ぼくはすぐにはわからなかった。
ここから推測されるのは、ほかの検査とあんまり相関しなかったという研究があったのかもしれません。MMPI使えるのに、ほかの尺度とくいちがうよ?どういうこと?なんてことが。
(※4)(※5)「MMPIー2の批判」
この一説が十分にはわかっていません。(※4)っておそらく「強度な精神病理が顕著な状況」って、臨床尺度がいろいろダダ上がりしてて、あっちもこっちも高得点ってなってること、なんでしょう。確かにそういうことってあります。そうなると「弁別的妥当性が弱め」・・・なんかよくわかりませんが、項目かさなってるんで、病理高いと「尺度はあっちもこっちもダダ上がり」状態になっちゃって、そうなると無駄に上がっちゃった尺度とかもでてきちゃって、それって妥当性ないよね、と理解しています。
特に(※5)の一文がよくわからないです。
原文が
The shared factor is an artifact of empirical scale construction.
今とらえているのは、こんなニュアンス。shared factorは、同項目にある「共有分散」(これもよくわからないのだけれど)と同じようなことで、MMPIの項目が重なったり、意味が重なったりしている要素がうみだす「共有した」要素。それはempirical scale construction→empirical keyingとおなじようにとらえていて、MMPIならではの尺度の作り方。うつ病群の人たちが答えてた項目を「うつ尺度」として、ほかの群とわけられるから内容はさておきつくった、というやり方。そういう「経験的手法」でやっちゃった場合にできあがった(自然なもの、じゃない)人工的産物artifact、捏造しちゃったようなもの、ということかなあ。
今まで「経験上よかったなあ、つかえたよなあ。しかも尺度づくりの基本に合ったやり方から結果的に生まれたんだぜ」という要素が解体されます。そして新たなものに構成していったのがRCです。特に今まで使っていた隠蔽項目という発想はもう使えなくなるのでしょう。ユーザーだったんで残念。隠蔽項目がある、尺度重なり合う、いわばざっくりしたゆるやかな尺度、というのが実は魅力だったのかもしれません。井出先生はよく人間味のある泥臭い尺度、と書かれていました。そうなんだよなあ。
それでも今後のMMPIー3に期待します。「あたらしく、よりよい研究に」のっとったものを、ぼくらのみならず被験者が求めている、と思うのです。