【書評】「よくわかるMMPIハンドブック臨床編」~その②各論編
本ノートは「臨床現場で活かす!よくわかるMMPIハンドブック臨床編」(野呂浩史・荒川和歌子編集 日本臨床MMPI研究会監修 金剛出版 2022)の感想です。感想は二つに分けます。こちらは、読みながら一つ一つ気になった点にを示していきます。細かい点にはいっていきます。本書を読んだ人やMMPIヘビーユーザー向けになります。
1,おどろくべき!症例検討会のコメント
何より目を見張ってしまったのは、「症例検討編」の青木先生のコメント。「家庭問題から自傷行為を繰り返す複雑性PTSDの症例」より。臨床尺度、特に第4尺度についての話題の中での一場面。
第4尺度に対してのこの肉付けのしかた、理解の乗せ方にしびれます。臨床家としての経験が導くものと思います。断定的な言い方ではないのですが、ぐっとふみこみます。尺度に乗せて、その人の理解が新たな局面へとふわりとひろがっていきます。
そしてここには各尺度への青木先生の経験的理解が背後にあると思われます。「4尺度って高いとこんな人いるなあ」、という経験による理解なんだろうとおもうのです。
第4尺度についての議論もまた面白くて、荒川先生から第4尺度はただの怒りや攻撃性ではなく「我の強さみたいな、一種の力でもあるように(p59)
」という視点が出ていたり、「家庭の問題が大きいと第4尺度はおおきくなるか?」という問いがだされていたりしています。(※1)。マニュアルのふくらみのある読み、読み広げる、実践的なやり方、がみられてとても面白く勉強になります。
他にもコメントでおもしろいのが工藤先生。
Hy2ってそうか、そんなふうに、なるほど。尺度もまた生き物、なんておもいますね。工藤先生の視点がおもしろい。いわゆる「解釈文」の解釈、解釈文に対して広がるイメージですが、各臨床家毎にこのイメージも異なるのでしょう。言語化されていない、未分化なイメージで、色合いや手ごたえみたいなものとして、臨床家の内部に存在するんだと思います。経験智、なのでしょう(※2)。
2、各尺度から
ここからさらに細かい各論にはいっていきます。
I-De,I-DoとDe,Dy
インディアナ論理尺度のI-Do(支配性)、I-De(依存性)の関係では、支配性が高い、けれども追加尺度のDo(支配性尺度)とDy(依存性尺度)だと反対の関係、つまり依存性が高い、となっている、ということです。この自覚されない依存心があるという点がみえる、のがミソでしょう。なぜならインディアナ論理尺度は、論理的・意識的に理解しやすい尺度(明瞭尺度的)。くらべて追加尺度はそうではない。つまりより自己認識を反映するのがI-Do,I-De。意識していない側面も反映するのがDo,Dy。この2ペアの違いから、以上のように考えられるわけですね。この視点、ぼくも採用していますし、結構有用性が高いと考えています。
WA(作業態度尺度)
この記述はあまりみたことがなかったので、今後見るときに参考になる記述でしょう。実感としてはあまりWAはみてませんでした。これを見ると、どうつかっていいいかわかってなかった、のかもしれません。
明瞭ー隠蔽尺度
第2尺度、第4尺度、第6尺度、第9尺度の下位尺度にふくまれており、明瞭尺度(第2尺度だとD-O)は、明らかにその特徴が分かる項目を集めたもの、隠蔽(第2尺度だとD-S)は質問項目を見るだけではその特徴がわかりにくい項目を集めたもの。この違いをもとに、こんな理解の仕方がでてきます
これはもう、おっしゃるとおり。経験のみならず、裏付ける研究もあります。明瞭ー隠蔽尺度を使い、「過剰報告overreporting/ 過少報告underreporting」を評価する見方をGreene(1991)がしています。O-Sの差が大きく、Oが強すぎると、「過剰報告」。実際よりも意識的に症状や問題を誇張したり過剰に大きく評価する傾向が考えられます。逆にO<Sだったりすると「過少報告」。実際に症状や問題があっても、あるようにみせなかったり隠そうとしたり低く評価しようとする傾向がある、と考えられるのです。これは妥当性尺度っぽいみかたですよね。でも確かに「過少報告」「過剰報告」という概念は、MMPI-2、2-RFそして3の妥当性尺度にも引き継がれています(※3)。
ME(プロフィール上昇度)
MEは、臨床尺度の平均値。ただし5尺度と0尺度は含めていない。シンプルな指標で、要するに臨床尺度が高いかどうかがわかるもの。MEで精神病圏か否か、病態水準をみる、というのだけれど、そういう見方をしてこなかったです。だからちょっとしらべてみたら、たしかにありました。
MEが75以上だと
MMPIで、「適応水準・症状」を見ていく文脈で使われている一つが、MEなんですね。精神病圏かどうか、という点でつかえる発想があるのは盲点でした。そうだったんだ。
ぼくには、Levitt&Gottsの”経験上”のほうが実感があります。臨床尺度がギャンギャンと高くなってるプロフィールって出会います。それに対して多くは「混乱」だったり「悪く見せかける回答態度」だったりする印象があるのです。
依存心と警戒心の対立
本書P62では、依存的で受動的傾向を「27/72コード、Dy(依存性尺度)高い、I-De(インディアナ論理尺度依存性)高い」でみている。同時に不信感や警戒心を「 S+(極端な猜疑心尺度)高い、Pa1(被害観念)高い」でみており、これを
「信頼と不信をめぐる葛藤を表すとともに、常に他者の顔色を伺って他者の期待や要求に合わせようとする傾向をしめしている」と説いています。
鮮やかな理解の広げ方、尺度の組み合わせ方、と思いました。この組み合わせで考えたことがなかったので、とてもおもしろいです。
Fが低いが臨床尺度が高い
あまりこのプロフィールパタンを経験したことがなかったのかもしれません。経験上多くはFが高いと臨床尺度は高い。それだけに、このバランスでの解釈の仕方はとても参考になりました。
と説きます。「精神的な苦しみが慢性的」なのはFが低い時には可能な解釈ですね(Freedman(1989))。でも強い苦痛を感じないでいることを「強み」ととらえたのは、長谷川明弘先生の独自の視点でしょう。この視点はとても臨床家として強いヴォイスに思います。典型的/テキスト的にはFの低さに「強み」を見るのは難しいと思うのです。だからなにげにさらりとかいてあるこの一文はパワフル。連想も広がります。臨床動作法のケースだったので、心的苦痛が身体レベルに封印されていて、意識的に経験されないでいた?ゆえにFがあまりあがらない?などと。
3,症例から
症例⑨社交不安症を疑う大学院生に臨床動作法を適用した症例ーMMPIを実施した3時点の推移と効果測定としての活用 長谷川明弘先生(本書p227-250)についてです。
上記もしたのですが、動作法のケース。動作法なだけに文章記述だけでは十分に伝わらない部分がどうしてもあります(しかたないけれどね)。ただこのケースの面白みは、フィードバックプロセスのスマートさです。
このやり方は、MMPIを中心にやるのであればいろんな活用の仕方がありそうです。
1尺度につき、シンプルな質問を立てて、そこからの対話が展開されていることがわかります。そのやりとりがまさにフィードバックセッションの面白みを広げているように思えてなりません。おそらくプロフィールを図でみせて、ひとつひとつ聞いて対話していっているのでしょう。2点コードや追加尺度の持ち味がフィードバックにいかされないのは欠点かもしれません。でも「一個一個、図でみせて」フィードバックするとこういう形がもっともクライエントの理解を得やすい、わかりやすい形なのではないかとおもうのです。
注釈
(※1)
第4尺度のこの点は別のノートに示す予定です。
(※2)
経験的理解の実現にはMMPIの基礎尺度が欠かせない、のではないか。もMMPIー3だったら、青木先生のような理解がのせられるだろうか。MMPIからMMPIー3に代わればより優れたものになるのかもしれませんが、経験的理解の多くが使えなくなるのでは?と危惧しています。
(※3)
明瞭隠蔽尺度という概念自体をRCスケールは作成のプロセスで否定してくので、この尺度自体はMMPI-3にはつかわれないでしょう。明瞭隠蔽尺度をつかったGreeneの研究は、別なノートに示すかもしれません(気が向けば)。
(※4)
「適応レベル」「適応水準」を見る一つとしてMEを取り上げているのが本書の文脈です。そして病態水準が精神病圏でないこと=適応レベル保たれると表現していますが、適切な表現ではないと思います。精神病水準だからって適応している人もいるし、かならずしも病態レベルと一致するものではないはずです。「適応水準」という概念は重要だが、適応水準を見るうえで推奨される尺度は見聞きしたことがありません。
文献
Freedman,A.F.,Webb,J.T. and Lewak,R.(1989) Psychological assessment with the MMPI. Lawrence Earlbaum associates(MMPI新日本語版研究会訳(1999)MMPIによる心理査定,三共房)
Green,R.L.(1991)The MMPI-2/MMPI An Interpretative Manual. Allyn and Bacon