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【牛田くんとの往復書簡】子ども達とのより良い関わり方とその伝達について


牛田くん、こんにちは。得津です。

この度は、ぼくが友人とやっている往復書簡を読んで、声をかけてくれてありがとうございます。


ご存知の通りこの往復書簡は、ぼくと牛田くんとの手紙のやりとりを誰でも見れるという形で進んでいきます。

ですので、まずは牛田くんではなく、この記事を読んでくれているだろう方に、ぼくと牛田くんの関係や今回のテーマに至った経緯などをご説明してから本題に移ろうと思います。


ぼくと牛田くんは、実は同じ職場で働く同僚です。二人ともNPO法人D.Liveで働き、主にフリースクールのスタッフとして不登校の子ども達と関わっています。

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(フリースクールの写真)


「じゃあ、職場で話し合ったらいいじゃないか」とツッコまれそうなんですが、そこはあえて往復書簡という形で距離を取ることで、いい話し合いができるのではと考えています。

職場では彼を「うっしー」と呼んでいますが、ここでは「牛田くん」と呼んでいるのもそのためです。(うっしー、面食らったらごめんね。)


今回のテーマは、牛田くんのアイデアです。

元々ぼくが、子ども達とのより良い関わり方やその要諦を、どのようにボランティアさん達に伝えていったらいいのか思い悩んでいたのを見て、声をかけてくれました。

ありがたい話です。


牛田くんと、おおよそ3〜4往復くらい「子ども達とのより良い関わり方とその伝達」について意見を交わす中で、お互いに気づきや発見が生まれて仕事に還元できるといいですね。

個人的には二人ともモヤモヤして終わっても全然構わないのですが(笑)


さて、いよいよ本題です。

子ども達とのより良い関わり方とその伝達について、考えれば考えるほどぼくにとっては悩ましいものです。

何が悩ましいのかを挙げてみると3つくらいあります

1、フリースクールの職員はその資質やあり方を法律や教育基本振興計画で定義されていない(から自分たちで定義し続ける必要がある)
2、学生ボランティアさん達に向けて、「子ども達と関わる自分」の在り方を問い直す機会や場面を作れていない
3、自分の中に言語化できていない子ども達への関わりノウハウがある(気がする)


この3つです。

順にご説明しますね。

1、フリースクールの職員はその資質やあり方を法律や教育基本振興計画で定義されていない(から自分たちで定義し続ける必要がある)

牛田くんもぼくも教員をしていた経験があるので、よくご存知でしょうけれど、教員は自身のあり方や磨いていく資質を、国や市町村によって決められています。「皆さんこれを大事にしてね。この能力や資質を伸ばしてね」とお上からの通達があるのです。

(そんなことに目もくれない個性的な先生は現場にたくさんいますけど…)


ぼくと牛田くんが働くNPO法人D.Liveは滋賀県にあるので、滋賀県を例にとってみましょう。滋賀県では、「滋賀県教員のキャリアステージにおける人材育成指標」というものがありました。


この資料の中に滋賀県がめざす教師像や求められる資質が書かれています。紹介しますね。

【滋賀県がめざす教師像】  
1 教育者としての使命感と責任感、教育的愛情を持っている人
2 柔軟性と創造性を備え、専門的指導力を持っている人
3 明朗で、豊かな人間性と社会性を持っている人

【教員として必要な基本的な資質・能力】
(1) 教職に対する情熱と誇りを持ち、温かいまなざしで子どもたちの成長を見守ることができる。
(2) 教育公務員としての高い倫理観や道徳性を兼ね備え、服務規律を遵守し、言葉遣いやマナーなど、社会通念や社会人としての規範を意識した行動ができる。
(3) 学び続ける教職員として、自主的に研修や研究会に参加し、研鑽を積み、自己の専門性の向上や指導の改善に努めることができる。

【滋賀県教員として特に磨いてほしい資質・能力】
(1) 滋賀の自然や伝統・文化・環境などに関する知識、学校教育に関する基礎的知識、および専門分野に関する豊かな知識を持っている。
(2) 特別な教育的配慮を要する児童生徒や、外国人児童生徒等への学習支援など、共生社会に向けた多様な教育的ニーズに対応できる。
(3) いじめや差別を許さない確かな人権感覚を持ち、人権尊重の視点に立った児童生徒の理解や指導を行うことができる。


滋賀県で働く教職員は、このような資質や能力を伸ばすことが求められているようです。

他方、私たちのようなフリースクールのスタッフは、このような指針や計画が自治体から下されることはありません。そもそもフリースクール自体が法律で定義されていないですから、当然です。

だから私たち自身で、子ども達と関わるスタンスを決めていく必要があります。私たちが勤めるD.Liveでは、以下の5つを大事にしています。

・最後まで相手の話を聞く
・相手の関心に関心を持つ
・一緒に考える
・一緒に楽しむ
・気楽にいこう

これは、D.Liveが社会課題として捉えている自尊感情の低下。その向上に関する研究や当時のスタッフ達との合意の過程が背景にあります。

正直なところ、

1、フリースクールの職員はその資質やあり方を法律や教育基本振興計画で定義されていない(から自分たちで定義し続ける必要がある)

これについては、スタッフや学生ボランティアさん達で自己点検する機会を作っていけばなんとかなると思ってます。

特に悩ましいのは2番と3番です。



2、学生ボランティアさん達に向けて、「子ども達と関わる自分」の在り方を問い直す機会や場面を作れていない(あった方がいいと思っているけど)

これについては、そもそも学生ボランティアさん達が自分の在り方を見直したいという気持ちが湧かないと、ふり返る機会を作っても機能しないなとも思っています。

だから単純にふり返る機会を作ればいいというものではない。自分の在り方を見直したいという気持ちは、本人の中に強烈な困り感が生まれないとどうしようもない。ぼくはこう考えます。

ただ、困り感の生み出し方って教えられるものなんですかね?

ぼくも牛田くんも教員時代に、言葉が通じないことや授業がうまくいかないことを何度も経験してきました。(経験してきた…よね?)

強烈な困り感が自然に生まれる環境で働いてきたから、本を読むとか、講演を聞くとか、センパイに学ぶなど、教員としての自分の在り方や資質の磨き方がわかる。

けれど、学生ボランティアさん達にとってはそうじゃない。複数人のスタッフがいる環境でボランティアに加わってもらっているから、その気になれば一日ぼーっと過ごすこともできます。

困り感が自然発生しないから、困り感が生まれる人と生まれない人がいる。ボランティアさん達の今後のキャリアを考えると、今のうちに困り感が生まれる経験があったほうがいいとぼくは思っています。

完全に自分の経験からの話なんですが、困り感が生まれた人は自分で問いを立てて自分で学ぶことができると考えています。少なくともそのスタートラインに立つことができる。

これは、ぼくがそうだったからという話ではありません。教員時代も今も、いろんな人を見る中で、グッと伸びている人は今の自分が通じない経験をしています。「このままじゃダメだ、どうしよう」という困り感が、自己研鑽へと向かわせているようです。


教員のように自分が伸ばすべき資質や在り方が法律や市町村の計画で定義されていないフリースクールスタッフやボランティアにとって、自己研鑽に向かう動機は、スタッフ達が決めたフリースクール及びスタッフの定義か、自分自身の困り感くらいしか拠り所がないと考えています。

けれど、この困り感が生まれる場や機会を強制的に作るのも、それは違うなぁと思うのです。



3、自分の中に言語化できていない子ども達への関わりノウハウがある(気がする)

これについては、もう本当によくわかっていません。ぼく自身は1番で紹介したD.Live5つの指針に沿って行動しているつもりです。

自分だけ他のみんなを出し抜いてオリジナルの技法を使っているわけじゃありません。しかし、学生ボランティアさん達から子どもとの関わりについて尋ねられたことを思い返してみれば、どうやら彼らは、まだ彼らが教わっていない独自の工夫をぼくがしていると思っているようなんです。

そう考えると、これはもうぼくは完全に無自覚で何かしら子ども達に向けたアクションをしていることになります。

ここまでは自覚できても具体的に、「いつ、誰に向けて、何をしたか」なんてさっぱり思い出せないので、ぜひ牛田くんの力を借りたいところです。



気づけば一通目から思った以上に長い文章になってしまいました。

何か牛田くんの取っ掛かりになる話題を出せたらいいのですが、もし何もなかったら、そうですね。

・子ども達と関わる自分の在り方や資質を伸ばしたいという欲求はどこから生まれるのか

あるいは、

3、自分の中に言語化できていない子ども達への関わりノウハウがある(気がする)

この辺りから話を進めていければと思うのですがいかがでしょう。

お互い同じ仕事をしている立場ですし、お返事は急ぎません。


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