見出し画像

ウエストランドのM-1優勝と、松ちゃんの審査員席の移動が、お笑いの世代間ギャップを可視化した説

今年の松ちゃんは、M-1審査委員長として右端の席に座る重責に、もしかしたら耐えきれなくなったのかもしれない。

これは今年のM-1を観て、ちょっと落ち着いた頃に浮かんだ私の率直な感想です。

今日の18:30まで、今日がM-1の放送日だとは知らず、出演するコンビもほとんど知らないだろうから、観なくてもいいかなと思っていました。でも、買い物から帰り、テレビをつけたらちょうど一組目がはじまったばかりだったのでしっかり観ました。

普通にどの組も面白かったし、久しぶりにテレビの前で大声出して笑いました。

最終審査の発表も、「ウエストランドが優勝かー」なんて呑気に観ていたけれど、友人知人の反応や審査員たちのコメントを観ていると、小さな疑問がぽっと。

「もしかしてM-1の審査員たちは、優勝者を選ぶことがもう耐えられないくらい、しんどくなってきているのでは?特に松ちゃんが。」

というのも、今年のM-1審査員の誰が言ったかは忘れてしまったけど、近年は人を傷つけない笑いや漫才がどんどん増えてきています。

背景にはコンプラ的な意味もあるでしょうし、SNSが発達させた誰でも評論家ムーブメントに配慮している面もあるでしょう。もちろん、市民全体の道徳性の成熟もある気がします。単純な理由じゃなくて、複雑な要素によって、誰も傷つけない笑いや漫才が要請されているのは確かです。

M-1審査員たちも、これを重々承知していて、審査結果の持つ意味や受け取られ方、情報の広がり方をかなり慎重に配慮をしていると思います。じゃないと、あんなにM-1審査員たちはしんどそうな顔はしない(気がします)。


完全に想像でしかないけれど、島田紳助がいた時代のM-1は決勝10組の審査も最終3組の審査もほとんど審査基準は変わらなかったんじゃないでしょうか。当日のウケと技術。これだけだったんだと思います。

でも、紳助が芸能界を去り、何年かM-1がお休みしている間に、M-1優勝芸人の露出も、お笑い賞レースへの期待も、漫才批評もどんどん増えていきました。そんな中で復活したM-1。
この、復活したM-1の審査基準は、これまでと同じというわけにはいかなかったんだろうと想像します。

ウケと技術の総合得点だけでよかったはずなのに、番組後に視聴者が発信するメッセージへの想像が審査基準に乗っかってくるようになってしまった。
私が書いているこの記事だってまさにそう。勝手に受け取って、勝手に書いている、この記事やSNSの投稿への想像や配慮をしないといけなくなったと考えます。

M-1審査員たちからすれば、たまったものじゃないでしょう。

優勝者のプロモーションやM-1という番組のブランドイメージ、「あれは漫才じゃない」「この審査はどうなんだ」などの批評コメント。想像や想定をしないといけない場所が多すぎます。

とりわけ、「漫才なんて所詮は大衆芸能」「漫才は立派なものじゃないよ」と考えている漫才師からすると、自分が思う漫才のイメージと受け手が思う漫才のイメージのギャップに、かなりキツイ思いをされているはずです。

イメージのギャップや、審査することによって勝手に生まれるメッセージ性、どんどん上がっていくM-1の格などを考慮しながら審査しないといけないなんて。もし自分がM-1審査員になったと想像するだけでも胃が痛む。。


私じゃなくて、松ちゃんの話でした。

私が思うに、M-1審査委員長の松ちゃんは、上沼恵美子が島田紳助の代わりとして自分の左側の席に座っていた頃はこの責任に耐えることができたんだろうと想像しています。

「最終いろいろなことは引き受けるけど、なんかあったときに紳助さんの席に上沼さんが座ってくれているのはありがたい」という気持ちだったんでしょう。自分の左側に上沼恵美子がいることの安心感が、複雑で責任感たっぷりの最終審査を耐え抜く力になっていたはずです。

でも、今回のM-1では自分が島田紳助が座っていた席に、つまり全体のいちばん端っこに座ることになった。きっともう始まる前から責任感で押しつぶされかけていたんでしょうね。

そんな中に飛び込んできたウエストランドの漫才!

人を傷つけない近年の笑いや漫才とは全然違う、ともすれば古いと言われてしまうような、文句言いまくりの毒舌漫才をM-1の舞台で全力でやるウエストランド。

松ちゃんにしてみれば懐かしかったんじゃないでしょうか。自分が若手の頃に抱いていた、大衆芸能としての全然立派じゃない漫才をする彼らの姿が。

近年の漫才や笑いの潮流、選ぶことによるメッセージ性、これまで以上の重責。諸々の中で、ウエストランドを選んだのは、おそらく懐かしさが決め手だったんじゃないかと私は予想します。

反町隆史のPOISONが脳内に流れていたことでしょう。「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ Poison」なんでしょう。

人を傷つけない笑いや漫才をするコンビを選び続けろとも思わないし、ウエストランドがダメとも思わない。

でも、今回の審査結果は、世代間の笑いや漫才に対するギャップを間違いなく可視化したと思っています。

じゃないと、サンドウィッチマン富澤の「これで笑っている人は共犯」って言葉も、「(錦鯉の)まさのりさんには頑張ってもらわないと」的なコメントも出なかったと思うんですよね。

これも勝手な予想ですが、博多大吉がさや香を選んだのは、さや香の技術やウケに加えて、これからは人を傷つけない笑いや漫才にシフトしていくんだという決意もあったのではないでしょうか。最終結果発表の態度からもそんな気がしたんですが、どうなんでしょうね。知らないですけど。


来年のM-1はどのコンビが出場して、どんな結果になるんでしょう。錦鯉が優勝したみたいに、感動やヒューマンドラマが後ろに続く形になるんでしょうか。もしかしたら、今回の結果は昨年の結果に対する揺り戻しもあったのかもしれません。

考えや発想が尽きないのは、M-1というコンテンツがやっぱり優れているからでしょうね。来年もきっと観ちゃうな。


いいなと思ったら応援しよう!