シン・仮面ライダーを全肯定する(追記あり)
1回目は期限切れ近いクーポン消化のために見たが、気になってもう一回見た。
とにかく感じたことは、
「なぜこんなにも自分が見たかったものが見れているんだろう?」
だった。
なので、世間に蔓延している「つまらない」「庵野のオタク趣味全開」「ドキュメンタリー見たら庵野鬼畜!」などという意見に(わからなくもないが)に対する反論というわけではないが、自分の思うところを書いてみたい。もちろんネタバレ有りなので気にする人は以下は読まないようにお願いします!
ちなみに自分は庵野監督より1歳年下の同世代で、仮面ライダーにはそれほどハマらなかったが、当時の子供達同様夢中で見ていたのは間違いない。記憶にあるのはすでに二号ライダー・一文字隼人が登場した後からで、ダブルライダー対ショッカーライダーはリアルタイムに見た記憶がある。V3から見なくなったかな?
なので、ある種様式美となっているライダーと怪人の「殺陣」にも特に思い入れはない。そのせいもあってか、シン仮面ライダーでの「段取りに見える殺陣廃止、ワイヤーもなし、アドリブ推奨」なのがむしろ心地よかった。
そのほうがリアルに見えたのだ。
なので、この映画は仮面ライダーのファン以外の方が楽しめるかもしれないとも思う。
そういう意味では、俳優陣の演技がナチュラルなのも良かった。話題のドキュメンタリー番組をまだ見ていないのだが、Twitterでの感想を見る限り、過去のライダーの表現をリスペクトしつつ、様式美は捨てて、この映画の中でのリアリティから外れない演技を志向したように思われる。
特に本郷、一文字と緑川ルリ子役の池松壮亮、柄本佑、浜辺美波の3人の演技がとても好感が持てた。本郷が震えながらも確かな決意を述べるところ、一文字の爽快さ、ルリ子が遺言に残した柔らかな笑顔、どれもが素敵だった。
庵野監督の演出方針について、ドキュメンタリーを見ていないので詳細はわからないけれど、漏れ伝わってくる内容からすれば「エヴァと同じ」なんだなと理解できる。
自分の思いつくものでないことをしたい、様式美のような過去の使いまわしはしたくない、でもそれが何かは言語化できない。
キューブリックも同様な手法だったと聞くが、もうひとり、思いつく例がある。AppleのCEOだったスティーブ・ジョブズだ。
彼は部下から上がってくる1000ものアイデアにNOを突きつけ、そうやって他人の意見を否定することで自分の求める形や機能を絞り込んでいったのだ。「いったい何がほしいんだ?」と聞かれた時「わからないがこれまでの1000個のアイデアにそれはなかった」というようなことを答えたようだ。
「自分で何かを示すことはないが、他人から出てきたものをことごとく却下することで自分の理想を追い求める」という方法論は、たしかに現場では迷惑きわまりないだろうが、それが許される職業が映画監督ではないのか?
事前の打ち合わせ不足という意見もあったが、プロの現場とはそういうものではないか?その場で突きつけられたものに死ぬ気で答える、というのがプロだろう。それが自分の常識や限界を超えるものだったら、それと真正面から向き合うことでこそ、自分や現場の成長にもつながるものだ。まあ、迷惑極まりないことは間違いないだろうが(苦笑)。クリエイティブの現場とはああいうものだ、との意見も聞くので、理解しがたいものではないだろう。
現場にそんなにも無茶を強いた割に興行収入が悪い、という意見もあるが、だからこそ、なのではないか?これまでの仮面ライダー的なものを求めていた観客には不評だろうから、今後の口コミによるロングランにしか頼れない。この映画に「一本通った筋」を見いだせる者でないと、「庵野の趣味全開」ではない感想を持てる者に伝わらないと、ロングランは厳しいだろう。
だからこそこの記事を書いているのであるが、そんなに許容範囲が狭い映画とも思わない。むしろこれまでの否定的意見のほうが許容範囲が狭いのではないか?だからこそ、仮面ライダーに思い入れのない人、特に庵野ファンでもない人、オタクではないと自認する人々にも見てほしいと願う。
最後にショッカー、特に蝶オーグ・緑川イチロー役の森山未來の演技と、その意義について。
見ている最中に気づいたが、イチローと本郷は、どちらも親を理不尽な暴力で殺されたという点では同じであり、どちらも力を望み、イチローは自ら望んで改造人間となり、本郷は望まぬままに改造されてしまった。だが、その力で何を望むかという点において、表裏一体ともいえる存在なのだ。
そこで「人類全体から自分のような、世間の理不尽に苦しむ存在をなくしたい」「そのためには、エゴの巣窟である肉体をなくして魂だけの世界に放り込んでしまえば良い」という、ある意味とてつもなく迷惑な「優しさ」を実行してしまえるのがイチローなのだ。
これは考えようによっては現実的に恐ろしいことだ。あなたの周りの社会的弱者が、何らかの力(AIもその候補だ)を得た時に、社会的「悪」となる可能性があるのだ(元首相の暗殺事件を思い浮かべる人も多いだろう)。こう考えると、この設定は極めて現代的だ。
「悪」は私達の身の回りに、言ってしまえば自分たちの心のどこかにも有り得るものなのだ。
本郷もそれを感じたのではないか?自分とイチローは表裏一体、もしかしたら自分がイチローと同じことをしたかもしれない、そういう可能性もあったのかもしれないと。異なる「優しさ」を持つ二人では有るが、そこは通じあえるものがあったのだろう。
これが3人のバトルの末に本郷が自分のマスクをイチローに被せ、ルリ子との対話を促した伏線となっているように感じられた。正直に言うと、ルリ子との対話で、何がイチローをして自分の計画を破棄させ、ヘルメットに残らず消えていくことを決心させたのか、今でも良くわからない。しかし、本郷がイチローを理解できたこと以外に、「突破口」はなかったと思えるのだ。
イチローのルリ子に対する思いもあるのだろう、とも思う。しかし、そこに至るまでのイチロー、ルリ子、本郷の演技からは、まだまだいろいろな感情を読み取れる余地があるように思う。
そういう「余地」を残してくれたことに庵野監督の「深み」を感じてしまうのは、同世代のオタクだからなのか?もう残り少ない自分の人生で、エゴや欲望のために世界征服を企む「敵」や「悪の組織」などに興味は持てないのだ。
むしろ、身近な人や自らに潜む「悪の萌芽」のほうが、現実的に大きな問題だと感じる年頃なのだ。自分も、もしも力を得たら、本郷ではなくイチローになるかもしれない、それが人類の幸福だと思い込むかもしれない。
そう思えるようになったのは、森山未來の演技によるところが大きいと思う。彼が表していたのは、徹底的に「自分の思いにまっすぐであろうとした」一人の男の姿なのだ。他人を小バカにしたような、根っからの悪人にはとても見えない、懸命に生きている一人の男にしか見えなかったのだ。そこが自分には、本郷と重なって見えるところなのだ。
だからこそ、本郷、一文字、イチローによるラストバトルがどこまでも泥臭い肉弾戦だったのも、ものすごく納得がいったのだ。ここを様式美を前面に出した殺陣でやられたら、イチローの苦悩もウソくさくなっただろう。
もちろん、このあたりはTwitterやYoutubeで目に付く限りでは、かなり違った受け止め方をされているのは重々承知しているのだが、こういう受け止め方も有るという一例として書いてみた。
あなたはどう思いましたか?
PS. 4/9追記:
午前中に3回目+舞台挨拶ライブビューイングを見てきたのでいくつか補足を。
今回は本郷とルリ子、一文字、イチローの感情の表現がぐいぐい来て、何度も涙ぐんでしまった。舞台挨拶で池松壮亮や浜辺美波、庵野監督も語っていたが、ハマる人には思いっきり刺さる作品なのだろう。何がきっかけでそんなに刺さったのか自分でもわからないが、ストーリーを追いかけるのをやめた時、細やかな感情表現の演出にようやく気づけたのかもしれない。
最初からそこにハマる人と、2回め3回目からハマる人、まったくハマらない人に分かれるのが、これほど評価が分かれる要因となっているのだなと感じた。
庵野監督もシン・シリーズの中で「一番熱量がある」と語っていたが、自分にとっての評価もシン・ゴジラ<シン・ウルトラマン≦シン・仮面ライダーとなっている。「三者三様それぞれが響く人に届くように作った」とのことなので、評価が分かれるのは仕方がないのだろう。
そしてラストシーンの、一文字が新一号のスーツと新マスクで本郷と対話しながら角島大橋を疾走するシーンでは、監督の仮面ライダー愛がじんわりと伝わってきてここでもウルウルしてしまった。2回目まではそんなことなかったのに?
Twitterで見たが午後1時過ぎの舞台挨拶(記者撮影なし)のほうがいろいろ興味深い発言があったようなので、再録しておく:
・森山未來はオーディションに参加しており、名前を見た庵野監督が「これってあの森山未來なの?」と驚いた。
・既に1号2号は決まっていたので、どうしても森山未來にライダーをやってほしかった庵野監督は、急遽脚本を書き換え「仮面ライダー0号」として3人めのライダーを出した。
・池松壮亮がジャンプするたびに涙ぐむスタッフがいて、「仮面ライダーをやってくれてありがとう」と感謝された。
・スタッフに仮面ライダーの変身ポーズにうるさい人が多数?居て、柄本佑に「もっと腕は上」「もう少し下」などとあちこちから指示されて困惑する柄本佑。
・浜辺美波も柄本佑もしょっちゅう現場では寝ていて(睡眠不足のため)、ルリ子がクモオーグに拐われて車で移動しているシーンはマジ寝していたため本人は撮った記憶がない(^o^)
・池松壮亮ももちろん寝ていたが、マスクを被ったまま立って寝ていた(^o^)