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「短編小説」黒炎

人だけを燃やし尽くす黒い炎。それはいったい……。

久しぶりの短編です。よろしくお願いします。

文字数(本文のみ):約7800文字  読書時間目安:14分


☆  ☆  ☆  ☆  ☆




 


 コンコン……。

 ノックの音がした。

 「お届け物です」

 微かな声も聞こえてくる。

 ワンルームマンションでゲームをしていた宮本継夫は、モニターから目を離し玄関の方を見る。

 変だな?

 ドアホンを鳴らさずノックというのもそうだが、ここまでドアの向こうから直に声が聞こえてくるというのも妙に思えた。それも、年配の男性らしいが不気味な声だ。

 夜も更け深夜に近い頃で、宅配便が届く時間でもないはずだが……。

 コンコン……。

 「お届け物です」

 またしても聞こえてくる。急かしているふうではない。しかし、不穏な雰囲気を早く解消したいと思い立ち上がる。玄関前を映し出すモニターをつけた。

 誰もいない……。

 ここは小さなマンションの一階。自由に出入りできる。留守と思って帰ったのだろうか?

 用心のために微かにドアを開けて向こうを見るが、やはり人影はない。ホッとして全開にする。

 ん?

 目の前の空間で、拳くらいの炎が燃えていた。ゆらゆらと揺れながら浮いている。

 火の玉? いや、まさか。でも、なんでこんな所に?

 混乱してしまった。

 消した方がいいか? それとも、消防署へ連絡? 管理人には……?

 戸惑っていると、炎はオレンジ色から濃い赤に変わり、最後に真っ黒になった。

 く、黒い炎? 

 思わず目を見開く。

 揺れ続ける漆黒の炎は、次第に大きくなっていった。そして――。

 お届け物です……。

 どこからともなく響いてくる声。それに伴い、黒い炎が迫ってくる。

 うわぁぁっ!

 慌てて逃げ出そうとした。しかし、あっという間に炎に呑み込まれてしまう。

 「ぎゃあぁぁぁっ!」

 激しい断末魔をあげ、宮本は燃えあがる。数分後には、玄関前のスペースに黒焦げになった彼の死体が転がった。



 


 静かな郊外に建つマンションだが、深夜であるというのに騒然となっていた。

 いくつもの警察車両が前に停められ、警官達が行き交っている。

 遠巻きに見る野次馬達――。

 それをかき分け、内野豊は規制のために張られたロープをくぐる。

 県警捜査一課に所属する刑事ではあるが、特にこの事件のために出動したわけではない。所用で近くにいて、騒ぎを聞きつけて様子を見に来た。

 この地域を管轄する所轄は県警に行く前の配属先でもあり、気になったのも足を向けた理由だ。

 「あれ? 内野じゃないか。どうした?」

 以前の同僚、村田が目ざとく見つけて声をかけてきた。

 「近くまで別件で来ていたんだが、気になってな。焼死だって?」

 「ああ、それも体の奥まで真っ黒焦げになってる。なのに、他の箇所にはまったく被害がないんだ。まるで体だけ焼き尽くした火がそのまま消えてしまったみたいだよ。床や壁にも焦げ痕もないらしい」

 顎で鑑識課員達が調べているのを示しながら村田が応えた。

 「そいつは妙だな」眉を顰める内野。「事件性は?」




 「まだわからん。ただ、同じような焼死事件が、実は管轄内であと2件あったんだ。それも、つい最近。どちらも、とりあえず事故として原因を調べているんだよ。しかし、3件となると偶然とは言えないし、これが何かの事故だというのもちょっと疑問が残るな」

 村田はそう言いながら首を傾げている。

 「前の2件の被害者は、何か繋がりはあるのか?」

 「友人らしい。高校の同級生だった」

 「今回のは?」

 「今から調べるところだけど、被害者はそこの部屋の住人の可能性が高い。宮本継夫という23歳の男性なんだが……」

 「まさか、前の2件も?」

 「そう。同じ歳の男性だよ」

  ゴクリ、と唾を飲み込む内野。もし被害者3名が知り合いだとしたら、事故ではなく何者かの意思による殺人である可能性が高くなる。しかし、こんなふうに人だけ燃やし尽くすなど、どんな方法で?

 「連続殺人となると県警捜査一課のお出ましだな。うちの署に捜査本部が立つ。おまえも参加するかもしれんな」

 村田に言われたが「いや……」と首を振る。内野は現在、管理官である倖田睦夫に疎ましく思われており、チームでの捜査からは外されることが多くなっていた。

 怪訝な表情で見つめてくる村田に「何か進展があったら教えてくれ」とだけ言い残し、内野はその場を後にした。



 


 奇妙な焼死の現場を見た翌日、内野は朝から県警刑事部へと出勤した。捜査一課に向かう際、倖田管理官とすれ違う。

 鋭い眼光で睨まれた。

 目をそらす内野。そのまま無言で離れたが、背後に憎悪に満ちた視線を感じる。

 自分が清廉潔白な警察官であるなどとは、微塵も思っていない。時にルール違反や不適切な行動もとりながらの捜査をしてきた。

 ただ、どんな時でも目指すのは犯罪者の検挙であり、一般市民の生活を守ることだ。それは、警察官としてあたりまえだと思っている。

 しかし、奴――倖田は違う。

 管理官という立場を利用して、これまで権力や財力のある者の依頼を受け、いくつかの事件捜査をねじ曲げてきた。結果、何人かの逮捕すべき者が今でものうのうとし、守られるべき人が怒りや悲しみを払拭できず、不満や不安を抱えながら生きている。

 看過できずに正そうとした者もいた。内野の知り合いで、警察官として目標にできる人だった。なので、内野も協力した。

 だが、不審な事故に遭い命を失った。証拠はないが、倖田が暗躍したに違いない。

 許せない……。

 いずれ確たる証拠を掴み、かならず追い詰める。内野はその思いを胸に秘めながら日々をすごしていた。




 捜査一課は人がまばらだった。同じ班の岡田がいたので「よう」と軽く挨拶し合う。そして……。

 「昨夜遅くに起きた焼死事件について、何か動きはないか?」

 内野が訊くと、彼は顔を顰めた。

 「ああ、同じような焼死体が他にもあったな。だから事件性もあると思われたんだけど、結局事故としてり扱われる。科学捜査研究所が原因を調べることになったらしい」

 どこか納得いかないような表情をしていた。

 「所轄の知り合いの話では、同様の焼死をしたのが最近3名。皆同年代で内2人は知り合いだったようだが?」

 「いや、3名とも知り合いだよ」

 岡田が肩を竦めながら言った。やはり宮本継夫も前の2名と同級生だったようだ。

 「それでも事件性はない、と?」

 「それがさ……」声を低くして顔を近づけてくる岡田。「倖田管理官が判断したらしい。何人かの刑事に事故だという方向にいくような意見を言わせてな」

 倖田は捜査一課内にも所轄にも、指示に従うよう懐柔した者を何人も置いていた。それぞれの部署で発言力のある連中だ。自らの望むような方向に捜査が進む事が多いのもそのためだった。

 「何か裏があるんだな、倖田管理官も絡んでいるような」

 目つきを鋭くした内野に、岡田は首を振る。

 「俺はそこまでは言わないぞ。あくまでも状況を教えただけだ。なあ、内野……」

 急に心配そうな表情になる岡田。内野は目つきだけで疑問を示した。




 「倖田管理官の影響力はますます大きくなっている。反発する者には何をしてくるかわからんから、気をつけた方がいい」

 「わかっているが、放置するつもりもない。あんな人間をいつまでも管理官にしておくわけにはいかない」

 「いずれ監察が動くのを待つ、っていうのもありだろう?」

 岡田が諭すように言うが、内野は納得しない。狡猾な倖田のことだ。尻尾を掴まれないように工作はしているだろう。それに、もし監察が動くとしても、それまでにいくつの事件がねじ曲げられてしまうかわからない。

 溜息をつく岡田。その時、内野のスマホが震えた。

 席を立ち廊下に出てからモニターを見ると、女性の笑顔が映っていた。

 河合久恵――内野と同じ28歳だが、もっと若く見える。学生に間違われた、と自慢げに言っていたこともあった。雑誌記者をやっている。

 「どうした、こんな朝から?」

 「今晩時間ある?」

 久恵の声。「ない」とは言わせないような口調だ。

 「作ろうと思えばできるが、色っぽい用件じゃなさそうだな?」

 苦笑しながら応える内野。

 「じゃあ、作って。あなた次第では色っぽくもなってあげるわよ?」

 ふふ、っと笑いながら言う久恵。

 「なんの用件なのかだけ教えてくれ」

 「たぶん警察でも苦慮しているんじゃない? 連続焼死事件のことよ」

 「なにっ?」と思わず息を呑む。

 「場所と時間はLINEするわ。じゃあ、よろしくね」

 それだけ言うと、一方的に通話は切られた。

 ずいぶんタイムリーだな……。

 内野は溜息をつく。何か不穏な予感が胸にわきあがってくるのを感じた。




 


 「イジメで自殺?」

 顔を顰めながら久恵を見る内野。寂れたバー。奥の席だった。

 「そう」カクテルを一口飲んでから頷く久恵。「それも、かなり酷い、犯罪といってもいいくらいの虐めだったらしいわ。最近不審な焼死をしているのは、その時の加害者達……」

 彼女が記者として所属する雑誌社は、硬派な社会問題から芸能、生活情報、オカルト等多岐にわたる事項をとり扱っている。その中で、5年ほど前に他の記者が取材していた事件らしい。

 本巣明という当時高校三年生だった男子が、校舎の屋上から飛び降り自殺をした。本人の遺書や日記から、虐めが行われていたことが疑われる。

 暴力や恐喝をはじめ、万引や痴漢の強要、大勢の前で裸にさせられる、異物を食べさせられる等、壮絶なものだったようだ。

 虐めを行っていたのは4人の男子グループだが、昨夜の宮本とその前に焼死した2人が所属していた。そして……。

 「リーダー格で虐めの首謀者でもあったのが、原北冨美男。民事党所属の代議士、原北正の息子ね。そいつがまだ焼け死んでない。これからかも?」

 ふふん、と笑う久恵の顔は小悪魔のようにも見えた。

 「誰かが復讐をしている、とでも? 飛躍しすぎだろう」

 苦笑する内野だが、久恵は逆に真剣な目つきになる。

 「本巣明の両親は学校や教育委員会をはじめ、あらゆる所に虐めの調査をするよう訴えた。でも、原北の圧力によりすべて潰された。恥ずかしながら、うちの雑誌でもそう。本社から取材にストップがかかったの。そして、母親は交通事故に遭い半身不随となって昨年亡くなった。おそらく事故は傷心で精神が虚ろだったためか、あるいは自殺をはかったのかも。その後、父親はどこかへ姿を消した」




 「その父親が復讐を、って思っているのか?」

 だが久恵は首を振る。

 「さすがに本人にはムリ」

 「ていうより、普通の人間にはムリだぞ」

 昨夜の事件を思い返す内野。殺人の線を疑ってはいるが、どうすればあんな事ができるのか?

 「それでね……」久恵がこちらの顔を覗き込むようにしてくる。「うちの雑誌社は扱う範囲が広いのは知ってるよね? 実は、その父親の郷里の言い伝えみたいなのに、面白い話があるの。あなたは信じるかどうかわからないけど、今、そっち系に詳しい記者に調べてもらってる。わかり次第教えてくれるわ。それが真実なら、復讐っていうのもアリね」

 「どういうことだ? もったいぶらずに教えろよ」

 「詳しいことがわかってから。それより、ここから先は私にも、そしてあなたにとっても重要なことなんだけど……」

 「……?」

 ただ見つめ返す内野に、久恵は一瞬緩んだ表情を再度引き締めた。

 「原北の圧力が及んだのは警察も同じ。虐めに関する捜査をやめさせた。指示を受けて動いたのが、捜査一課管理官の倖田よ」

 彼女も倖田を憎んでいた。おそらく内野以上に。なぜなら、ヤツを追求しようとして命を失った警察官は、彼女の兄だからだ。

 二人は倖田の闇を暴くために協力し合うことを約束している。

 なるほど、過去の虐め揉み消しに通じるから、ヘタなことをほじくり返されないように、この焼死も事件性なしとしたのか……。

 納得しながらも、内野は怒りで目つきを鋭くした。




 


 久恵との関係は微妙だった。気持ちを確かめ合ったわけではないが、こうやってベッドを共にすることもよくある。

 バーで飲んだ後、彼女の部屋へ転がり込んだ。

 何度かお互いを求め合った後、彼女のスマホが鳴った。気だるそうに手にする久恵。裸身にタオルケットを巻いただけの姿を眺めながら、内野は煙草に火をつける。

 「仕事関係よ」

 「こんな夜中にか?」

 「雑誌記者に時間は関係ないわ」ウインクする久恵。そしてモニターを見る。真剣な表情が甦った。「バーでの話、虐め被害者の父親、郷里に言い伝えがあるって、覚えてる?」

 「ああ、面白い話だとか?」

 「うん。でも、面白がっている場合じゃないかも? これよ」

 スマホを手渡してきた。見ると、メールに添付された資料らしいものが映っている。

 「怨火とどけ?」

 それは県内の山間部のある集落に残る伝承らしい。

 「黒炎神社」と呼ばれるところが昔あった。昭和の頃には「刻縁神社」と字を変えているようだが、今もあるかどうかは不明だ。

 そこには、古来より一度も消えることなく燃え続ける「怨火《えんか》」という炎が祀られており、「怨火とどけ」もしくは「怨火おくり」と呼ばれる呪法が伝えられていた。

 神社で怨火を分けてもらい、呪法の指導を受ける。そして憎い相手へ呪いの念を込める。すると、更に怨火が分かれて相手にとどき、燃やし尽くしてしまう、というものだ。

 「これで復讐したとか本気で信じているのか?」

 「わからない。けど、そう考えると不思議な焼死が続いていることの理由にならない? この後、原北冨美男も焼死したなら、尚更……」

 まさか、と一笑に付す気にはならなかった。いろいろな事件に接していると、不可思議な経験をすることもある。

 とはいえ、呪術とは……。

 煙草の先の光がやけに目にしみた。




 


 次は俺の番なのか……?

 父親に買い与えられたマンションの一室で、原北富美男は震えていた。

 高校生時代、本巣という男を虐めて死に追いやった事がある。その頃つるんでいた者達が3人、次々に不審な焼死を遂げていた。

 原因は不明らしい。何者かがやったという痕跡もない。だが……。

 もう勘弁してよ。お願いします……。

 そう言って土下座した本巣の姿を思い出す。全裸にして、体のあらゆる所に煙草を押しつけてやった後だ。

 奴の復讐をするとしたら、行方不明だという父親くらいだろう。

 とはいえ、ここはタワー型マンションの21階。住人か招かれた者しかエントランスを抜けることもできない。現実的に考えれば、ここまでたどり着くのはムリだ。

 それでも原北は、得体の知れない不安にさいなまれていた。

 消化器をすぐ側に置き、更に大型のサバイバルナイフも持っている。

 ふと、その時……。

 コンコン……。

 ノックの音がした。

 「お届け物です」

 微かな声がドア越しに聞こえてくる。




 えっ?

 息を呑んだ。配達はコンシェルジュが確認して1階のロッカーに入れることになっている。ここまで来るなんてあり得ない。

 背筋に冷たい汗が流れた。

 コンコン……。

 またしてもノックの音――。

 モニターを見た。玄関前には誰もいない。

 サバイバルナイフを手にする。そんな彼の耳元で……。

 「お届け物です。お受け取りください」

 な、なにっ!?

 慌てて振り返ると、そこには拳くらいの炎が浮かんでいた。

 な、なんだよこれ?

 慌てて後じさる。

 しかし、その炎はゆらゆらと揺れながら追ってくる。大きくなり、次第に色が黒くなり、そして……。

 「ぎゃぁぁぁっ!」

 あっという間に黒い炎に呑み込まれる原北。

 数分後、豪華なマンションの一室には黒く燃え尽きた死体が転がった。




 


 「たぶん、突然行っても会えないぞ」

 前を行く久恵に、渋々ついてきた内野が声をかける。

 「刑事のあなたが一緒だと言ったら、もしかしたら話せるかもよ?」

 「そんなわけないだろう。むしろ警戒される」

 「昔の虐め仲間が次々焼死している状況よ。何か不安を感じているはず。そこをつつけば、つけいる隙はできるわ」

 「俺を利用する気かよ……」

 肩を竦める内野。彼女のしたたかさに舌を巻く。

 例の原北富美男に、過去の虐めについて取材に行くところだ。つきあえと言われたときは戸惑ったが、こういう思惑があったのか……。

 途中、前方から歩いてくる男が目についた。和装――白衣に黒袴で、いくつかの文字が書かれた編み笠を被っている。

 すれ違うと、ハッとして久恵が立ち止まった。

 「どうした?」

 「ちょっと待ってて」

 彼女はそう言い残し、和装の男に走り寄っていった。声をかけると相手は止まる。

 何か言葉をかわした後、男が頭を下げて去って行くのを、久恵は呆然とした目で見送った。

 「どうしたんだ? あれは誰だ?」

 戻ってきた彼女に訊くと、まだ心ここにあらずという表情で応える。

 「神主さんだって。刻縁神社の。編み笠にその名が書いてあったから確かめたんだけど、やっぱりそうだった」

 「なに?」

 怪訝な顔になる内野。確かその神社は、伝承の……。

 突然、パトカーのサイレンが聞こえてきた。原北が住むというマンションの方へ向かっている。

 まさか……?!

 駆けつけてみると、消防車や救急車もやってくるところだった。しばらく眺めてから、消防士らしき男に身分を明かし事情を訊く。

 原北の部屋の熱感知警報器が鳴ったらしい。それでコンシェルジュが中を確認したところ、黒焦げの死体が見つかった。たぶん本人だろう。

 「怨火とどけ……」

 驚きで息を呑む内野の横で、久恵が呟いた。

 彼女の表情に不穏なものを感じたが、内野はかける言葉が見つからなかった。




 


 
 数日後――。

 倖田睦夫は勤務を終え、帰路につくため自家用車へと乗り込んだ。

 コンコン……。

 どこかをノックする音がした。ウインドウだろうか?

 視線を巡らせてみるが、誰も見当たらない。

 気のせいか?

 そう思い、前に向き直る。すると……。

 「お届け物です」

 遠いところから響いてくるような、男の声が聞こえた。

 またキョロキョロとしてから助手席に視線を向けると、顔くらいの位置に炎が浮いている。

 なんだ、これは?

 慌てて外へ出ようとするが、ドアが開かない。ロックされたままになってしまっている。

 馬鹿なっ!

 炎を振り返る。それは次第に大きくなっていく。そして、色がオレンジから黒へと変わり……。

 「うっ、うわぁぁ!」

 叫び声をあげたとたん、倖田の体は黒い炎に包まれた。




 帰宅しようとしていた内野は、なぜか慌ただしくなった捜査一課内を振り返る。岡田が駆け込んできた。内野を見つけると、蒼白の表情になりながら声をかけてくる。

 「下の駐車場の車内で、倖田管理官の焼死体が見つかった。燃えているのは本人だけで、車には何も被害がない。シートに焦げ痕さえないそうだ」

 「なんだとっ!?」

 目を剥き叫ぶように言うと、内野は駆け下りていく。

 駐車場には多くの警官達が行き交っていた。鑑識らしき者達も慌ただしくしている。

 前の路上には野次馬が集まっていた。多くの人々が「何事か?」と興味深そうな視線を向け、無責任に何かを言い合っている。

 そんな中に、見知った顔があった。久恵だ。

 目が合うと彼女は辛そうな表情をして俯きながら、何事か呟く。

 ごめん……。

 そう言ったような気がした。そして、人混みの中に入り込み、去って行く。

 「久恵、待ってくれ!」

 後を追う内野。

 しかし、野次馬をかき分けたところでその後ろ姿を見失ってしまった。

 ん? あれはっ!?

 妙な影が目の端をかすめる。例の和装の男だった。編み笠が揺れている。

 一瞬躊躇ったが、追いかけることにした。

あと数メートルのところで、男が路地へと曲がっていく。

 「ちょっと……」

 意を決して声をかけながら、路地に入る。

 だが、男の姿は消えていた。

 他に脇道などない。一体どこへ行ったのか?

 恨み、憎しみ、憤り……其れらは炎にて燃やしましょうぞ――。

 微かにそんな声が聞こえてくる。

 黒ゐ炎にて燃やしましょうぞ。怨火、お届けいたし候――。

 呆然とたたずむ内野の耳に、いつまでもその声が残っていた。

                                     

              了

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環 旅斗
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