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【エッセイ】断ち切りたい「毒親の血」――「両親が開業医の一人息子であること」は必ずしも幸せを意味しませんでした。
先日、noteで『いくつもの世界の片隅で「ふつう」に翻弄されていたら、ロンドンに辿り着いていました。』を公開したところ、多くの方に記事をご覧いただきました。
もともとの『この割れ切った世界の片隅で』では地方や家庭といった環境によって異なる「ふつう」に主眼を置いていましたが、私のエッセイは「親の理解」によって歪まされ、今なお危機に瀕している「ふつう」についても取り上げました。
せっかくですから、この「親」の話をしてみたいと思います。
「開業医の家系」の父親と「公務員の家系」の母親
以前の記事でも述べましたが、私の両親は開業医で、私はその一人息子として生まれました。
周りからは勝手に「跡継ぎ」と決めつけられ、私が進路として一切考えていないことを知ると、親戚が「継ぎなさい」と勝手に命令してきたり、同級生が「継がなくて良いの?」と訊いてきたりしました。それでも、興味がないのですから仕方ありません。
なかでも、伯母(父親の姉)が「継ぎなさい」と強く言ってきました。まるで私に「職業選択の自由」などないかのように。というか、仮に指示に従って開業医を目指したとして、もしくはなったとして、伯母はその私の人生に責任を負ってくれるのでしょうか。おそらくそんなことはありませんよね。他人の人生に土足で踏み込んで指図しようとするのに責任を取ることはないのですから、そんな人物の言うことに従うべき理由はありません。
驚くべきことに、父親の家系には開業医が5名います(父親を除く)。私の従兄、父親の従妹とその娘(私の再従姉)夫妻、それから遠縁にもう1人。おそらく(他人の家系図や職業を精査したことがないので詳しくは分かりかねますが)、かなり奇特ですよね。
しかし、特筆するべきは父親の従妹の娘(私の再従姉)を除いて、「自分で自身の診療所を開業」しています。だから、「代々開業医の家系」ではないにも関わらず、やたら親戚に開業医が多い「開業医の家系」なのです。
一方で、母親は「公務員の家系」に生まれました。祖父は市役所職員で、祖母は小学校教師を経て専業主婦に。母親の兄(私の伯父)は高校教師で、その妻は小学校教師です。従兄姉も教育系や医療系の職に進みました。「手堅い」職業の多い家系です。その中で、母親は国立大学を卒業して、父親と結婚しました。
しかし、これも以前の記事で述べましたが、両親は重度の貧乏性で、私の小学校入学時には数百円の色鉛筆セットや数千円の鍵盤ハーモニカすら買い与えてくれませんでした。だから、私にとって「開業医の一人息子」であることは必ずしも華々しい生活を意味せず、むしろ私はみっともない生活を強いられてきました。
「愛がない」結婚をずっと後悔していた母親
その結婚は決してロマンチックなものではありませんでした。父親の従妹が開業した診療所を見学に訪れた母親と、その診療所を手伝っていた父親が結婚したのは「他に出逢いがなかったから」。
特に、父親に関しては何度お見合いをしても縁談を断られ、完全に「行き遅れていた」ようです。しかし、母親はそれを知る由もなく、周りの薦めもあって結婚してしまいました。
それでも、母親は違和感を拭いきれなかったようです。お見合いで私の生家を訪れた母親に、後に母親の姑となる私の祖母が言い放ったのは「廊下を掃除して欲しい」ということでした。お見合いで息子の縁談相手に、具体的な家事の指示や要望を出す非常識な祖母には驚愕せざるを得ません。
(というか、お見合いなのに料亭やホテルのレストランではなく、「自宅」を選ぶあたり、実に「ケチくさい」と思わざるを得ません。)
そして、結婚して初めて迎えた母親の誕生日。父親からプレゼントは何もなく、母親が切り出して初めて、父親は買ってくれたようです。しかも、出費を嫌がるかのように「チッ」と舌打ちしながら。結婚相手の誕生日すら忘れ、プレゼントをねだられたら舌打ちして嫌がるのですから、いままで縁談を断られ続けてきたのも納得してしまいます。
その違和感に母親が「腹落ち」したのは夫の姉(私の伯母)から、父親が何度も縁談を断られ続けてきたことを告げられたときのようでした。母親は伯母の言葉を思い出しながら、「そんな人なら、最初から教えて欲しかった」と涙を流していました。
そもそも両親の結婚それ自体がお見合いで、しかも「妥協の産物」。母親はともかく、父親は何人にも縁談を断られ、母親はそれを知らずに応諾してしまったようです。
— 堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi (@Hidetoshi_H_) July 29, 2020
私が中学生のときに、「早く知りたかった」と泣いて後悔していました。 https://t.co/Y8fTH5Qv7r
それにしても、聞いて母親が悲しむであろう事実を無神経に告げる伯母も、「無配慮」と言わざるを得ません。
「妥協の産物」としての出産
その愛のない夫婦に産まれた私は、もちろん「愛の産物」ではありませんでした。周囲からの圧力によって生まれた「妥協の産物」です。
私は常に母親から「周りがうるさいから産んだ」と言われながら育ちました。
— 堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi (@Hidetoshi_H_) July 29, 2020
私の祖父母や叔父伯母からの圧力に屈して作った子供だから、せめて余計なお金は掛けたくないのでしょう。だから、数千円の鍵盤ハーモニカや数百円の色鉛筆すら、渋られました。結局、買って貰えませんでした。
実は、私が産まれる3年前に、母親は流産を経験しています。おそらく、この「毒親」と生きるのを嫌がったのでしょう。かつて何人かの女性が父親との縁談を断ったように。
そして、私も産まれるときに、おそらく嫌がっていたのだと思います。心音低下による緊急帝王切開で、私は母親の胎内から無理やり産み落とされました。でも、そのままこの世に生を受けなければ良かったと、何度も思わされてきました。
私が気に入らなければレントゲンの暗室に監禁する父親と、首を絞めて言うことを聞かせる宗教狂いの母親
愛のない家庭に嫌々ながら産まれてしまった私を待っていたのは「ドメスティック・バイオレンス」でした。
私が気に入らなければ父親は診療所のレントゲン暗室に私を監禁して、母親は首を絞めてきました。高校生になるくらいまで、どこの家庭でも親は子供を監禁したり首を絞めたり知るのが「ふつう」だと思って育ちました。
そういえば、母親に包丁を向けられたこともありました。
両親ともに開業医、父親に至っては博士号を持つものの、家庭を支配するのは暴力と罵声、つまり虐待でした。
— 堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi (@Hidetoshi_H_) July 25, 2020
私が気に入らなければ父親は私をレントゲンの暗室に閉じ込め、母親は首を絞めてきました。高校生になるまで、親が子供を監禁したり首を絞めたりするのが「ふつう」だと思って育ちました。 https://t.co/SMIk92Inzr
でも、厚生労働省の定義によると、これらの行為は「虐待」です。
そして、「ネグレクト」も虐待に分類されます。休日になっても父親はパチンコに出掛けて、私の面倒を見ようとしませんでした。一方で、母親は仏教(真言宗)系の新宗教である「真如苑」の信者で、休日は私を前橋市内の教団施設に連れて行くことを「子育て」と勘違いしていたようでした。さらに、私が教団施設に行くのを嫌がって自宅で留守番していると、パチンコのために遅く起きてきた父親が「なんで(教団施設に)行かないんだ!」怒鳴りつけてきました。
土日になっても父親はパチンコに出掛けて私の面倒を見ることはなく、
— 堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi (@Hidetoshi_H_) August 14, 2020
母親は仏教(真言宗)系の新宗教である「真如苑」の信者で、土日は嫌々ながら教団施設に連れて行かれました。
教団施設に行くのを嫌がって自宅で留守番していると、パチンコのために遅く起きてきた父親に怒鳴りつけられました。
そういえば、私にとって「東京へのお出かけ」というと、基本的には立川市内や港区内にある教団施設や、東京都内各所の信者宅を母親と訪問して、そのついでに観光スポットに立ち寄ることでした。
数百円の色鉛筆セットや数千円の鍵盤ハーモニカすら買って貰えなかった小学生時代
児童学習誌のCMで「ピッカピカの一年生」とのキャッチフレーズがあります。小学校1年生と言えば、真新しいピッカピカの学用品に囲まれているイメージを、多くの人は抱いていることでしょう。確かに、私もランドセルは新しいものを買って貰えました。
しかし、数百円の色鉛筆セットや数千円の鍵盤ハーモニカは、買い与えて貰えませんでした。私に押し付けられたのは、母親や従兄姉が小学生の時に使い古した短く不揃いな色鉛筆セットや、苗字が違う従兄姉の名前がぐちゃぐちゃに書かれ、マウスピースも交換されていない鍵盤ハーモニカでした。
クラスで他の児童がピカピカの学用品を使っている中で、一人っ子なのに「お下がり」を使わされるのは本当に惨めでした。
— 堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi (@Hidetoshi_H_) July 25, 2020
好きな女の子の前で、一人だけ楽器も文房具もボロボロなのです。「金がない」と言われましたが、たかだか数百円とか数千円の学用品を、開業医の両親が買えないはずもありません。
兄姉がいれば、「お下がり」でも納得です。実際に、小学校1年生の学級に1人か2人ほどそのような同級生はいました。でも、私は一人っ子。しかも、母親や年齢の離れた従兄姉が使っていたものですから、兄姉が使っていたレベルを遙かに超えて古い「お下がり」でした。
確かに、本当にお金のない家庭なら、確かに「お下がり」でも仕方ないかもしれません。我慢せざるを得ないかもしれません。それでも、小学校1年生のときに同じクラスだった同級生は2人を除いて、鍵盤ハーモニカを買い与えて貰っていました。色鉛筆セットまで「お下がり」だった同級生を観たことがありません。なかには色鉛筆が12色セットではなく、24色セットの児童もいました。
そして、開業医の両親に、たかだか数百円とか数千円の学用品を、買えなかったはずもありません。それでも、「金がない」と明らかな嘘をつかれてまで、格好付けたい男の子や好きな女の子の前でも、ボロボロの学用品を使うことを強いられたのです。
嫌がる私を監禁してまで『水戸黄門』を見たがる父親
ちょっと話題が前後してしまいますが、たとえば私が悪いことをしたなら、虐待は手段として最悪でも、その目的は正しいと言えるのかもしれません。しかし、父親はテレビで『水戸黄門』を観るために、私を暗室に監禁してきました。
父親の好きなテレビは『水戸黄門』でした。しかし、小学生の私は殺陣の場面、つまり「この紋所が目に入らぬか」と印籠を取り出して権威を誇示する直前の乱闘シーンで、怒鳴り会いながら戦っている俳優さんたちを見るのが怖くてたまりませんでした。それでも、父親は私が学校から帰ってくると高確率で『水戸黄門』を観ていて、嫌がる私が勝手にチャンネルを変えると激怒しました。たとえ、私が嫌がって泣き叫んでいてもです。
息子が怖がって嫌がって、泣き叫んでいたとしても観たい番組があるなら、もう1台テレビを買って別の部屋で観れば良いでしょう。それがあるべき「配慮」――つまり適切な「ゾーニング」のはずです。しかし、父親は「テレビは既に1台ある」と言って、私が嫌がることはお構いなしに別にテレビを買うこともなく、家に1台しかないそのテレビで『水戸黄門』を観るのでした。あくまで「お金が掛からない」ことが最優先で、そのためなら私が心に傷を負ったとしても、トラウマを抱えたとしても「知らんぷり」。
そして、月曜日の20時に私が観たかったテレビは『世界まる見え!テレビ特捜部』でした。しかし、私がこれを観ようとするとチャンネルを変えてきて、抵抗すれば私を診療所のレントゲンの暗室に閉じ込めてきました。
父親は自分の趣味を押し通すために、私が嫌がって泣き叫んでいても付き合わせたり、私に虐待したりしてきたのです。
嬉々としてセクシャル・ハラスメントをしてくる母親
私が中学生のときに自宅で入浴していたら、母親が浴室のドアを開けてきました。
「チン毛生えた?チン毛生えた?」
私が嫌がっているにも関わらず、思春期を迎えた私の陰茎を覗き込もうとしてきたのです。
性別が逆なら、その異常性は明らかです。中学生の娘が入浴しているときに父親が浴室に押し入ってきて、興味津々に「マン毛生えた?マン毛生えた?」と嬉々として尋ねていたら、言うまでもなく「性的虐待」でしょう。そして、これは母親と息子であっても――つまり当事者たちの性別が逆になっても変わりありません。
母親は私が気に入らないと、私の陰茎を無理やり掴んで言うことを聞かせようとしてきたこともありました。謝罪を求めても、笑ってあしらわれるだけでした。
私は母親に、無自覚な「性的虐待」を受けて育ちました。
実家が恥ずかしくて友達を家に呼べない高校生時代
アナログ放送が終了しても液晶テレビに買い換えることなく、今年になって壊れるまで、このブラウン管テレビを父親は「まだ使える」と使っていました。古くなったり流行から遅れたりしているものを、両親は「捨てる」ことができないようで、家には「まだ使える」としてだましだまし使っている家具屋家電製品が数多くあります。
というか、この自宅そのものも、材料費を抑えるために父親の実家が持っている山から木を持ってきたり、設計費を削るために素人の父親の兄が設計したりと、もはや「涙ぐましい」努力で建てられ、とても「住み心地が良い」ものではありませんでした。
そして、そんな実家に、とても友達を呼びたいとは思えませんでした。
小学生の時は「一般の家庭」を知ることはなく、しかも私が嫌がっていても、近所の同級生が家に来れば私が嫌がっていても、父親が勝手に家に上げてしまっていました。私が鍵を閉めて拒否しようとしても、父親が無理やり鍵を開けて出迎えてしまい、私の漫画やゲームは取り上げられて彼らに供出されてしまいました。
しかし、高校生にもなれば広域から通学している同級生が多く、わざわざ意図しなければ友達を家に呼ぶこともありません。そこで、高校時代は友達に家を教えることもなく、頑なに家に呼ばないようにしていました。そうすれば、友達を貧乏性の親に会わせることも、みすぼらしい実家を見えることもなく済むのですから。
「月額5万円」での生活を強いられた大学生時代
私の出身は群馬県高崎市です。高崎駅から東京駅は新幹線で約1時間ですが、実家から高崎駅まで行ったり、乗り換えたりすると、合計で約2時間(在来線なら約3時間)、往復で約4時間(在来線なら約6時間)を要します。時間だけでなく、体力・気力や時間を考えれば「同じ関東地方でありながら東京の大学に通うには一人暮らしを強いられる」地理的条件にありました。
それでも、実家から通える範囲に政治学を学べる大学はなく、「まともな大学」も群馬大学と高崎経済大学が「関の山」ですから、興味のある分野を一定のレベルで学ぶためには一人暮らしをしてでも、東京の大学に入らなければなりません。
大学には「勉強するため」に行くとしても、新たな仲間と切磋琢磨したり、やっぱり友達や恋人を作ったり、部活やサークルで思い出を作ったりすることも、また学生時代にしかできないことでしょう。しかし、そのためには、例えば友達と食事したりカフェに行ったり、恋愛対象の相手とデートをしたり、ともすれば奢ることがあったり、部活やサークルの飲み会やイベントに参加したりといった過程を経る必要があります。
ここで「小学校入学時に鍵盤ハーモニカを買ってくれなかった」父親の貧乏性が災いしました。相談なく決められた生活費は「月額5万円」。この「生活費」とは、主に食費、交通費、消耗品費、接待交際費、服飾費を含んだ金額です。部活やサークルの部費は別に支給されたものの、それでも日割りの生活費は1,667円でした。
当時の自宅から大学まで片道IC運賃で377円、つまり往復で754円です。すると、食費や接待交際費で1日913円のみ。1,000円のラーメンを1日1杯すら食べられませんでした。女性とのデートで奢ったり、サークルで東京ディズニーリゾートに行ったりするなんて、夢のまた夢。いったい、どこから飲み会やイベントへの参加費を捻出すれば良かったのでしょうか。
おかげで、「まともに食事すると学校に行く交通費すら出せない」「サークルの飲み会に顔を出すことすらできない」状態でしたが、何度父親に相談しても、「やりくりしろ」「節約しろ」の一点張り。絶対量が足りないのに、いったい何をどうやって「節制」に励めば良かったのでしょうか。節約のために定期券を買おうにも、そもそもその手元資金すらありませんでした。
髪を切ろうにも「節約のために1,000円カットに行け」。他の学生は髪を明るく染めていたり、パーマを掛けていたりしているのに、一人だけダサい髪。そして、なけなしの交通費を出して学習院大学に行っても「キモい」と蔑まれながらの日々。
1日1食で体力がなかったり、交通費すら出せなかったり、服が足りなかったりするだけでなく、ついに精神的に通学すらできなくなりました。1年生が始まったばかりの5月や6月のことです。夏休み前の試験の時点で、もはや学校に行く交通費も服も体力も気力も、ありませんでした。
「これでどうやってお腹いっぱい食べらるんだ」と問い詰めたら、「なんで腹いっぱい食べようとするんだ!」とキレられることもありました。当時は18歳でたくさん食べる年齢でした。よく食べて、よく学び、よく遊ぶべき時期だったのに、父親からは「あれもダメ、これもダメ」と何もかも制限されてばかりで、勉強や通学すらままならない学生生活だったのです。
「大学の入学式には高校の制服で行け」と言い出す父親
高校は制服でしたから、持っていた私服も5着程度。しかも地方出身者故に、学校帰りに原宿や渋谷に通えるような東京で生まれ育った同級生に比べて、圧倒的に「ダサい」。そこで学校に馴染めるように東京のお店で服を買おうにもお金は足りず、父親は「贅沢をするな」と言って安い服を買うことしか認めず、しかも5万円から捻出するように求めてきました。いったい他の学生が着ているような服を買うことは「贅沢」と言えるほどのものなのでしょうか。
結果、洗濯が追いつかず「服が足りないから学校に行けない」という事態にすら陥ったり、着回す服もなく「いつも同じ服を着ている」と学校で蔑まれたりすることもありました。
しかも、入学式に着ていくスーツを買おうとしていたら、父親から驚くべきことを言われました。
「学生なんだから学生服で行け」
「高校の制服があるだろう」
「自分の時はそうした」
意味が分かりませんでした。大学の入学式で高校生のコスプレをしなければいけない理由があるのでしょうか。しかも、せっかく受験勉強を頑張って入った大学なのに。
成人式を引き合いに出したら、渋々認めてくれたものの、さもなければ大学の入学式に高校の制服で参加することを強いられていました。もちろん、大学の入学式に高校の制服で参加している学生などいるわけもなく、実際にそうしていたら「笑い者」になっていたことは間違いありません。
しかも、あとからこの事実を指摘すると「提案しただけだ」と都合良く事実をねじ曲げ、その上で「意見を言ったらいけないのか」とすら逆ギレしてきました。自分の判断が間違っていたと、決して認めることはありませんでした。
後から指摘すると、「学生服はどうかい?と提案しただけだ」と矮小化してきたものの、父親は間違いなく「学生服で行け」と言っている。
— 堀口 英利 | Horiguchi Hidetoshi (@Hidetoshi_H_) July 29, 2020
だいたい、いったい誰が詰め襟姿の制服で、大学の入学式に臨むというのか。その感覚からして、仮に提案だとしてもおかしい。
「育ちが悪い」「恥ずかしい」と蔑まれながらの学生生活
もっとも、大学の入学式にスーツで出席しても、結局は「月額5万円」の仕送りで、ダサい服と髪での学生生活を強いられましたから、結局は大学生にもなって「いじめの対象」になるだけでした。
そして、あるとき、当時在籍していた学習院大学ヨット部において、幼稚園から大学(法学部法学科)まで学習院という経歴を持つ女性の先輩(2年生のマネジャー)が飲み会で、躊躇いなく言ってきました。
「育ちが悪い」
毎日のようにオシャレな服に包まれ、美容院に通い、親から「遅くなったらタクシーで帰宅しなさい」とすら言われていた彼女にとって、地方出身でお金もない私は「ゲテモノ」だったのでしょう。
そういえば、高校生のときは北海道から沖縄まで旅行したあったものの、当時の私は海外旅行をしたことがありませんでした。そのことを、英語のクラスで同じだった、初等科(小学校)から大学(法学部政治学科)まで学習院という経歴を持つ男性の同級生に話すと、ニタニタと笑い、目をかまぼこのようにしながら他人を見下せるのがさぞ楽しそうな顔で言ってきました。
「恥ずかしいな」
「外国を訪れたことがない」のは「恥ずかしい」とされ、論われながらの学生生活でした。学習院大学の同級生はTwitterやInstagramに、当たり前のように海外旅行の写真を載せていました。プロフィール欄に今までの旅行先を列挙しています。しかも、ビジネスクラスどころか堂々とファーストクラスに乗っている同級生もいました。一方で、私は学習院大学在学中に、旅行に行く金銭的余裕すらありませんでした。北海道や沖縄県にエコノミークラスで行くことすら叶わず、同級生の外国旅行を「指を咥えてみている」だけ。
「アルバイトをすれば良かったのに」と言われるかもしれません。確かに、当時も私はアルバイトをしていました。しかし、大学生が稼げる金額なんて、誤解を恐れずに言えば「たかが知れている」のが現実で、もはや「アルバイトするために生きている」状態でした。しかも、アルバイトで稼ごうとするほど、勉学に充てたい/充てるべき時間や体力・気力は失われていきます。
だいたい、学費を考えても、大学生の「1時間」の価値なんて本来的に「1,000円ぽっち」じゃないはずです。学業が本分のはずなのに、「大学生はアルバイトをして学費や生活費を稼いで当たり前」のマインドセットが根本的におかしいのです。
しかも、実家から通学している学生はアルバイトをしなくとも実家での生活が保障されている時点で、時間や体力・気力で圧倒的なアドバンテージの差があるわけです。彼らにとってアルバイトは「遊ぶお金を片手間に稼ぐ」程度のもので、生活費を稼ぐために必死に働かなければならない私とは、そもそもスタート地点が違いました。それに、大学生がアルバイトして、同級生と同じファーストクラスやビジネスクラスに乗れるとでも言うのでしょうか。
どんなに説得しても「聞く耳を持たない」父親の無理解
私は学習院大学で、他の学生が当たり前のように送っている学生生活を送りたくとも、父親の無理解が許しませんでした。私がどんなに惨めな学生生活を強いられているか説得しても、父親は「そういう話は聞きたくない」「惨めで何が悪い」「不貞不貞しく開き直れば良い」と聞く耳を持ちませんでした。
地方から地方の理系大学を経て、就職活動もなく診療所を開業した父親にとって、「都会の私立文系大学生」の生活や「学生時代に力を入れたこと(いわゆる「ガクチカ」)重視の採用」の現実は想像できないようです。就職活動で企業が採用していくのも「勉強していて成績が高い学生」ではなく、残念ながら「サークルで遊んでいてコミュニケーション能力が高い学生」です。しかし、それでも、地方から地方の理系大学を経て、就職活動もなく診療所を開業した父親にとって、学生の「ふつう」の姿とは、恋愛やサークルといった「邪念」を振り捨て、勉強に専念して、ひたすら貧乏な生活に耐え続けることだったようです。
しかし、考えてみると、仮に仕送りがさらに5万円多かったとしても、大学4年間で240万円。10万円でも480万円。開業医の両親に出せなかった金額とは到底思えません。結局、私は「毒親」の「貧乏性」に付き合わされて、青春を浪費させられたのでした。
本当に貧乏な家庭なら、幾分か諦めがつくでしょう。同級生が彼女にデートで奢っていたり、入場料が約8,000円の東京ディズニーリゾートに友達と遊びに行っていたりするのを我慢しなければならないのも、悔しいながら理解できるでしょう。しかし、私の場合は、そこにあったはずの「青春」に手が届きそうなところで、父親の貧乏性に無理やり押さえつけられたのです。その「楽しい青春」を周りの同級生が謳歌しているなかで、指を咥えてみていることを理不尽にも強いられたのです。
「ごめんなさい」「ありがとう」を言えない父親
どうやらこれは「金銭的虐待」もしくは「経済的ドメスティック・バイオレンス」に分類され得るようですが、当然ながら父親は頑なに認めません。また、もちろん父親が謝罪することもなく、いまでも謝罪を求めれば激昂して怒鳴り散らします。
そして、前述の通り、1日1食で体力がなかったり、交通費すら出せなかったり、服が足りなかったりして、私は心身ともに「破綻」してしまいました。それも、1年生が始まったばかりの5月や6月のことです。夏休み前の試験の時点で、もはや学校に行く交通費も服も体力も気力も、尽きてしまいました。
最終的に、私は学習院大学での勉強もどんどん遅れ、ついに適応できなくなりました。ヨット部でのハラスメントや、その後の内部告発もあって適応障害を発症。遂に、休学を経て退学に追い込まれました。この辺りの経緯は長くなるので、先ほども取り上げたこの記事に書いてあります。
そして、私は「ハラスメント地獄」だった学習院大学を辞め、ロンドンにある大学に入り直すことを決意しました。いや、そうせざるを得ませんでした。今さら日本の大学に入り直したとしても、「大学1年生」が「高校4年生」の実態を鑑みると年齢が離れていれば「悪目立ち」するのは明らかで、年齢的にも極めて不利な就職活動を強いられることにもなります。もはや海外以外に、進路はありませんでした。
学習院大学入学時および在学中に、父親から受けた経済的虐待もしくは経済的ドメスティック・バイオレンスと学習院大学からの退学の因果関係を突き付けたら、父親は「チッ」と舌打ちしながらもロンドンでの学費や生活費を支払うようになりました。しかし、それでも父親の気分次第ではいまでもメールで八つ当たりされたり、支払を拒否されて納入期限に間に合いそうになかったりすることが何度もあります。
毒親をパートナーの「舅と姑」にしたくないから、両親が死ぬまで結婚したくありません
仮に、King’s College London (キングス・カレッジ・ロンドン)を卒業して、その後も大学院を修了できたら、私は就職して働くことでしょう。そして、いつかは結婚したいと思っています。
しかし、それは「両親が死んだら」です。前述の「毒親」が、パートナーの舅や姑になることは、想像しただけで耐えられません。明らかに間違っていても決して頭を下げない父親と、常にヒステリックで宗教狂いの母親が舅や姑になったら、どう考えてもパートナーの迷惑になるだけでしょう。
単に服や髪に気を遣わないだけでなく、一緒に食事に行っても飲食店内で隠すことなく大きくゲップをしたり、メニューを見ながら平然と「高い」と周りに聞こえるように言ってしまったりするような両親(特に父親)を、友達や同僚、結婚式でパートナーのご家族やお友達に恥ずかしくて見せられません。そんな両親を結婚式に出席させたら、どう考えてもせっかくの晴れ舞台が「台無し」になってしまいます。
そして、前述の貧乏くさくてみっともない実家も、パートナーに見せたいとは思えません。もちろん、実家に住みたいとも思えません。
誤解を恐れずに言えば、私にとって両親と実家は「不良債権」なのです。
それでも、「毒親の血」が怖くて、子供を作りたいと思えません
それに、結婚しても子供を欲しいとは思えないのです。
父親と母親だけでなく、お見合いで息子の縁談相手に具体的な家事の指示や要望を出す非常識な祖母や、私の人生に土足で踏み入って何かと指図しようとする伯母。私の家系は「毒親の家系」で、私には「毒親の血」が流れています。
自分の代で、この「負の連鎖」を断ち切ってしまうべきだと思えるのです。さもなければ、私が「毒親」になってしまったり、そうでなくとも私の子供に「毒親の血」を継がせてしまって私の孫が苦しめられたりする結果を、招きかねないように思えてならないのです。
だから、「毒親の血」を断ち切ることが、自らが「毒親の血」を持っていると気づいた私の役割だと思います。
もしも、毒親のもとに産まれなかったら?
私は望んで開業医の両親のもとに産まれたわけでもありません。しかし、それを妬む人もいます。
例えば、以前にNewsPicksで出逢ったあるユーザーさんが私へのネットストーカーを始めて粘着してきたときに「自慢にしか聞こえない」と突っ掛かってきたことがありました。「両親が開業医」というのは、一般的に「自慢」なのでしょう。
んー、普通に家柄とか親の経済力自慢にしか聞こえないのだが…。それ自体は「運の良さ」であって、「自分の力」で得たものではないよね。その素晴らしい家柄と経済力をベースに、立派なエリートになって、ノーブレス・オブリージュを発揮してくれるのでしょう。期待します。 https://t.co/AGSeivCYEe
— 古山 雅之 (@fururunn) April 27, 2020
「ノーブレス・オブリージュを発揮してくれることを期待する」と宣っておられますが、他人のことを知らずにパターナリズムを全開にドヤ顔している姿は滑稽なこと極まりありません。というか、自分の努力や意思で得たものでないなら、そこに責任を負う必要はありませんから「ノブレス・オブリージュ」を発揮しなければならない理由もありません。
でも、良い歳して学生にネットストーカーをしているのですから、この「スト山さん」も相当に可哀想な人なのかもしれません。そこは配慮してあげるべきでしょう。
いずれにしても、「両親が開業医」は私にとって、必ずしも幸せを保証するものではありませんでした。むしろ「足かせ」ですらありました。
もし、来世で親を選べるなら、いまの両親ではなく、開業医でなくても良いから、理解のある家庭を選ぶことでしょう。
ちゃんと学用品を買い与えてくれて、ハラスメントやドメスティック・バイオレンスをしてくることもなく、贅沢でなくとも友達と同じような学生生活を認めて、日本の大学で良いから無事に卒業させてくれるような家庭が良かった。そんな両親のもとに、産まれたかった。
ひとまず、私はKing’s College London (キングス・カレッジ・ロンドン)を、どうにかして卒業しなければなりません。
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