月の朝は人知れず こっそり闇を生み出して 噂をすれば風が吹き いつかの怒りも消え失せた 発した光は曲げられて 三度宇宙を回転すれば 削れた星に挨拶を 見えない粒子を飲み込んで 知らずに体が丸くなる
きのう仕込んでおいたカレーを食す。 隠し味に味噌とビーフシチューの素を入れたが、コクが良い感じに出て良かった! 家族からは当初「ルーを使いすぎだ!」とクレームが出たが、食べた後に「ビーフシチューが入ると美味しいね」と評価が変わった。 やはり美味しいものは人を幸せにするなぁ。
大学のレポートを書くのに必要な詩集を図書館から借りて読んでいたら 良い詩集なので欲しくなり、返却までの二週間では味わい尽くせないので欲しくなり、 ウェブで探したら中古を見つけた 買おうと思ったけれど作者に申し訳ないだろうかと迷う。 書きながら聴いている中国の民族音楽はシンセのような音がする。 今の気持ちを表す言葉を、聴いているアルバムみたいに誰かが纏めてくれたらよいのに
色んなコミュニティに顔を出し その場その場の雰囲気に合わせすぎたのか 1人でボンヤリと本を読む。 そういえば子供の頃はたくさん本を読んでいた。 器用なのか、色んな雰囲気に自分を合わせられるのかもしれないけれど、こういった時間の過ごし方をたまに無性にしたくなる。 巣に入って素に戻るのだ。
最初に読んだときは文字通りちんぷんかんぷんだったけども、少しは理解できるようになってきた! これでも初歩なのだから哲学は恐ろしい笑 大抵の人が「そういうもんだよね」と思うことを「どうしてなんだろ?」と思うことが哲学の始まる理由の一つとも考えられるし、見ようによっては暇人の学問とも言えそうだ。 自分みたいな物好きにはピッタリの学問かもしれない。 ただ、同時に思うのはこういうこと(「なんでだろ?」と思う)から色んな学問や発明、芸術理論なんかも生まれたのではないかなぁ。
美学関連の中では今のところいちばん読みやすかった。 造形美術を軸に書かれてはいるけれども、「音楽において、スケールアウトしたものがなぜ良いと感じてしまうのか」だとか、旅人仲間の中で話題に出た「ガイドブックを見過ぎてしまうと、書かれているのも確認するだけの旅になるよね」などの回答が自分の中で生まれてきた感触がある。 この著書の良いところは物事を両極から考察できるところ、つまり視野が広いというところだと思う。
観るのに時間が掛かり、体力・精神力を消耗させる展覧会だった。 作品自体にパワーがあり、画風の変化もある。そして見慣れない組み合わせのものを作品の中に入れ込む。遠近感をずらし違和感を生じさせ、更に時間軸も狂わせてくる。そのため観覧者は振り回される。 ニーチェやシャーペンハウアーに影響を受けたこともあり、この人は哲学を絵画で行なっているのではないか? 観覧者は作品を観て、今までの常識を壊され、物事を新しい目で見るようになる。哲学は物事を新しい目で見たり考えたりすること、と教えら
不器用で色々とやらかしてしまう主人公。生きているだけで何かと巻き込まれる。しかし、そんな出来事も彼の恋愛に関連していく。 「こういう人いる!」と思いながら観てた! カメラワーク良かったし、脚本の構成も良く上手いなぁと思った。 特に知り合った撮影スタッフの部屋で座って話しているシーン。余程セリフが面白くないと飽きがちなシーンだけれども、映像ならではの工夫と笑いを入れることで、観させる持っていき方が良かった。参考になったなぁ。
寓意像(アレゴリー):抽象的な概念や人間の感情を、人物像を用いて表したイメージのこと 憂鬱質の人間:ルネサンス時代(16 世紀)には知的人間像として、積極的な意味を持つようになる ルネサンス期のラファエロが描いた《アテネの学堂》の一部をマーク・コスタビが取り上げ、それをアルバムのジャケットに。そのアルバム《use your illusionⅡ》の中の一曲がこれ! 歌詞の中に「use your illusion」という言葉が出てくる。 歌詞の内容は内向的で鬱気質の人物に思え
なんとも妖しげな書物。 しかしながら、魅力を感じるのも確かであり、誤解を恐れずに言うのなら、怖いものみたさ的な関心も感じる。 そもそも知らない世界というのは見てみたく、その世界が自分が含まれなくとも、どのような世界観があるのかは非常に興味をそそられる。 例えば、いわゆる極⚪︎の世界や性産業や宗教団体やら。 特定の思想や目的そして趣味などのコミュニティの雰囲気、それがどのような感じで生じてくるのかを個々の人なりを通じて知りたいのかもしれないなぁ。
同じようなことを話しているのに、何故かマウントの取り合いになったりならなかったりすることがある。 ひょっとしてこれは「集合的無意識」の影響かもと思いはじめた。 マウントの取り合いにならない場合 どちらも対等に知見を広げようとの思いがあるので、マウント合戦になりにくい マウントの取り合いになる場合 どちらか、若しくは片方が「相手より知っていることを示したい」との(顕在意識、もしくは潜在意識に存在している)思いからマウント合戦になる。 *どちらかだけ「相手より知っていることを
触れたことがなかったので知らなかったけれども。 美学も哲学の一つで、「美」という抽象的な概念を定義付けする大変な作業だ。 色々と文献を読み理解を進めているが、途中で「あれ?この作業は数学の証明問題に近いのでは?」と思いはじめた。 数学の証明は、与えられた命題を数学にて(数学の知識を用いて)証明していく。 哲学は、対象を論理や理性で定義していく。 扱うものと方法は違えど、やっていることは同じに感じます。
軒は向かいの屋根を見つめ 屋根になれなかった運命を 街灯のせいにする 屋根の下の屋根は 向かいの軒を見つめ 役に立たぬなら軒になりたかったと呟く 屋根の上の屋根は 中途半端な自分を呪う いっそ風で運ばれたいと 壁の落書きを見つめつづける
何だか息苦しく とりあえず寝転び Tom WaitsのRain Dogsを聴きながら 濡れた犬の気持ちを想像し 深く空気を吸い込んでみる パッともしない日常で どこに向かって生きてるか 考えてはみたけれど なんだか沈みそうで 意味とは何だか考える 外では風が強く吹き ガラスが揺れて 世界も揺れた気がした
先日は教授とやりとりを。 “理解とは体感のことです“ ふむ…対象によっては、体感はなく思考だけと思ったけれども。今一度、考え直す… 数学🔢はあんがい好きで、中でも微積分がすきだったけれども、問題を解くときに放物線をイメージしていたような…そもそも、数字自体が(物理的な)数量とか長さなどを数字で表してる。数量や長さとかのやり取りを、(物を介さずに)数字でやり取りしているということで、本当は視覚で確認できる(つまり体感)ということ?! ふーむ、なかなか奥が深い探求になりそ
コンシャス・ダンス?型のないダンス?踊る瞑想? てなわけで、つな学(https://tsunagari-no-gakkou.studio.site)の課外授業?的な授業の一環に含まれていたので、行ってみた! 講師は景浦氏(https://www.yumikokageura.com/) “全ての動きがOK“、“体がしたがる動き“、“途中、疲れたら休んでも、水分摂ってもOK“などが始まる前に伝えられました(表現など間違っていたら、すみません…🙇) 最初の自己紹介、最後の(