昭和・平成歌謡の名曲 その2
こんにちは、Hideです🎵
前回に引き続き昭和〜平成の歌謡曲で私が好きだった曲を紹介していきます。
今回は1982年(昭和57年)〜1991年(平成3年)の名曲と感じた作品お送りします。
恋人も濡れる街角 / 中村雅俊
サザンの桑田佳祐が作詞作曲とヴォーカルディレクションを担当
オリコン週間最高順位5位 1982年度年間順位24位
TBSザ・ベストテン最高順位2位 1982年度年間順位42位
桑田自身もサザンのライヴでセルフカバーしている。
桑田が出身の神奈川県横浜市にある馬車道フィチャーしたエロティックで際どい歌詞が特徴の、ムード歌謡の雰囲気の曲である。
自分が高校3年生の時に聴いた歌でこの歌詞にドキドキした憶えがある。
夜の街を舞台にした大人の恋を想像させましたね。懐かしい〜
高校卒業後も、カラオケ酒場などでよく歌った私の十八番ソング🎤でした。
今も昔を思い出したまに歌います。
桃色吐息 / 髙橋真梨子
作詞:康珍化 作曲:佐藤隆
オリコン週間最高順位4位 1984年度年間順位23位
TBSザ・ベストテン最高順位7位(5週連続) 1984年度年間順位23位
第4回日本作曲大賞受賞
第26回日本レコード大賞・作詞賞受賞 売上枚数34万枚
三貴カメリアダイヤモンドのCMに起用された。
地中海をイメージさせるエキゾチックな曲で髙橋の類まれな歌唱力が光る曲。
佐藤隆は独特なエキゾチックな曲を作るのが得意で吉川晃司等にも楽曲提供をしている。
エキゾチックなメロディーに妖艶なシンセサイザーサウンドが絡んで、バブルを感じさせてくれた名曲です。
日本屈指の歌唱力を誇る女性歌手の一人である高橋真梨子の代表曲の一つ。
当時、就職して2年目で二十歳になる歳で大人の女性に滲み出る妖艶な色気を感じた曲でしたね。
飾りじゃないのよ涙は / 中森明菜
日本フォーク界のレジェンドの陽水がアイドル歌手の中森明菜に提供して話題になった
オリコン週間最高順位1位 1985年度年間順位6位
TBSザ・ベストテン最高順位1位
ちょっとツッパリ風の歌が似合う明菜にハマって格好良かった。
『CDジャーナル』は、中森の「飾りじゃないのよ涙は」について「井上陽水と中森明菜の幸福な出逢いは、日本の歌謡史に残るほどの歴史的な名曲を作り上げた」と批評した。
この曲で明菜はアーティスト路線へと変化していった。
二十歳の頃に聴いていて、陽水が作り出したロック調の少女が大人に変わっていく世界観がなんとも似合っていて格好良い曲だった。
セーラー服を脱がさないで / おニャン子クラブ
作詞:秋元康 作曲・編曲:佐藤準
オリコン週間最高順位5位 1985年度年間順位38位
TBSザ・ベストテン最高順位5位
作編曲を担当した佐藤準は、矢沢永吉のアルバムのレコーディングやツアーに参加している。
当時元サディスティックミカバンドの後藤次利等の70年代にロックバンドで活躍したミュージシャンがおニャン子からデビューしたアイドルへの楽曲の提供を行なっていた。次利も矢沢のアルバム参加やとんねるずへの楽曲提供をしていた。
フジテレビで夕方に放送されていた「夕やけニャンニャン」の番組アシスタントグループのおニャン子クラブのデビュー曲。楽曲プロデュースも秋元康氏が担当した。
当時クラブ活動感覚でその辺にいる女子高生がグループでレコードデビューしたので、男子中高生から大人気を得た。
新たなアイドルの形が出現した瞬間だった。
おニャン子はAKBグループの原型を作った。
1986年のマリリン / 本田美奈子
作詞:秋元康 作曲:筒美京平
オリコン週間最高順位3位 1986年度年間順位32位
TBSザ・ベストテン最高順位2位 1986年度年間順位19位
この曲は本田美奈子の最大のヒット曲で、スリムなボディでヘソ出しファッションの衣装を着て腰を振って歌う姿が話題になった。
1985年4月デビューし同年の各音楽賞の新人賞を数多く受賞
2005年5月、急性骨髄性白血病により、38歳で逝去
当初は演歌歌手志望だったが、事務所の意向によりポップスシンガーとして活動を開始する。
スリムでチャーミングな顔立ちとパワフルな歌声で一躍人気アイドル歌手としてスターになる。
デビュー当初から「自分はアーティストでありたい」と口にしており、2001年〜ジャズへと転向。
活動晩年は「ミス・サイゴン」ミュージカルを主戦場に活躍していた。
*2004年のコンサートより ”彼女が本気で歌を愛していたのがわかります”
生前に制作された最後のミニアルバム「アメジング・グレイス」(クラシックにカテゴライズされた)は、本田の死後に発表されCDのライナーノーツには自筆のメッセージが寄せられた。以下メッセージ
”私は今まで、歌と一緒に歩んできました。…私の歌が皆さんに、歌の素晴らしさを伝えることができるよう... 1人でも多くの方の心が豊かになれるよう... という願いを込めて これからも、歌い続けたいと思います。本田美奈子”
本田逝去の発表がされると、このアルバムの売り上げが急上昇しクラシックでは異例の17万枚を売り上げた。
治療の為入院していたが、38歳の誕生日前日に一時退院を許された際に、お世話になった医師や看護師の為に、ナースステーションで「アメジング・グレイス」を歌った。これを涙ぐんで聴いていた看護師達が泣いていた写真が、本田の死去後テレビ番組「天使になった歌姫 本田美奈子」等で紹介された。
逝去後日本レコード大賞は特別功労賞を、ゴールデンアロー賞芸能功労賞を贈った。
新人の時には新人賞をほぼ総なめにした本田だったが、紅白歌合戦には一度も出場することはなかった。
当時私と年代が近かった本田美奈子さんが亡くなられた事は、ショックを受けました。
若くして天国へ旅立った昭和最後のグレートなシンガー本田美奈子さんのご冥福を心よりお祈り致します。
皆あなたの事は忘れませんよ。
淋しい熱帯魚 / ウインク
作詞:及川眠子 作曲:尾崎昌也
ゴルドディスク 1989年7月・8月 プラチナ認定
1989年7月 オリコン2週連続1位 TBSザ・ベストテン1位
第31回日本レコード大賞受賞 1989年NHK紅白歌合戦初出場
パナソニック ヘッドホンステレオCMソング
この曲までは、海外のカバー曲が多く、日本人の作家による楽曲は初。
WINKは、相田翔子と鈴木早智子によるデュオユニット。
この曲リリースの一年前にデビューし、無表情で淡々と踊り歌う二人の姿を見た視聴者から笑わないアイドルと呼ばれた。
元号が平成になって初のレコード大賞グランプリを受賞した歌手(グループ)
時代が昭和から変わりアイドルも平成になると笑わないのか~と当時24歳だった私はアイドルを聴かなくなった時期で昭和のアイドル達から変わったんだなぁ~と感じたグループでした。
あなた会えてよかった / 小泉今日子
作詞:小泉今日子 作曲:小林武史
ゴルドディスク 1991年 ミリオン認定
オリコン4週連続 通算5回 1位 1991年度年間6位
第33回日本レコード大賞 作詞賞・編曲賞受賞
アイドル中のアイドル(「なんてったってアイドル」という自らを歌った曲もヒットさせている)の小泉今日子がアイドルでは異例の作詞を自身で行い、作詞賞まで受賞した。
わかりやすく愛らしい歌詞と、サザンやミスチルのプロデューサーやキーボディスト、アレンジャーでも活躍している小林武史が作った親しみやすいメロディーとキョンキョンのキュートな歌声がとても良く好感が持てる曲だった。
この曲でただの可愛いだけのアイドルでは無いと小泉自身が”平成のアイドル像”を世間に示した作品だったと感じた。
当時27歳で一人目の子供が誕生した年の曲で、今でもこの曲の歌詞とメロディーは鮮明に耳に残っている。
平成のアイドルが歌う名曲だ。
あとがき
前編と後編に渡って紹介してきた、昭和と平成初期の日本歌謡の名曲はいかがでしたでしょうか⭐️
昭和生まれの私の中学〜高校そして社会人となり結婚第一子誕生までに聴いていた頃の曲でした。
記事を書いていて懐かしく若かりし頃を思い出してしまいました。
昭和後期の80年代から平成へと時代が変わっていった90年代初頭にかけて、高度成長期が落ち着き、バブル期を迎え安定した日本の世の中を反映していました。
煌めいてた時代を象徴する曲ばかりでした。
昭和の歌姫も天国へと旅立っていった本田美奈子さんが残念でしたが…
歌をこよなく愛した美奈子さんは、きっと天国でも美しい歌声を響かせてくれていることでしょう。
煌めいていた時代の終焉を美奈子さんが、あの時代を生きた私たちへエールを送り天国に行かれたのだと感じます。
現在の状況は決してあの時代の様に楽しいことばかりではありませんが、力強く生きていきたいと思っています。
2回に割った記事でしたが、読んでいただきありがとうございました。
また、懐かしい音楽をご紹介したいと思います。
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