昭和生まれのRock'nRollerから見た高度成長期の日本
こんにちは、Hideです。ご無沙汰です。
私は、日本にまだ勢いがあった1960年代(昭和40年代)生まれました。
1964年(昭和39年)に1回目の東京オリンピックが開催され経済的にも盛り上がり、終戦から20年が経過し、日本が目覚しい復興と発展を遂げた時期でした。
五輪開催をきっかけに、一般家庭にもテレビが普及し始め、国民もみるみると豊かになっていきましたね。
物事に対する考え方も、軍隊的の様な精神論から、科学に基づいた理論が取り入れられ始めました。
まだ生まれて間もなかった私は、戦後からの復興だなんて実感する事も出来ませんでした。
ですが、私が物心ついた頃は、近所の人が庭で七輪を使い魚を焼いていましたが、その二、三年後には台所でガスレンジで魚や肉を調理出来るようになったのです。
それを見た時は、すごいな~と幼心にも進歩を感じてしまいました。
私がこの世に誕生してから、50数年の間に目紛しく、日本の科学が進歩し、生活は格段に便利になっていきました。
昭和の頃は、「10年一昔」なんて言われていましたが、元号も昭和から平成に変わった頃には「5年一昔」と言われるくらいにまで、変革のスピードが加速していきました。
私が小学高低学年の頃に見ていたヒーロー番組に出てきた腕時計型のテレビ電話が、今では高校生でも当たり前の様使っているのです。
当時からしたら夢のようなことが現実になったのです。
こうやって、子供の頃を遡って思い出すと、日本の成長ってすごいんですね。
1949年(昭和20年)の終戦から、僅か20年余りで、東京で五輪は開かれるし、自家用車は普及するし、生活用品(電化製品)や住宅(団地)等、交通機関も新幹線が開通して大阪⇔東京がそれまで特急電車で約7時間かかっていたのが、半文近くの4時間まで短縮されました。
高度成長期と呼ばれるに相応しい時代でしたね。
ちなみに日本や東京の発展のシンボルである東京タワー🗼は1958年(昭和33年)にオープンしました。
この年一万円札が発行され、読売巨人軍にミスタープロ野球長嶋茂雄が入団しました。
私が生まれる7年前になりますがね。
アナログからデジタルへ 電子機器の進歩には、目を見張るばかり
1960年代(昭和30年代~40年代)の高度成長期から、かなりすっ跳びますが…😆
1980年代(昭和55年~)私の高校入学から卒業する辺りから位から、オフィスや工場といった職場、家庭で使う電気製品、子供のおもちゃや、自動車までにもコンピューターが搭載されてきました。
事務系の仕事も受注を受ける際や書類のやり取りは、全て電話か手書きの書類の手渡でしたが、それがFAXにとって変わり、それまで言葉で交わしていた内容も紙に書いて、FAXにセットして送れば、わずか30秒か1分で相手に届いてしまうのです。
わざわざ出向いて引き取っていた書類も外に出ることなくFAXで送信したも即届く様になったのですから~
受け取る側も然り事務所にいたまま、目で内容を確認出来るようになったわけです。
当時としては超がつくほど画期的な事でしたよ。
それまでかかっていた労力や時間もかなり省くことができました。
おまけに電話での聞き間違いも激減して、その後の工程に進む時間が短縮されたおかげで、業務効率はぐっと上がりましたね。
そうそうコピー機もそれ以前に、どこの事務所にも置かれてましたね。
FAXはコピー機を電話回線と連動したものなのですね。
しかし当時はまだFAXの解像度が悪くて、読みづらかったものも確です。
今まで会話の中で起こっていた聞き間違いが、今度は字が見にくさによる間違いが増えたのです。
元の送る書類も手書きだったこともあると思います。
結局FAX送っても、電話をして確認をしていましたから、便利になったのかややこしくなったのか、わからない感じもしましたね😹
しかし1995年に巷に、マイクロソフトのウインドウズ95という誰でも手軽にパソコンを使える為のソフト OS(オペレーションソフト)が現れパソコンが一般の人にも気軽に使える時代が来てからは、仕事でのやり取りが電話やFAXから、PCを使用したメールやオンラインへと変貌を遂げていったのです。
紙に書くこともなくPCから打ち込んだものが、そのまま得意先に流れていくシステムも出来上がりました。
当然の様にPCがオフィスに普及するのは、2000年を超えた辺りからですかね。
最初は、オフィスに1台だったのが、やがて一人1台が割り当てられるようになりました。
そこから、インターネットの発展と共に、PCはオフィスを飛び出し、営業マンが外回りの際に持ち歩き、得意先とのビジネス上のやり取りや、社内との情報の共有や連絡もリアルタイムで行われるようになりました。
パソコンが導入・普及される前から、営業畑で仕事をしていた私ですから、ビジネス社会の変貌をリアルタイムで目の当たりにしてきたわけです。
製品を作る工場もそれまで人間がやっていた単純作業も機械を導入することにより、人間の何十倍いやそれ以上のスピードで生産数をこなせるようになりました。
以前私が勤めていた会社の工場見学をしたことがあるのですが、以前は工員が手作業で卵を割っていたのを、特注の機械を導入すると1分間に600個もの卵を割ることが出来るようになりました、おまけに割るだけでなく白味と黄身をしっかり分別までしてくれるのです。
もちろん卵の殻も散らばることなく収納されてしまうのです。
家庭では、1950年代後半から”家電の三種の神器”と呼ばれた炊飯器・洗濯機・白黒テレビが普及し、1960年代半ばになると、”新三種の神器”として、自家用車・クーラー・カラーテレビが別名”3C”とも呼ばれた。
さらに1968年には”新3C”として、電子レンジ(Cooker)、別荘(Cottage)、セントラルヒーティング(Central heating)が富裕層の間に普及しました。
まだ幼児の頃でそれも、地方の一般庶民家庭だった私の家では”新3C”は、別世界の物でしたね。
その中で唯一出会うことができたのは、電子レンジくらいかな。
ちょっと裕福な友人の家に行くと、金属製の箱があって、扉を開けて食べ物を入れると、ボタンを押すだけで僅か数10秒や何分かで「チン🎶」と音が鳴り、冷たかった食べ物もホカホカになっちゃったのには、当時小学生だった HIDE少年にはかなりのカルチャーショックたよ(笑)
今じゃどの家にもあるのにねぇ~
私の子供時代なんて、高度成長期だと言いつつも、現代と比べるとその程度のものでした。
電子レンジが、最初は高額で、本当一部のお金持ちの家にしかなかったのが現実でした。
一般的にどこの家でも使い出したのは、それから10年以上はかかったと思いますよ。
当然うちにもありませんでした。
レンジの導入に関しては、うちは相当遅れていましたよ。
もはや平成になる頃にやっと使い出した感じですよ😄
古い食習慣が残っていた我が家には電子レンジで食べ物を温めるという概念がなかったのですね。
まぁ、今回は私が生まれてからの、日本の高度成長期について、幼い私からみた様子をざっくりお話ししてきましたが、僅か50年~60年の間に日本は、科学的経済的発展はすごいですね。
正確に言うと1990年初期バブル崩壊までが本当の発展ですがね。
だから実質的に成長と呼べるのは、30年間かな。
戦後から急発展した昭和の時代、失われた30年と呼ばれ先進国として低迷し未だ抜け出せない日本。
古き良き昭和時代ばかりを振り返っていてばかりではいけませんね。
逆に、駆け足で急発展し過ぎたことが、現在の情けない状況を生み出しているのか、私には分かりかねますが、今後は物質的な発展よりも、日本いや世界の人の心が幸せを感じる様になることと、人間と自然がより良く共存し合える世界を作っていかなければいけないと、思います。
ちょっと大きいこと言いますが、自分の子供や孫、これから未来を担っていく子孫たちのことを考えると切実に感じます。
昭和時代のRock'n Rollは、分かり合えない大人たちへの反逆の歌だったが、令和のRock’nRollは、弱い立場の人達へ勇気を届け、人の心や自然を乱す者達との戦い、の歌になっていかなければならない!🎵