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音楽との出会い 青年期編 30歳を超えたRock'nRoller 気分は再デビュー(^^♪

こんにちはHideです(^^♪

✳️注意⚠️ですが、表紙の画像はわたしではありません(笑)実際の私はこんなかっこよくない💦

高校時代にバンド活動をしていましたが、十数年振りにバンド活動を再開した頃の話をしていきたいと思います。

バンド活動は、主にLIVEを行うことが中心でした。

ライブハウスや地元の音楽イベントに参加したり、それなりに楽しんでやっていましたよ。

長いブランクから、またバンド活動を始める

高校時代からず~っとしていなかったバンド活動をまたやろうと思ったのは、30歳を過ぎた頃からでした。

18歳の高校卒業時のライブがバンド活動としては最後だったので、実に12年振りに行うバンド活動でした。

ひとえに、12年と言っても、学生時代以来ですから、社外人にもなり、私などは家庭を持っていましたし、かなり状況や環境は変わっていましたね。

時代だって大きく変わり、仙台でも多くのライブハウスが出来て、アマチュアのロックバンドが自然に人前でライブが行えるほど、ロックも受け入れられる様になっていました。

ポンコツだった私が社会で、失敗ばかりして、世間の荒波に揉まれてる間に音楽界ロック界も大きく変貌していました。

バンドはしていませんでしたが、音楽は変わらず好きでしたので、聴いてはいましたが、地元の音楽状況の変わり様にまず驚きましたね。

ロック不毛の地だった杜の都を、音楽の街仙台に変えた
“定禅寺ストリートジャズフェスティバル”

そして、仙台では1991年(平成3年)9月から、『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』という、アマチュアがメインで出場出来る、いわば市民も気軽参加型のストリートライブフェスも開催されるようになっていました。

今年2023年で32回目を迎えた歴史あるアマチュアが参加出来る、日本最大級のストリートフェスになりました。

以前の記事で、1970年代の仙台は「ロック不毛の地」とまで呼ばれた音楽が発展しない街でした。

それがジャズフェスになると、仙台の街中で、ロックだけでなく、ジャズは勿論メインで、弾き語りやレゲエやパンクなど、様々なジャンルの音楽で溢れました。

一時あまりにも、参加バンドが増えて、演奏するステージブースも増加し過ぎた為、ブース同士が近過ぎて、お互いの音が混ざってわけわかんなくなり、参加者数を減らして、ステージも適度な間隔を設けるように改善しました。

なので、アマチュアバンドの中には、ジャズフェスには出たくないというバンドも結構いましたね。

音楽フェスというより、なんか秋の市民祭りで、なんかバンドがあちこちで、演奏みたいなのしてるって感じでしたもんね。

出場者数が多過ぎて、誰が観客で出場者かすら、わからない状態までいきましたもん。

参加人数やステージスウィート等の規模には拘らず、中身いわゆる音楽の質に拘っていこうと、コンセプトが変わっていきました。

ステージが間隔空いている為、一ステージで行われる演奏がちゃんとオーディエンスに聴こえる様になりました。

おかげで、聴きたい音楽をじっくりと観客も楽しめるようになったのです。

ちなみに、私のバンドは、コンセプト変換前で、参加者が年々増えていった頃に、5回程出場しましたね。

まっお察しの通り、”質より量”の時代だったので、下手な我がバンドでも出れた訳ですが(笑)

今はかなり音源審査が厳しくなり、全国各地から強者のバンドたちぎ集結する様になったので、地元で燻ってるレベルが高くないバンドは淘汰されてる感じです。

結果、演奏レベルも向上し、来客数も二日間で…70万人という、仙台市の政令指定都市時の人口と同じ観客が全国から観光も兼ねて来てくれる様になりました。

我々市民としては、ありがたいことです。

しかし、地元アマチュアミュージシャンとしては、割と楽に出場出来ていたジャズフェスが、ハードルの高いものになってしまったことは、ちょっとアレですね。

しかし、これは自分たちの音楽レベルを上げろという事なのだと謙虚に受け止め、自己のレベルアップに繋げたいと思います。

因みに昨年は、ソロの弾き語りでエントリーしましたが、見事落選でした。

ジャズフェスで音源審査で落ちたのは、初めてなので悔しさいっぱいです。

そのうち必ずや音源審査を突破して、またジャズフェスのステージで歌いたいと思います。それかま私のアマチュアミュージシャンとしての目標です。

社会人になって初のバンド活動開始
まずはメンバー集めだ

社会人になってから知り合った友人をつてにメンバー集めから始まりました。

当時まだインターネットが一般に浸透してなく、楽器屋に張り紙を貼ったり、地元の無料雑誌に募集を掲載したりしましたね。

当初女性のドラマーから応募があったり、昔のメンバーが偶然応募してきたりと、新たな出会いがありましたね。

結局ドラマーに応募してきた女性は、勤務先の人事異動があり、多忙という事で辞退され、一度もスタジオで演奏することなく終了になりました。

一般的にドラマーの人口って少ないんですよ。

ギターやベースに比べるとそうそう手軽に始められるパートではないですからね。

ドラマーは掛け持ちで、バンドをされている方も多かったです。

自分で練習するにしても、それなりに叩ける場所がないと、普通の住まいでは音が大きい為、苦情がきますからね。

実家が農家でその蔵でやってるなんて、話も聞いたことがあります。

蔵は吸音されるから、バンド演奏するには意外と良い練習場所かもしれません。

結局、ドラムとベースは友人が前に組んでいた方にお願いして、ギターは友人と応募してきた昔のメンバーでとりあえず揃いスタートしたのでした。

かつて、高校生になったばかりの頃とは違いメンバー集めも割と順調にいきました。

年齢を重ね、その筋の人脈が出来たからなのです。

やはり世の中は、人と人との繋がりで出来ているという事を、16歳でメンバー探してした頃を思い出して、改めて感じましたね。

なかなか楽しいメンバーが集まったなぁという感じでしたね。

定期的にスタジオでリハーサル

昔は学生だったので時間は有りましたが、社会人となると集まれる日は決まってきます。

都合良く、メンバー全員が日曜日に仕事が休みだったので、月に2~3回の頻度で貸しスタジオに集まって練習をすることになりました。

始めた当初は、12.3年振りだったので、カラオケに慣れきってしまった感もあり、感覚を戻すのに苦労しましたね。

他のメンバーは、長年バンドを経験されていた方々でしたので、比較的スムースに音を出す事が出来てましたね。

ドラムの方が私より10歳年上で、色んなジャンルをこなしてきたベテランで、一緒に演奏させて頂き非常に勉強になりました。

ベースの方は、幼少時代からピアノを習っていたらしく楽譜も読めるし、音楽的知識もある2歳上の男性でした。

バンドをやれることが嬉しくて、楽しめたなという感じでした。

小さなライブハウスで久しぶりのライブ~30歳を超えてもロックは終わらない 

メンバーから地元の小さなライブハウスで演奏できるという情報で、初ライブを行いました。

ロンドンバスがある本当に小さなライブハウスでしたが、久しぶりに人前で演奏できることが嬉しくて感激しましたね。

31歳の頃だったので、約13年振りのライブでした。

観客は、家族と友達といったうちわの仲間達で、小さな客席が埋まりました。

少年の頃、大きな夢を抱いていたが、中年へと差し掛かり、またロックが出来る事がなんとも嬉しくて~たまりませんでしたよ。

忘れられない思い出です。

年齢的な事もあり学生時代とは違い、演奏も上手くはないけど、ノリが良く、そこそこウケたと思います。

気分は再デビューみたいな感じでしたね~(笑)

ライブを重ね ストリートライブに参加

初ライブを気持ちよく終えた私たちは、何度か小さな会場でライブを重ね、地元のストリートライブフェスティバルに出場しました。

今では全国的に有名になり、音源審査で落とされることも多くなっているそうですが、当時は、応募すれば誰でも出場できました。

町内会のコーラスグループの女性の皆さんや、途中で疲れて演奏が止まってしまうドラマーがいる高校生バンド等、出場者はバラエティーに富んでいました(笑)

まあ私たちも、そう高いレベルではないのですが…

まだ残暑が残る初秋の昼間に、太陽の光を浴びながら演奏するなんて初めてでした。

40分というわずかの時間でしたが、えらい疲れた記憶があります。

土日の二日間で行われるライブイベントで、たくさんのバンドが出場するので、演奏ブースが多いのです。

すぐ近くで別のバンドが演奏していて、音がごちゃ混ぜになり、演奏する方も聞く方も、聞き取りにくい感じでした。

現在ではその辺の問題点も改善され、演奏場所は適度に離れているので、非常に聴きやすくなりました。

昨年はコロナで中止になりましたけど。

そのストリートフェスには、5回位出場したのかな♬

今では簡単に出れない事を考えると、当時出れたのは良い思い出かな。

出来る事なら、生きているうちにもう一度くらいは、またあのフェスで歌ってみたいと思っています。

今は当時に比べるとオーディエンスの人数も桁違いに多いので、やりがいはありますね。

毎年、全国から出場ミュージシャンと観客合わせて70万人もの、来場者数があるそうです。

下手な演奏はできませんね。

私が出ていた頃は、家族と友達がわずかにいるくらいで、当時撮影したビデオを見ると、まだ小さかったうちの娘が、チョロチョロしているのが映っています。

音楽はライフワーク

働きながらのバンド活動でしたから、そうそうバンドばかりには集中できませんでしたが、一つの趣味でやるという事では楽しかったです。

メンバーの仕事での異動や家族的な環境の変化によって、メンバーチェンジや活動が休止したりする事もありましたね。

バンドを趣味として長くやっていくなら、ひとつのライフワークとして生活の中に溶け込ませることが、長く続ける秘訣かなと感じます。

うちのバンドメンバーは当時、私とドラマーだけ既婚で、あとは独身者だったので、まだ動きやすかった方ですかね。

月に2~3回のスタジオでのリハーサルと、2~3ヶ月に1度くらいのライブ、くらいの頻度の活動でした。

当時30代だった私も営業の仕事で東北6県を担当しており、出張が多く大変な事も多々ありましたが、そんな中でも音楽を趣味にできたことは良い思い出ですね。

楽器機材

学生の時との違いのひとつは、楽器や機材にお金が出せるようになったことです。

私は、マイクスタンドも、特注で身長に合わせたものを独自発注して作りましたし、ギターも何台か購入しました。

マイクも自分専用のものを買いました。

他のメンバーも同様、憧れだった楽器を購入していました。

学生時代に憧れた楽器を手にすると、またやる気も出ますしね。

一緒にライブをやっているバンドの中でも、お金持ちの方々は、プロ並みの機材を揃えてたりして、お願いして恐る恐る触らせてもらったりもしました。

百万円近くするギターとかですから、さすがにビビりましたよ(笑)

叔父さん達の趣味にもお金がかかります。

子供の頃に、ロックに憧れていたHide少年も、年齢と体重が増したところで、また音楽をすることになるのでした。

今回は30過ぎにバンド活動を再開した当時のことをお話ししました。

また別の機会にバンドについての話題を記事にしていきます。

それではまた(^^♪

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