音楽との出会い 少年期編-A面
こんにちは、Hideです!(^^)!
今回は前回からの続きで、私の少年に差し掛かった時期のお話をしていきます。
感受性の高い時期に音楽に出会い目覚めていくプロセスを語っていきます。
こちらも、前に書いたブログ記事のリライトになります。
どうか気楽に、小学生卒業後~少年時代の私がどんな感じだったかを、聞いてください。
中学生前期 多感な時期に出会った音楽達は一生の宝物🎵
私が中学に入学すると、時代はニューミュージック(当時日本人が歌うフォークやロックがそう呼ばれていました/今で言うJ-POP的な感じ)が歌謡曲から人気の音楽に変わっていきました。
その頃日本のロックバンドが続々デビューして、少年少女たちの心を掴みました。
小学生で、ヒデキみたいなロック風な音楽に出会いロッカーへの道へ一歩を踏みだしたHide少年は、思春期を迎え本物のROCKと出会いそして影響を受けてROCKの世界へとのめり込んでいくのでした(^^)/
中学1年になったHide少年は、セクシーなお姉さん二人組のピンクレディーという女性アイドルのファンになり、ロック道を走る中一旦寄り道をしていました。
まぁ年頃の男子なので、それはしごく当たり前といえばそうですよね(#^.^#)
が、その年ピンクレディーと流行を二分した沢田研二さんの歌に、ワイルドなロックとは違う、中性的な魅力を感じ、レコードを購入して聞き始めました。
沢田さんは、ソロ活動前にタイガースというグループサウンズ(今でいうバンドですな)に加入していて、ヒット曲を連発し、イケメンということもあり若い女性から絶大な人気があった方です。
スタイルも良く艶のある声で歌唱力も抜群でした。
日本のロックの親分でもある内田裕也さんにスカウトされたそうです。
沢田さんは日本のロック系のミュージシャンとの交流もあり、バックバンドはドラマ「太陽にほえろ」の音楽を担当している井上孝之バンドでした。
私も一度地元でコンサートを観ています。当然のことながら絶頂期でしたのでどこの会場も超満員でした。
そんな感じで沢田研二さんにハマりだした頃、またしても衝撃をくれたバンドが現れました。
Twistです!世良公則さん(現在は音楽と俳優業も兼任”下町ロケット”やマルモのおきて”など有名なドラマに渋い役で出演 )をボーカルにした6人組(のち5人になりました)ロックバンドです。
皮の上下を着て空手みたいなアクション、ハスキーな声で野性味溢れる歌をロックンロールのリズムに乗って歌っていました。
デビューしてあっという間に大人気のバンドになりましたね。
当時の人気歌番組ザ・ベストテンで10週連続1位を記録(その3年後寺尾聡「ルビーの指輪」12週連続1位により塗り替えられる)その番組での中継で何千人という大観衆が集まってしまった広場が、その出来事からツイスト広場と呼ばれるようになったというエピソードもあります。
ロックに日本的な歌いまわしを加えた曲は、西城秀樹さんをもっと泥臭く野性的にした感じでした
ヒデキさんと世良さんは、同い年でともに広島県出身でした。
ヒデキさんよりデビューが遅かった世良さんは、同い年で同県出身で音楽的にもロック系が好きだったヒデキさんを意識していたでしょうね。
歌番組での共演もあったし(今よりも歌番組が多かったしTwistはTVよく出ていた)なんかの番組で世良さんがヒデキさんの歌真似をちょっとだけしていた記憶があります。
1975年に解散した衝撃的ロックンロールバンドCAROL以来のROCKテイストなバンドでしたね。
大御所サザンオールスターズがデビューしたのもTwistのすぐ後でしたし、他にも原田真二さん、松山千春さん、ゴダイゴetc…数々の才能溢れるミュージシャン達が世の中に認知され始めた時代でした。
1970年代後期(昭和50年代前半)はまさに日本の音楽業界が大きく変わった時期でしたね。
今まで演歌やアイドルといった歌謡曲がテレビで人気を得る時代からロックやフォークといった音楽が国民に浸透してきた時期といってよいでしょう。
多感な思春期をこの時代に過ごせたことは、その後の人生に大いに影響を与えてくれたと感じています。
中学2年生 1978年 矢沢永吉 E.YAZAWAとの出会い
爽やかな風が吹いてきた中学2年に上がる春の頃でした〜
詰襟の学生服も着慣れてきたHide少年はテレビから流れてくる化粧品のCMソングに耳を奪われました(^^)/
またまた多感な少年のアンテナが何かをキャッチしました!!
そうです資生堂化粧品のおしゃれなCMです。
映像もおしゃれですが、CMソングも必ずヒットするというジンクスがありました。
まず古くから日本の化粧品業界のトップに君臨してきた資生堂が、ロックンローラーの矢沢永吉さんにCMソングを依頼するなんて、当時としては画期的な事でしたね。
その頃矢沢氏は、良いバラードを歌っていたので、その不良っぽさとのギャップに資生堂は目をつけ依頼したと言われています。
その時のCMソングは名曲、E.YAZAWAの「時間よ止まれ」ですよ(^_-)-
レコーディングに若き日の坂本龍一氏も参加しています。
☆夏の浜辺を歩く女性が眩しい超おしゃれなCMのバックに流れてたバラード。
夏の鮮やかな風景の映像にマッチした大人の夏ソングでした。
誰が歌っているのかもわからず「時間よ止まれ」って曲名だけを頼りにレコード店に買いに行きました。
ジャケットを見たら、オールバックのおじさんが、ノーネクタイのYシャツを着て、胸から上の写真でしたが影で顔がはっきり見えない、横を向いている顔とこっちを見ている顔二つ映ってる~謎??
ジャケットの下の方になんやら不思議なロゴ?EYA?AWA?なにこの人!って感じでした。
正直、曲からの声やレコードジャケットに写った顔からするとムード歌謡のおじさんにしか見えませんでした。
現代のようにインターネットもない時代で簡単に情報を得られない頃でしたからね~
CMで見て曲名だけしか知らずレコードを買ったのはそれが初めてでした。
ちなみに定価は¥500。
初体験のHide少年は、とりあえず買って自宅に帰りました。
それが、その後自分の中で尊敬の人物となる矢沢永吉氏との出会いでした💦
わぁこれが、ロックンロールだ♬
初めて聞いたこれっ 日本にもこんな音楽ってあるんだ~それが矢沢永吉さんの音楽を初めて聴いた時の感想でした。
「時間よ止まれ」を聞いて訳も分からず魅せられ興味を魅かれたHide少年は、YAZAWAにハマりラジオでの特集を聞いたり、友達が買ったLPレコード(アルバム)を借りて聞いたりして矢沢ワールドにのめり込んでいきました。
なんか今まで聞いたロックとは違い、ファンキーなロックンロールと心にしみるスローバラード、キャッチーでポップなメロディーラインと、激しくリアルな歌詞、これまで聞いてきた恋愛をテーマにした曲とは違い、初めて本物のROCKに出会って感じがしましたね。
電気が走るってこんな事だったんだ!
妙な感じで買ったレコードからカリスマへと変わっていき最初のレコードを購入してから半年後には何枚かのアルバムと自叙伝「成り上がり」を買って読みました。
その年の1978年12月22日に地元に来たライブを見に行きました。
その時に初めてE.YAZAWAロゴのビーチタオルを¥4,000で購入しました。
矢沢信者の必須アイテムですよね!(うちの子供たちは赤ちゃんの頃この矢沢タオルをシーツにして寝ていました)43年前なのに、価格は高いですよね。
中学生には高価な買い物でした。
ちなみに当時の物価は、アルバムレコードが¥2,500、シングルレコード¥500、コンサートチケットは確かアルバムと同じ¥2,500、成り上がり 本¥780
音楽の師人生の師に出会ったHide少年は、その後も矢沢イズムにますます傾倒し、数々のロックな伝説を作っていくのでした(^-^)
今回は、私の少年期として、中学生になり、CMで聴いた矢沢永吉さんにのめりこんでいったところまでお話ししました。
私なりの歴史ですね。
そんな感じで杜の都の、一少年の私は、ロックに強く感銘を受けていったのでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました★
記事を書きながら子供時代~少年時代を思い出して懐かしい気持ちと歴史を感じることが出来て楽しかったです。
また、お逢いしましょう🎵