![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148408382/rectangle_large_type_2_229cad6fdffa91e1cce11d8627c7427a.png?width=1200)
『波の数だけ抱きしめて』 バブル期を彩ったヒット映画 1991年公開 ホイチョイムービー3部作 完結編
こんにちは、Hideです🌊
1985年〜1991年は昭和後期〜平成初期でバブル期と呼ばれ経済的に日本が最も景気が良かった時代です。
末端の一般庶民も潤っていた頃でした。
ちょうど私が21歳〜27歳の頃です。
そんな世の中自体が浮かれていた時期に公開されたのが、この映画です。
この映画を制作したのは、代表取締役を漫画家の馬場康夫が務める、ホイチョイプロダクション。
馬場を中心として集まった漫画家達が何か面白いものを作ろうというコンセプトの元に結成されたユニットでした。
その中で、”ホイチョイムービー3部作”と呼ばれた3本の映画がありました。
87年公開「私をスキーに連れてって」(主演:原田知世・三上博史)89年公開「彼女が水着に着替えたら」(主演:原田知世・織田裕二)そして今回紹介するのはホイチョイムービー3部作の完結編 91年公開の「波の数だけ抱きしめて」(主演:中山美穂・織田裕二)です。
3作とも監督は馬場康夫(ホイチョイプロダクション代表取締役社長)
前2作品は当時の若者の間で流行していた、スキーやスキューバダイビングを取り上げ、そこで繰り広げられる恋と冒険のストーリーでした。
3作目の「波の数だけ〜」は前2作とは異なり、バブル期前の湘南海岸が舞台となっており、前2作品ではバブリーな若い社会人てしたが本作は学生達が中心の青春ストーリーになりました。
1982年の神奈川県湘南海岸を舞台に、高校時代の同級生だった大学生の男女4人が自分達のミニFM局で湘南海岸一帯を繋ごうという夢と、仲間であり幼馴染との恋愛模様が描かれていて、日本の伝統的な純情で切ないラブストーリーになっているところがまた面白いのです。
それから10年の時が経ち大人になった彼らが仲間の結婚式で再開して、昔を回想していくところからこの映画が始まります。
現在〜青春時代へ遡っていく流れも観ている側を惹きつける演出だ。
では、1991年と1982年の話を自分の思い出をダブらせながら書いていきたいと思います。
1982年夏 湘南 パソコンも携帯も無い時代 車と音楽が遊びのアイテム アメリカに憧れを抱いていた若者達
1982年夏の湘南、地元の高校出身の同級生で大学生の男女4人が、湘南の浜辺のサーフショップ「Sunday Beach」に集まり学生最後の夏休みの思い出作りをしていた。
本作の主役で中山美穂演じる田中真理子は、ミッション系の上智大学国文科4年生で、「Sunday Beach」で働きながらミニFM局のDJをしている。
高校時代の同級生小杉(織田)と両思いなのに発展しない切ない恋をしていた。
店の海が見渡せる窓際で、DJ装置を操作してFM76.3MHzKiwiの放送をしている。
親がアメリカ駐在で仕事をしており、一緒に住む為に渡米留学を勧められている。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148392300/picture_pc_d7be8476897f583ad94aed46a9782d5c.gif)
そのミニFM局は電波法上、通常の発信では認可が降りない為、短い距離をいくつもの中継局を設けて、湘南海岸の海沿いの長い距離で自分たちの放送を聴ける様に繋ぐ、という目標を持って活動していた。
芹沢良明(阪田マサノブ)は、電波オタクの工学部の学生で、知識と技術を活かして中継装置を手作りで製作している。女性には興味がない。
小杉正明(織田裕二)は、自分の学部もよく覚えていないお気楽な学生で、芹沢が作った中継局を設置する手伝いをしている。
高校生だった7年前から真理子のことが好きだが、シャイで気持ちを伝えられずにいるむずキュンな恋をしている。
真理子も小杉が好きで打ち明けられるのを待っているが、いつまでも好きと言えず、両親の住む米国留学に行ってしまう事を引き止められずにいる。
あと高橋裕子(松下由樹)は美大生、サーフショップで働く真理子のDJのサポートとしてレコードを買ってきたりする。
実は仲間の真理子と小杉の両思いを知っていながら、小杉に思いを寄せている。
バイクや車の運転のブレーキをかけるのが苦手。
![](https://assets.st-note.com/img/1721829076367-CiG9ZEfTHB.jpg)
当時まだCDが一般的に普及していなく、音楽ソフトはレコードかカセットテープが主流でした。
地元のレコードショップで流行している洋楽の輸入盤レコードを購入する姿や、輸入盤は当時ジャケットがラッピングされていて、開封してレコードを取り出す時に、ジャケットの中のアメリカの空気を吸い込む姿が印象的でした。
アメリカへの強い憧れからしてしまったリアクションでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1721831362229-TiujlK6ct2.jpg?width=1200)
またこの映画を効果的に演出しているのも、当時のアメリカのAORと呼ばれるちょっとおしゃれでちょっと切なさを感じさせるウエストコーストサウンドの曲達でした。
場面にあった選曲が効果的でしたね。
80年代前半に流行した乾いた風を感じさせる大人のロックを映像と共に味わえるのもこの映画の魅力の一つですね。
また第1作目の「私をスキーに〜」で音楽を担当したユーミンの曲もポイントの部分で何曲か使われて映画を盛り上げている。
インターネットやテレビのBSやCS放送やケーブルテレビも普及していなかった時代でしたから、海外への憧れがより強かったのでしょうね。
82年当時はパソコンや携帯電話もない時代でカラオケボックスすらありませんでした。
今と比べ遊ぶ物が少なかった分、自分達なりに考え何か楽しめるものを探していましたね〜私達も…
そこでたまたま湘南に車で女の子をナンパしに東京からやって来た広告代理店に勤める吉岡拓也(別所哲也)が現れます。
![](https://assets.st-note.com/img/1721827698927-IT6ntKNNjp.jpg?width=1200)
吉岡は、彼らのミニFM局に興味を示し、自分の仕事と彼らの夢を繋げられないかと考え、地元の学生が運営するラジオ局と商品を絡めたイベントを開催しようと企画して、中継局を増やして湘南海岸一帯で放送する夢に協力することになります。
学生時代の思い出が、一大プロジェクトへ発展
最初は学生時代の最後の思い出作りから、大手クライアントと広告代理店を絡めた一大プロジェクトにまで発展してしまいます。
まだ子供の学生と利益が絡む大人の事情が裏で交差する様子はまた違った面白さがありました。
彼らの夢に会社の莫大な資金を投下してしまった吉岡のサラリーマンとしての苦悩が見え隠れする場面は、厳しい社会の現実を見せつけられましたね。
夢がビジネスへ変わることへの、芹沢達学生の感じるプレッシャーも描かれています。
バブル期以前とはいえ、時代背景的に現在よりも大らかで、多少のリスクや失敗も許された時代にしても、会社の資金を中堅の一会社員が上司の決済もちゃんと得られない中やっているのは、同じ会社員をしていた私としては少しハラハラさせられましたね。
![](https://assets.st-note.com/img/1721827787495-al5KhzqImg.jpg)
吉岡が会社の資金を投下した中継局の設備費とポスターなどの宣伝費を併せると1千万円を超える額になっていたのです。
この映画ですが見方を変えると、社会人の吉岡からしたらサラリーンマン人生をかけた、ただの青春ストーリーではないのです。
大手クライアントのプロジェクトであり、万が一失敗したら吉岡とその上司にも責任が及ぶわけですから、かなりスリリングな状況だった中での物語だったと言えます。
下手したら経費の横領にまで話が至ってしまうことになります。
自分のゴールドクレカで、中継局の機材を購入するあたりは、やはり昭和の頃のバブリーを感じましたね。
支払いは自分のゴールドカードで、会社名義で領収書をもらい、精算していたのでしょうね〜今なら経理から突き返されますね(笑)
今では観なくなった光景です。
![](https://assets.st-note.com/img/1721830948064-tEGOdLDuTL.jpg?width=1200)
小杉と真理子の恋の行方は…❤️
この映画のストーリーで一番気になるのは、主役で美人の真理子を高校時代から好きだったシャイな男小杉との恋の行方であります。
お互いに惹かれあっているのに、どうしても好きだと言い出せない、マドンナ真理子と小杉のむずキュンラブストーリーは、昭和の定番の恋愛スタイルで私の世代から見ると甘く切なく青臭くて面白かったですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1721831586890-ehIK6Hmgla.jpg?width=1200)
今の時代なら、男から告られなければ、女から気持ちを伝えたりするのですが…同じ織田裕二が出演した「東京ラブストーリー」(この映画と同じ91年新春にフジテレビで放映)同様、まだまだ昭和と平成初期は不器用な男と女の恋物語がウケていた時代だったのです。
中継局が増えていき、自分達の夢に近づいていくのですが、この二人の恋は、吉岡も真理子に惹かれてしまい、真理子を誘って告白しますが、真理子は小杉にヤキモチを妬かせたくて誘いに乗っただけで、二人の恋はややこしい展開になっていくのでした。
不器用でシャイな小杉はますます言い出す機会を失いどうにも動きが取れない状態に陥っていきました。
イベント前日の雨の夜、小杉と裕子(松下由樹)が寄り添っている姿を見てしまい誤解した真理子は、以前からアメリカに仕事で駐在していた家族の勧めで留学が決まっていた日程を突然早めてしまうのでした。
FM局が目標通り湘南海岸一帯を結び、放送可能になったイベント当日、真理子は突然アメリカへと旅立ってしまいます。
イベント前日の夜、台風の影響で何箇所かの中継局が故障してしまいますが、芹沢と小杉が裕子の協力もあり、修理が完了し何とかイベントに間に合わせられました。
がそこで…
イベントで流す放送をテープに残して旅立った真理子がいなくなり、告白できなかったことを悔やむ小杉が最後にとった行動とは…
そこで、82年の一夏の恋物語は終わり、91年の現代に戻ります。
場所は都内の教会です。
![](https://assets.st-note.com/img/1721830333563-ARTG5alA8K.jpg)
そう真理子の結婚式でした。
この映画はその教会で真理子が結婚式を挙げるシーンから始まり、式に遅れてきた小杉が花嫁の真理子と目が合い真理子は、はにかみながら会釈をし、小杉も笑顔で頷きました。
当時の仲間の裕子や芹沢、吉岡も出席していました。
![](https://assets.st-note.com/img/1721830382847-08TOM4JFm7.jpg)
教会から花婿と真理子が外に出て、ライスシャワーを受けブーケを投げて裕子がキャッチしました。
お馴染みの結婚式のラストシーンですよね。
式を終えた小杉と芹沢が、真理子達と過ごしたあの夏を思い出し、車を湘南へと走らせました。
トンネルを抜けると湘南という場所で、トンネル手前で小杉は行くのをためらい引き返そうとしますが、芹沢がせっかく遠くまで来たのだから行こうと促され、FM局があった海岸へと着きます。
そこには、裕子や吉岡も訪れるのでした。
82年の同窓会となり、5人で昔の思い出を語りながら海辺を歩いてこの映画が終了となります。
![](https://assets.st-note.com/img/1721830562278-eg3drN45wA.jpg?width=1200)
この映画を演出したアイテムは
ホイチョイムービーの見どころのひとつに、作中で登場する当時流行のアイテムがあります。
![](https://assets.st-note.com/img/1721831697080-5szxvxbbfJ.jpg)
ワイドミオラーに木製のステアリングを装着 自分も自家用車ウッドステアリングに変えてました
車
ダットサントラック:小杉(織田)が乗る当時流行った車高が高く車体も乗用車より大きめで、荷台も広いアウトドア向けトラック
![](https://assets.st-note.com/img/1721811630199-oxtPrtdGBh.jpg)
バイク
ヤマハポップギャル:劇中で裕子(松下)がノーヘルでのり愛用しているバイク。
82年当時は原付はヘルメットの着用義務がなくノーヘルで乗っても違反ではなかった。(86年7月〜原付のヘルメットの着用義務が開始された)
1982年3月にヤマハより発売されたその名の通り女性用に製作され発売された50CC原動機付自転車である。
当時はスクタータイプの原付バイクが主流だったので、自分にはあまり記憶がない。
![](https://assets.st-note.com/img/1721825775113-vQK3VuThmm.jpg)
トランジスタラジオ
SONYスカイセンサー5900:芹沢と小杉が電波の到達状況をチェックするのに使用している。
![](https://assets.st-note.com/img/1721811807096-pa9RtH2Ni5.jpg?width=1200)
ナショナル(現パナソニック) クーガー2200:ラジオ局のレコード棚の上に置かれている。当時のラジオマニアからもマニアからも指示されていた名機中の名機。
この二つのラジオが、私が小学校から中学生の時に流行ったラジオで両方とも当時はリスナーが憧れるラジオだった。この映画を観た時、かなりの懐かしさを感じましたね。
![](https://assets.st-note.com/img/1721814114443-55UpH7F77p.jpg?width=1200)
オーディオ機器
この映画で使用されているアイテムの中で私自身が気になったのはやはりオーディオ機器だろう。
中学生の頃から、オーディオマニアだった私は、観ていてお〜流石良い物使っているな〜と、感心と高くて買えなかったものへの憧れが入り混じった気持ちで観ていた。
その中での代表的な機器は
DENONレコードプレイヤーDP1200:振動の影響が出にく木製キャビネットで見た目も高級感があった。
当時のレコードプレイヤーといったらDENONだった。DDといってモーターからレコードにダイレクトに駆動が伝わり回転ムラが少なく、DENON独自のACモーターを搭載しており他のメーカーに比べ回転の安定性は抜群だったのでより正確な音質を求めることが出来た。
あとDJが使用する様なスタートストップボタンがあり、曲の頭出しにも活用できた。欲しかったが高校生の私には高価で、一つ下のプレイヤーを購入した記憶がある。
![](https://assets.st-note.com/img/1721814364858-bgoOqXy5b8.jpg?width=1200)
TEAC・C-3X カセットデッキ :これもテープデッキといえばTEACと言われるほどの定番メーカーだった。こちらもカセットテープの回転を安定させる為、2モーター方式を採用されていた。テープの磁気を読み取るヘッドと呼ばれる部分も独自の加工を施しておりよりダイナミックレンジの広い再生を実現できた。10万円を超えることから高校生の私には買えず、SONYを使用していた、それも世界の SONYなのでそこそこ良かった(笑)社会人になってやっと憧れのTEACのこの機種より最新で少しグレードの落ちるものを購入した。(それでも約6万円ほどした)
![](https://assets.st-note.com/img/1721814754299-vFhS4NPpGL.jpg?width=1200)
あとはBOSEのパワーアンプやTEACのコントロールアンプが使用されていたが、ちょっとその辺のチョイスは違うだろうと感じていた。
自分が選ぶならアンプは米国製のマランツを揃えるだろう。
他にはTASCAMの オープンリールを使っていたが、私は世代的にオープンテープは使ったことが無かったので別に気にならなかった。
同じくオーディオミキサーもTASCAMを使用していたが、私はオーディオとしては使用経験が無く、ミキサーでは無くカセットテープ式の4チャンネルマルチトラックレコーダーを自分の演奏を録音する為に購入して使っていた。
ゼンハイザーモニター:真理子が音楽を流す時に使用していたヘッドフォン、ドイツ製。耳に当たる部分がスポンジになっている。
私も中学生の時持っていた安いSONYの似た物を使っていた。実はこの映画を観るまでこのメーカーは知らなかった。
ヘッドフォンといえばSONYという意識があったので、プロの歌手等も昔から現在も一流ところはSONYを使っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1721825554761-8Hyi8s59aM.jpg)
セイコー 150mダイバー 4thモデル 7002-7000 オートマチック:小杉が使用していたダイバーズウォッチ。
見た目はいかにも昔ながらのオーソドックスなダイバーウォッチといった感じで分厚いフォルムが格好良く現在でも人気のある機種である。
自動巻で150m防水、日付けカレンダー、セイコー純正ウレタンベルトで水にも強い。
さりげなく小杉が着用していたのが格好良かった。
![](https://assets.st-note.com/img/1721825664800-hwXxTus5VW.jpg)
映画の感想
最後まで読んでいただきありがとうございます。
お金もない学生が最後の夏休みに描く夢と恋の物語は、ホイチョイ3部作の中で一番好きな作品です。
学生達の夢と、幼馴染の女の子に気持ちを打ち明けらないシャイな男が当時の音楽をバックに展開するストーリーは実に面白かった。
ホイチョイムービーのストーリー展開の上手さが3作の中では一番良いと感じましたね。
![](https://assets.st-note.com/img/1721832124630-bx7eFwCSiE.jpg?width=1200)
映画の本編の1982年当時私は高校3年生でした。
男子校に通い彼女もいなくて寂しい高校生活を送っていたので、この映画の様な恋愛には憧れましたね〜
上手くいかない恋だとしても、好きな相手が近くにいて、好きと言えない純情で切ない気持ちはよくわかります。
そんな淡い思いを抱いて過ごせた彼らの夏は最高の思い出になったのではないでしょうか。
大人になっても純粋だった頃の恋心はいつまでも心の片隅に残っているものです。
![](https://assets.st-note.com/img/1721832180372-4iEMAVXWqY.jpg)
この映画が公開された1991年の私は27歳でした、彼らの4歳下でしたから同年代で同じ時代を生きた感覚で観た映画でした。
バブル期最後の1991年に公開されたが、バブル期前の若かった頃の思い出を、社会人となり現在を生きる若者が10年前の出来事を懐かしく振り返っている様子が、バブルの前と後の様子を青春ラブストーリーを上手くリンクさせているように感じられて凄く気に入っている映画です。