杜の都のRocknRollerが青春時代に聴いた邦楽ROCK名盤 最終回 80年代中期~後期編
こんにちは、Hideです♬
私が選んだ70~80年代昭和の日本ROCK名盤もいよいよ最終回です。
この時期は、新しいスターバンドの登場や、女性の活躍も目覚ましかったですね。
では、昭和後期の名盤たちを紹介します。
⑯Lovin’You / 渡辺 美里 1986年7月2日リリース オリコン最高順位週間1位 オリコン1986年度年間順位7位
渡辺2枚目のオリジナルアルバム。
当時としては珍しくLPレコードでトリプルジャケットになっている。
10代の邦楽アーティストが2枚組のアルバム(20曲入り)を出したのは史上初。
作曲陣には小室哲哉(8曲)・岡村靖幸(8曲)、大村雅朗・木根尚登・西本明・渡辺美里が1曲ずつ担当している。
このアルバムが発売された1986年から2005年まで、西武球場(西武ドーム)でのライブが毎年恒例となった。
1990年以降最後の2005年まで、ライブの観客輸送を兼ねた臨時特別列車「MISATO TRAIN」が運行された。86年一回目には、小室哲哉がゲスト出演している。
オリコンではシングル1位が2曲ながら、アルバム1位は9作品という、アルバムアーティストなどと形容されている。
このアルバムも車の中でよく聴きましたね。張りのあるパワフルな歌声から元気をもらえましたね。
POPで明るい曲調はドライブに合う音楽でしたね。
⑰J.BOY / 浜田 省吾 1986年9月4日リリース オリコン最高順位週間1位(4週連続・通算5週) オリコン1986年度年間順位21位 日本レコード大賞優秀アルバム賞に選出される
J.BOYとはJapanese Boyの略語で、浜田が考えたもの。
同じ年に発売された渡辺美里のアルバムと同じ2枚組アルバム。
浜田初のオリコンチャート1位を獲得。
ディレクターの須藤晃と尾崎豊、辻仁成らと共に食事に出掛けた際に、出来上がったばかりのテープを聴いた尾崎が「僕の事を歌っているみたいだ」と話し、浜田も「君の事を歌っているんだよ」と答えたエピソードが残っている。
尾崎も浜田に影響を受けたミュージシャンの一人で、プロデューサーは互いに須藤晃だったこともあり、私から見ても似通った部分があると感じました。
名曲「もう一つの土曜日」を収録している。
私が好きだったのは、上記の「もうひとつの~」と、歌詞を加えた新バージョンの「路地裏の少年」でしたが、「AMERICA」のサビのメロディーが今でも印象的で、アメリカの広い大地が目の前に浮かぶ感じがした曲です。
浜田省吾の曲は、内面にあるやるせなさや、どうにもならない欲望が感じられて、現実を生きている自分達のリアリティーな世界を表現しているところが良かったですね。
しかし~このジャケット写真って尾崎豊に似てないですか?
私は最初見た時からそう感じていました。
⑱BOOWY / BEAT EMOTION 1986年11月8日リリース オリコン最高順位週間1位 オリコン1987年度年間順位24位
彼らの5枚目のオリジナルアルバム。
当時はこのバンドもメチャクチャ人気でしたね。
男女問わず受けていた感じです。
このアルバムでバンド初のオリコン初のチャートインを果たした「B・BLUE」を収録。
初登場1位を獲得。18日間でレコーディングを完了し、売上枚数も累計で120万枚を記録する。
彼らにとって出世作である。
私は5歳年下の親戚に教えてもらい、ちょっとニューウェイブっぽくて面白いバンドだなと感じました。
当時高校の文化祭では、こぞってBOOWYのコピーをするバンドが増えた。
ボーカルとギター・ベース・ベースというシンプルな編成だが、布袋寅泰のギターは、個性的で厚みのあるサウンドを展開し、アクションと共にこのバンドの顔であった。
ベースの松井恒松の布袋とは対照的な直立不動で弾く姿と、疾走感溢れるダウンピッキングは、見事なコンビネーションを演出し、BOOWYサウンドを支えた。
日本のロック界に新たなスターが誕生した事を感じさせるバンドだった。
とにかく西城秀樹をちょっとマイルドにしたような歌い方と、きらびやか且つリズミックなギターが印象に残るバンドでした。
ロックの泥臭さや野性味より、何か都会の暗闇で尖っているといったイメージが湧きましたね。
⑲HERE WE ARE / プリンセスプリンセス 1988年2月26日リリース オリコン最高順位週間8位
プリプリ3枚目のオリジナルアルバム。
シングルで収録曲でもあった「MY WILL」はビクトリアのCMソング。
同じく収録曲の「GO AWAY BOY」は88年資生堂夏のキャンペーンソング。
「19 GROWING UP-ode to my buddy-」は後にロッテアーモンドチョコレートのCMソングに起用された。
このアルバム辺りからプリプリ人気が急上昇していきましたね。
ハスキーで元気の良く歌う奥居香(岸谷香)の姿が、女性もロックを楽しめる時代が来たなと感じさせました。
ボーリング場とかで、有線放送で流れていました。
昭和最後の年でバブル絶頂期の頃で私も20代中盤にさしかかってきて、一番楽しかった時期です。
昭和バブル期の浮かれた時代を思い出します。
まとめ
全19枚のアルバムを4回に渡ってお送りしてきましたが、お楽しみいただけたでしょうか?
私の好みで選んだ昭和の邦楽ロック名盤たちでした。かなりベタではありましたが、それぞれその時代を反映する雰囲気があったのではないかと思います。
私の中学から成人して就職して、20代中盤の、バブルが弾けるまで。
古き良き時代を思い出します。
なんかこうやってあの頃の事を書いていると、日本の空白の30年と言われる時期が重苦しく感じてしまいます。
若くて一番楽しかった頃を思い出せて良かったです。
ありがとうございました。