学歴社会ってどうなの?自分がやりたいとことをやれば良い!
こんにちは、Hideです( ´ ▽ ` )
みちのくはお盆を過ぎても、日中は33℃や34度と猛暑に近い気温です。
帽子や日傘なしでは外を歩けない位暑いです。
外でお仕事されてる方は本当にご苦労様です。
夜は夜でお盆も過ぎたというのに、毎晩熱帯夜で私もニトリのNクールを愛用しています(笑)
それでも暑いのですから相当寝苦しいです。
世の中、学校に通っている時代は成績で評価されるのが現実ですよね。
今回はそんな学歴社会に対しての私なりの見解をお話ししていきます。
子供の頃〜学生時代は、学校の成績でまず評価されるが…
学歴社会である日本では、小学生の頃から勉強ができる出来ないで教師や親、周りの友達、外野の親戚等から「この子は頭が良いだの悪いだの」とレッテルを貼られその評価の中で過ごさなければなりません。
確かに、今日の日本社会では勉強が出来て良い学校に入って卒業したら良い会社に入って、堅実に定年まで働いて、人生は成功。
みたいなお決まりのレールを歩く為に、皆やりたくもない受験の為の勉強をしています。
良い学校を出ると、人生の選択肢が広がるのは事実だし、勉強して多くの知識を学ぶことは良いことだと思います。
頑張って勉強した分だけ、知識も増えて知らない事が多いよりは、より広い意味で人生を豊かにする可能性は増えてきますよね。
ただ大人連中が、勉強だけで子供達を評価して優越をつけてしまうのは、いささか疑問を感じざる得ません。
勉強も出来て人柄も良いならまだしも、成績だけ良くて性格が悪く周りから嫌われる人も中にはおられます。
逆に成績も悪く、おまけに性格に問題ある人もいますが。
昭和の時代は、子供たちの全てを勉強を通してしか見てなかった帰来が見えましたね。
私の認知の歪みか?
今思い出すと、昔は子供に対しての接し方や評価の仕方には、かなりの問題があったと感じています。
学歴だけで評価したり、進路が決まって良いのか?
学歴が良いと人生において、間口が広がるという話をしましたが、あくまでも選択肢を多くしただけであって、あとは本人自体のどうしたいかと、どうなりたいかという話になってくると思います。
現代の学校受験や就職試験は、成績にプラスして周りとのコミュニケーション能力を合格の基準にしているようです。
何十年か経って、やっとそこに気がついたかぁ〜という感じもしますが。
まぁ、ただ人事部の面接官にもよるのでそこも正当な評価をしているかどうかは別の話になってきます。
現在人事の決裁権を持つ年代の人は、バブルを経験し組織の封建的な中で、社会人として育った方達ですから、
本当にその人をしっかり見ているのかというとどうもそうではないような感じもします。
一見、人事のプロみたいな顔をして、ノウハウを語ったりしますがそうなのかなぁ〜って感じもしますし、最終的には自分の好みつまり好きか嫌いかで選んでいるような感じもします。
受験の為にした勉強が、必ずしもその後の人生に役にたつか否かは、その人次第ではないでしょうか?
理系の方は別です、7期がなければ仕事ができませんからね。医師や、弁護士なども然り。
なので、勉強が出来て成績が良かった人=将来人として立派な人
ではないような気がします。
三流高校しか出ていない私が言ったら、ただの僻みにも聞こえますが…
人から見たら無駄にも見えるほど、様々な環境で色んな職場を体験してきた私から見ると、決してそうではありませんね。
昭和の高度成長期だった頃ならまだしも、平成から令和にかけてのこの国の状況を見る限り、学歴社会ということに違和感しか感じられません。
私が見た未来を担う大学生たちに感じること
私は、現在大学生と一緒に働くことが多いのですが…
タイプが二つに分かれているように見えます。
バイトに来ても積極的に仕事に取り組む奴と、何か自死されないと動かない奴。
この違いも何故かと考えると、学校の勉強ではなく親の教育の問題ではないかと感じます。
昭和の伊時代は、仕事は先輩から盗めとか見て覚えろ〜などと言われ、先輩が親切に手取り足取り仕事を教えてくれるなんてことはあり得ませんでした。
私がいた職場だけなのかもしれませんが、時代的にはそんな風潮だった気がします。
要は、農民出身だった豊臣秀吉が、織田信長に気に入られる為、信長が何を考えているのかを事前に察して考えて次の行動を起こしていくかどうか〜みたいなことです。
要は日本は400年以上経過した現代でさえ、そんな殿様文化が根強く残っているのです。
現代の若い人たちの中には、親から仕事は積極的に自分から探して動け!というような教育はされなかった人が多いのでしょう。
仕事は、先輩のやっていることを見て盗めや、見て覚えろまでは行かなくても、せめて次は何をすればよろしいですか?
くらいは聞いてきて欲しいものです。
だってお金をもらいに働きに来ているのですから、何をすべきかわからないのなら、せめて指示を聞いてくるくらいはあって当然かと思います。
こんなことを書いていたら、やっぱりお前も昭和チックな頭の親父なんだな〜みたいに思われるかもしれませんが。
報酬をもらって働くということはそういうことなのは、今も昔も変わらないと思うのですよ。
そんな指示待ち人間の大学生たちが、将来学歴の良さだけで、一流企業もしくは、上流の官僚になったとしましょう。
入れば先輩から教育は受けるのでしょうが、元がそんな調子では、相当頼りにならない社会人になってしまいますよね。
忖度だけは覚えるのでしょうかね。
私は息子に、次に何をすれば良いかを考えて仕事に取り組むように話しています。
実際そこまで完璧に出来ているようには思えませんが、少なくても積極的に動くようにはしていると思います。
学歴も大事だが、本人が何をやりたいかどうなりたいかが一番重要
私自身も社会に出た頃は、バブルでろくに苦労もしないでそこそこの会社に入り、現在よりは割りの良い給料を手にしていました。
なのであまり偉そうなことは言えませんが、主体性だけははっきりと持っていて欲しいと思いますし。私も朧げながら持っていました。
何をしたいか、じゃぁその為には何をすべきなのかを持っていれば、自然と体が動くはずです。
この世の中では、正規雇用として就職するのがやっとの時代で、そこはなかなか難しいとは思いますが、その気持ちはしっかりと持った方が良いでしょうね。
昔に比べ景気は悪いのは確かですが、現在は多様化していて選択肢は、私の若い頃とは比べ物にならないほど多くの選択肢があります。
それもコストもかけずやれることも多くなっているのは確かです。
探せば色々なやりたいことを探せる時代でもあります。
柔軟な考え方を持って、道は数多くあるということを忘れないで先に進んでいって欲しいと思っています。
オーソドックスな道を歩むことだけが人生ではないと、思いますよ!