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【映像】 TEDスピーチから、1日1秒を記録していく意味
僕が2011年末から始めている"365sec"という映像プロジェクトと同じことをしている人がTEDでスピーチしている動画を見つけました。
Ceser Kuriyama: One second every day
まさに僕のプロジェクトと同じコンセプトです。しかも、普段の仕事も似ている。
彼と僕の映像プロジェクトに対する考え方には、大きく違うところがひとつあります。それは、身近な人たちに起こることを映像に残すうえでの考え方です。
彼は、例えば家族の健康上のトラブルや生死に関しても彼自身の使命感に従ってありのままを映像に残すでしょう。
一方、僕は同じ出来事に対して直接カメラを向けることはせず、自分自身の心象を表す何かを映像に収めるだろうなと予想します。
どちらが良いとか悪いということを言っているのではありません。
たった2つのケースを挙げてもこれだけ大きな違いがあるのだなぁと感じて、たった1秒の積み重ねという単純なプロジェクトでも十人十色の作品が生まれることに驚きました。
きっと、人それぞれに向き合い方は違うし、ルールの定め方も違う。
1日1秒を記録していく意味っていうのは積み重なる日々の映像の連なりの中で、その人ごとに醸し出される色合いにこそ宿るのかもしれません。
情報のグローバル化によって、誰もが何かを発信できるようになりましたが、多くの人にとっては自分自身の特色や視点というものを確信することは難しいでしょう。それでも、誰かに自分を見つけて欲しいし褒められたいと考えるものです。
そうなると他者からの評価のみが自分の価値を確かめる術となってしまい、多くの人に見られることが目的と化してしまう。
更に、注目を集めるための手法が没個性を助長するせいで、却って個が埋もれていくように感じます。こうなるとなんだか疲れてしまうし、虚無さえ感じてきます。
この1日1秒の記録には、意識せずとも個人の視点や世界観が表れます。日々が積み重なることでその個性は段々と色濃くなっていき、自分以外の誰かにとっても見る意味のある何らかの価値を持つ可能性は少なくないでしょう。
多くの人が見るとは限らないけれど、いつかこれを見てもらいたい誰かがいるなら、続ける価値も大きい。
いろいろ考えながら書いてきましたが、大したことはしていないんです。ただ、そこそこ長い間、続けることができているだけ。もしも興味を持った人がいたら試しに僕の人生のうちの少しの時間を覗いていってください。この先もまだまだ続いていきますから、お暇なときに是非。
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