私の時計 子離れ 巣立ちの時🕰
通りかかった小学校のグラウンド。
サッカーの対抗試合中⚽
その時、時計の針が20年前に巻き戻った。
ちょうどその頃、我が子も、この同じグランドに対抗試合をするためにやってきて、友達とサッカーボールを追いかけてたな…
まだ幼さが残る笑顔で、サッカー選手を夢見ながら…
あれから、もう20年。
普段、東京で働く息子が、お正月に帰省しそびれていたからと、数日前に京都に帰って来てくれた。
東京に持って帰りたい物があって、それを取りに来るためもあったらしいが、
大学生時代の友達や、懐かしい幼馴染と会える約束が出来て、うちには足早に顔を見せてくれただけだった…。
それでも、一昨年に亡くなったおじいちゃんの仏前に手を合わせに行って、おばあちゃんに会ってくれたり、夫とも少し時間を取って会ってくれた。
帰ってきても、ゆっくりすることもなく、いろんなスケジュールを、慌ただしくこなして、また東京へと戻って行った。
最近は、子どもたち(息子と娘が一人づつ居る)には、いつの間にか、してあげることより、してもらうことのほうが増えた。
もうそれだけ自分も歳を重ねたんだもの…
そんなことを思いながら、川辺を通ると、幼い男の子とお父さんが、浅い川の中洲で凧揚げを楽しんでいた。
うちも、家族であんなこともしたよね…と懐かしくその情景を思い出した。
大きな風に乗って、ぴゅーと冬の大空に飛ぶ凧。
強い風を受けて、風に乗って、どんどん上がっていく。
まるで、成長していく子どもたちが、大空に羽ばたいて行くように、お父さんの手から離れていく。
凧には、たぐり寄せる糸が付いてるけど、子ども達の飛び立ちには、たぐる糸もないことを思う。
それでも見えない糸でどこかで繋がっている。だから、時々、戻ってきてくれるんだ。
普段は、触れることも出来ない子どもたちの無事と幸せを、ただ、ただ、祈るばかり✨
振り返れば、あの親子の様に、毎日一緒に過ごしていた頃は、子どもらの成長を目の前に、前へ前へと進むことで、日々、年月が過ぎ去っていることも、あまり感じていなかった…
まるで、時計の針が、エネルギッシュな子どもたちという歯車で、ぐるぐるひっきりなしにまわっていた様で、気がつけば沢山の時間が過ぎていた。
そんな感覚…
これからは、自分の人生の時計の針を、自分という歯車で回していかなければならない…。
子どもたちと過ごしたのと同じくらいの年月が、私に与えられているのだとすれば、これから先の年月を、未来を、自分なりの幸せを見つけながら、しっかりと刻んで行こうと思う。
大きな振り子がゆっくりと規則正しく動く様に、秒針がコチコチと確かにリズムを取る様に、一コマ、一コマをしっかりと、時を刻んで行きたい…
そんなことを考えた、1月の大寒過ぎの1日でした。