ダム理論
本日も昼頃起きて、ゆるゆると過ごし、初詣などに行き、また帰ってきて食ったりユーチューブ見たりと好きに過ごすなどしていた
元旦くらいゆっくりしなければね
唐突だが、去年、休息の極意は損得を完全に棚上げして何かに没頭している状態、あるいは忘却している状態だと言ったが
自己肯定の極意は自分の愛する対象を見つけることなのではないかと、思ったりしていた
この前アップしたラジオでも言っていたが、仕事なり、人なりで愛を注げるものを見つけることが大事なんじゃないかと
信じなければ愛することはできない
愛するとは主体的ではないと成立しない
何かに愛を注いでいる自分というのは、言い換えれば、主体的な自分である
だから、主体的な自分を再確認できると、自己肯定感も上がるし、運が良ければ対象から何か返ってくるかもしれない
そんなことを考えていた
閑話休題
全然違う話だが
19歳の時、当時付き合っていた人と旅行していた際、僕が家族にお土産を買うと言ったらキレられたことがあった
その人の家庭が複雑だったこともあるだろうが
それから僕は好きな人の前で、家族を思いやるような言動はしてはいけない、というよくわからない認知をセットしてしまった
これは、普通に今考えたらおかしな話だよなぁと思う
そんな気遣いなど無用だろう
そんなあたりまえのこと、今更思ったりした
時間が有り余っていると、どうでもよい昔のことを思い出すときがある
でも、そのがらくたをよくよく引っ張り出して、点検してみれば、思わぬ「トゲ」が見つかったりする
たまに過去の記憶を掘り返して点検して、思い出からトゲを引っこ抜くのも悪くない
自分が思ってた以上に多かったり、深く刺さっていたりするものだから
そんな元旦
今日はいい初夢みるぞー
皆さまもいい夢を
おやすみ
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