うどんが食べたい
本日は10時くらいに起きた
色々と頑張って起きていたんだが、午後より昼寝
気づいたら寝落ちていた
夕方、カフェにて勉強
1時間しかしなかったが、やらないより気分はいい
最近、自棄になるのをやめている
3ヶ月前だったら、夕方になっていたらもう外には出てなかった
それは、そもそも自分というものを見失っていたので、自棄、つまり棄てる自分すら見えていなかったということでもある
今は、少しでも自分の気分を良くするためならなんでもする
それは、「大切にするべき自分」の輪郭が、やっと見えてきたということでもある
自分を見失っているのに、自分を大事にするなんて原理的に不可能だ
自分を泥の中からすくい上げる(あるいは、浮かび上がってくるように空気を入れる)ことが最初に必要となる
カフェで作業をしながら
想像力を膨らませるということが回復につながるのではないか、ということを考えていた
幸せな未来、自分の価値、温かい人間関係を信じられなくなると人は病む
信じられない、というのは、想像できない、実感できない、ということで
想像と実感はおそらく、車輪の両輪のようになっているはずだ
一度たりとも実感したことのないことを、人間は想像できないのではないか
幸せな家庭を想像できないとき、幸せな家庭を見たことも感じたこともないからなのではないか
ところで、昼頃から腹のあたりに謎の鈍痛がしている
寝ている今も謎に痛い
原因不明な痛みは、全く人を憂鬱にさせる
腹の痛みが何を意味しているかわからない
腹は痛みだけを発し続け、沈黙している
そう考えると、精神的な疲れは、実は結構感じやすくて、早めの対処を打ちやすいものなのかもしれない
一回まっさらな状態になってしまえば、どれくらい濁ってきたかすぐわかる
内臓は気難しい
そんな水曜日
みなさまもご自愛を
おやすみ
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