みんな誰かと真剣に遊びたいだけなんだ
フィリピンでいろんな企業家や、スポーツ選手や病人なんかと話していてそう思った
そして今俺には誰かと遊ぶエネルギーが無かった
絞りきって膨らまない雑巾のようだ
燃え尽きている
エネルギーが貯まらない
健全な精神は健全な肉体に宿る、とは誰の言葉なのだろう
そしてこの言葉は、本来は別の意味で書かれた言葉だとどこかで聞いたことがある
でも、いま自分は、このエネルギーの枯渇は、精神というよりむしろ、肉体を回復させればなんとかなるのではないかと思っている
というより、そこにしかもはや出口が無いかのように
筋トレや運動で、この燃えつきがなんとかなるのかは不明だ
が、試してみる価値はあるきがする
散歩は精神に良い、というのはよく見る文言だしね
中学時代、テニス部に入っていた
一学年下の、才能のある後輩にあっという間に抜かれた
その後輩は、小学生のときに県のジュニア大会で優勝したことがあるらしい
勝てるわけがなかった
当時俺はその後輩には、どちらかと言えば舐められていたと思う
その後輩は、頭もよかった
たぶん家は裕福だったと思う
エリートだなあ・・・と当時思っていた
もう部活を引退した後は、人生で交わることは無いと思っていた
だが面白いことに、俺が19歳くらいのとき、パンクバンドをやっていたとき、まさかの邂逅を果たす
後輩はエリート高校に行ってはいたが、なぜかテニスを辞めエロゲオタクになっていた
そしてなぜかギターをやっていた
俺のバンドのドラムが紹介してきた
二人で、まさかこんな繋がりで会うとはね、と苦笑した
そして1回だけだが一緒にバンドを組み、ライブをした
人生は不思議なものだと思った
中学時代、あんなに遠くに見えていた人間が、今自分と音楽をやっている
しかも冴えないパンクバンドだ
しかもエロゲオタクと成り果てて
一体何があったのか、もともとそういうやつだったのか
ライブの後は、自然に連絡をとらなくなった気がする
有名な高校に行っていたので、おそらく普通にいい大学か会社に行ったのではないかと思う
それでも、この体験は、世の中どうなるかわかんねえ、という強烈な実感を与えた
もっと下品に言えば、エリートが落ちてくることもあるし、落ちこぼれが上がることもあるという、単純なこと
(繰り返すが、おそらく彼は普通にいい大学に行ったんじゃないかとは思うが)
でも、俺はなんかうれしかった気がする
テニスで勝ち負けを競っているときより、一緒に馬鹿みたいに夜中に泊まりがけで曲を作ってる時のほうが、圧倒的に俺にとっては楽しかった
くだらねえことで一緒に遊びたい
それが一番楽しい
くだらないことに真剣になる
それが贅沢ということなのではないかと
今にして思う
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