最近読んで面白かった本。「ウィトゲンシュタイン入門」他。
最近読んで面白かった本を挙げていく。
ウィトゲンシュタイン入門
ずーっと気になってたのをやっと読んだ。
ウィトゲンシュタインの哲学は語れるものと語りえないものとを切り分けるのを目的として、論理→文法→言語ゲームという変遷を辿っている。
後期の言語ゲームにおいては、もはや語りえないものについての言及はないんだけど、それは語りえないものが本当に語りえなくなったという意味であって……っていう終盤の展開が激アツだった。
そんでこの本は、ウィトゲンシュタインが最終的に引くことに成功した語れる語れないの境界線をちょっと踏み越えて、語れない側にあるものを無理やり語ろうとしてる。なのでメイントピックである独我論の部分はかなり難しかった。正直よく分かってないので、多分また読み返す。
私的言語の辺りを読んでるとき、偶然ヒグチアイの『悪魔の子』(進撃の巨人のED)を聴いていたんだけど、歌詞の中に
って部分があって、「これ私的言語じゃん!!」ってテンションが上がった。言葉にした時点で"この"言葉の意味は伝わらない。
フーコー入門
個人的な必要に迫られて新しい哲学を生み出さざるをえなかった人って良いよな〜って思う。
僕が哲学に触れるモチベーションの9割方はただの野次馬根性なので、フーコーみたいに人間存在を懸けて哲学をする人は輝いて見える。
内容的には狂気の歴史や、社会科学の歴史が面白かった。規律権力も面白かった。でも生権力辺りから疑問符が浮かぶシーンが出てきた。
↓読みながらとったメモ
哲学マップ
実存主義だとか構造主義だとかの、大きな括りの間の関係を知りたかったんだけど、現代哲学の辺りでは哲学者達の一口紹介みたくなってたのが残念。
現代哲学は現代の我々を取り巻くまさにこの環境であるが故に、俯瞰ができないっていうことなのかもしれない。
しかしそんな中でも、カントだったりニーチェだったりの人を契機にした切り替わりというよりは、第二次世界大戦だったりのイベントを契機にした切り替わりの色が強くなっているのは読み取れた。
多分これは、「1.哲学の分野が細分化されて、個人による横断的な革新が起き辛くなった」のと、「2.移動・通信技術が発展したことで、人々にとっての世界の大きさが地球の大きさと同じになった」からだと思う。
それはそれとして、本書のメインテーマである、哲学の思考方法の変遷はかなり面白かった。
「何故そうなる?」っていう、真理を求める最初の問い。
そして次に問われた、「私とは何だ?」っていう自我への問い。
それを合致させたのがカントなんだけど、彼は各分野(倫理だとか芸術だとか)で結構バラバラなこと言ってて、単一の原理を作りたいよねってなった。
そんで試行錯誤の末に、ヘーゲルが「原理同士を合体させて最強の原理に育てていこうぜ!」っていう弁証法を打ち出す。
これもう結論だろワハハって感じになってたら、ニーチェが「何故それを問うていたのか」っていう全く新しい問いを発して、近代哲学を終わらせた。
ニーチェすげ〜ってなった。要約されたニーチェの主張を見ると、既に構造主義と、更にその先のポスト構造主義にまで手を伸ばしてる感じがある。
大学1年の頃から何度か手を伸ばしては挫折しまくって諦めてたけど、ここらでもう一回ニーチェ読んどくか?
人体、なんでそうなった?
面白かった!進化論的な思考の身も蓋もなさって結構好き。
軽い語り口も好き。ボディランゲージ多めで話しかけて来るような感じが良い。
↓読みながらとったメモ
SF超入門
表紙をめくって一番最初に出てくる四象限図が良かった。数々のSFを
・Light(軽い)⇔Heavy(重い)の縦軸
・Speculative(思弁的)⇔Scientific(科学的)の横軸
の中で分類してるんだけど、銀河一面白いことで知られるあの『銀河ヒッチハイクガイド』がしっかり「思弁的-軽い」の極地に置かれていてニッコリした。他の追随を許してなかった。
もし『宇宙船レッドドワーフ号』があったとしたら、ヒッチハイクガイドのすぐ近く、ほんの少しだけ科学寄りに配置されるんだろうな。
円城塔の本は思弁的の極地だよな。多分これもヒッチハイクガイドの近くに配置されるんじゃないかな。
って感じで、楽しい想像が膨らんだ。