『バービー』の感想。2つのフィクションと1つの現実。
よく出来てて面白かった!
バービーランド/現実、だけじゃない!
一見するとこの映画は女の支配するバービーランドと男の支配する現実世界を対比させているように見えるけど、実際にはそういう構造にはなっていない。
現実世界というには、セントラルシティの様子はあまりにも戯画化されすぎていた。
・バービーを不躾な目で見る見る街の男たち
・男の役員しかいないマテル社の会議室
・ケンが目撃し感化される「強い」男達!
どれもあまりにも「それっぽ」すぎるのだ。
特に会議室での耳打ちや、脱走するバービーを追いかけるオフィス内での追いかけっこなんかは、明らかに現実世界を表現しようという演出ではない。
実際には、この映画は以下の3つの世界で構成されている。
1.現実世界
2.現実を覆う「男の世界」
3.男の世界の反転として存在するバービーランド
見落としがちなのが1と2の二つの世界だ。
現実世界の上に「男の世界」というフィルターが乗っていること。つまり、バービーランドと対比される男の世界もまた虚構であるということを認識しないと、色々と取りこぼすことになる。
では「男の世界」の基底になっている現実世界はどこに描かれているのか。
それはバービーが最初に涙を流した公園だろう。遊ぶ子供や悩む人、そして隣のベンチに座る老人。あの場では、人間がただ人間として存在していた。
世界の複層性がもたらす結論。
映画の中盤から終盤にかけて、ケン達は女尊男卑だったバービーランドに革命を起こしてケンダムを興し、バービー達はそれを鎮圧しようとする。
これは我々の世界で起きている流れを、男女を反転させて再現したものだ。
もしもバービーランドと男の支配する世界の二つしか世界がなかったとしたら、ここでバービー達がケン達を鎮圧して、めでたしめでたしで終わることになる。これだと男女を逆転させた、カウンターとしてのフェミニズム映画になる。
しかし、ここで(マーゴットロビーの)バービーと(ライアンゴズリングの)ケンは、人が人として生きる現実世界の価値観で自らを捉え直すことで和解する。
そしてバービーは現実世界を生きる選択をする。
人が人として生きる現実世界がまずあって、男の世界はその上に乗っかっているだけだとすることで初めて、
「男だとか女だとかじゃなくて、一旦自分自身としてこの世界を生きてみませんか?」
という、映画の最後に提示される結論が可能になる。
それを成立させたこの映画はよく出来てるなと思った。
その他、細かな感想。
・友人と見に行ったんだけど、友人は楽しみすぎて我慢できずに先に見てしまっていたらしい。
友人と感想を喋るときには上に書いたようなことを喋ったんだけど、虚構という言葉をオプショナルなものという意味で使っていることをブラジル人の彼に伝え損ね、「性差別なんて存在しないとおっしゃる?」みたいな感じの、なんか変な空気になった。
・隣の席はピンクの服のカップルだった。彼ら以外にもピンクの服の観客はかなり多く、熱量あるファンが実在して、しかもこんなに大勢いるのかと驚いた。
・冒頭の「2001年宇宙の旅」オマージュのシーンで笑った。焚き火を見つめながら歌うくだりも好き。
・予告の時点で既にめっちゃ面白そうだった。
違う現実を生きる、周囲からは狂人にも見える人間としてマーゴットロビーは適役すぎる。
それに「Make Your Own Kind Of Music」が良すぎた。
・「バービーであることをやめて人間として生きても良い。その決断に創造主の許しなんていらない」って創造主が言っちゃうんだ……。みたいに終盤に若干のモヤつきはある。
途中で出てきた「バービーが女の生き方を窮屈にしている」って糾弾に対しても満足のいくアンサーが出てるとは思えなかったし。
・「一般人のバービー?何を言ってるんだ馬鹿らしい」「でも多分売れますよ?」「良いね👍」みたいなくだりは面白かった。
・「マーゴットロビーが言っても説得力ないよね」みたいなナレーションも笑った。確かにそう。