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最近読んで面白かった本。『なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエル

世界で最も注目を浴びる天才だとか言われているドイツの哲学者、マルクスガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』を読んだ。

彼への賛辞が彼の主張と矛盾してるのがちょっとウケる。「世界で最も注目を浴びる」ってなんだよ。まさにその世界が存在しないってことを言ってんだけど?

「世界は存在しない」だなんて、ずいぶん大きく出たな、という感じのタイトルだ。しかし読んでみたら「それなら確かに世界は存在しないね」と思えた。(それなら、というのが肝だ)

世界、存在しないんだってよ。

ガブリエルは本書の中で「意味の場の存在論」というものを提唱していて、そこから世界が存在しないという結論が導かれる。これが彼の哲学のコアだ。
「意味の場の存在論」とは

存在すること=意味の場に現れること

という等式だ。
例としてサンタクロースについて考えてみる。
サンタクロースがいるなんてのは嘘であって、物理的にはサンタクロースは存在してないんだけど、クリスマスに纏わる文化という意味の場においてはサンタクロースは存在している。

面白いのは、クリスマスという意味の場も、風習という意味の場の中に存在しているということ。もしくは企業の販売戦略という意味の場にも存在しているだろうし、他の意味の場の中にも存在しているかもしれない。
つまり、意味の場というのは入れ子構造になっている。

ここで世界について考えると、世界とはその定義上、全ての意味の場を内包している必要がある。(この世の全てを内包したものが世界だから)
しかし、「意味の場の存在論」によれば、存在するということは意味の場の中に現れるということなので、世界を内包する意味の場も存在しているはずだ。じゃあ世界よりも一回り大きいこの意味の場を世界2と呼ぼう、と、この試みが無益なものだということはすぐに分かると思う。
世界2を内包する世界3が、そしてそれを内包する世界4が……と無限に続いていってしまう。

玉ねぎ構造をイメージして欲しい。外側に向け無限の層を持つ玉ねぎ。
それと、世界を内包する意味の場を世界2と呼ぶのは厳密には本書の説明から外れてるんだけど、大まかにイメージを掴む上では問題なさそう。

つまり、世界は存在しない!
われわれは世界ではなく、無数の意味の場に囲まれて生きている。

で?

まあ世界が存在しないのは飲み込むとして、だから何?という話だ。ガブリエルは世界が存在しないことを以て、何を主張したいのか。

本書の後半部分で彼は
・自然科学
・宗教
・芸術
の3分野を「意味の場の存在論」の視点で分析し、それぞれがどういう物なのか、どうあるべきなのかを論じていく。

・自然科学

雑にまとめると、ガブリエル的には「自然科学君さ〜、最近ちょっと出しゃばりすぎじゃな〜〜い?」ということらしい。

自然科学は世界の全てを理解する唯一の真理であるような面をしているけど、世界は存在しないのだから、自然科学が全てを説明するなんてことはあり得ない。
自然科学の守備範囲は「宇宙」という物理的な意味の場に限られている。
なので、哲学だったり芸術だったりが無価値になるなんてことはない。
自然科学が出しゃばりすぎというのは意地悪な言い方だったけど、要は、人々は自然科学に多くを背負わせすぎだということだ。

・宗教

世界が存在しない以上、世界の全てを司る者としての神も存在しないので、そのような存在について考えるのは無意味。
むしろ宗教とは自分について考えるものだ。
神という、自分と最大限の距離を隔てた存在を仮想的に置くことで、翻って自分の存在について考える。
そういう試みが宗教だし、宗教とはそういうものであるべき。

・芸術

芸術とは、ある事物を普段とは違う意味の場から眺める行為だ。あらゆる対象があらゆる意味の場に存在していて、芸術はその対象の異なる見え方を提示してくれる。

これは誤読が存在しないということではない。対象を不適切な意味の場のなかで読み取ろうとしてしまうことだってある。

例えば僕の大好きなアニメ『ssssグリッドマン』をサバンナの生態系の観点から読み解こうとするのはナンセンスだ。でも、間違いであったとしてもその意味の場は存在している。

意味の場の存在論の立場からすると、芸術には唯一正解の読み取り方がある訳ではないし、反対にどんな読み取り方も正解(or全て間違っている)という訳でもない。

ところで、異なる意味の場に触れるという意味では、ユーモアや旅行も芸術と同種の行為になる。
ユーモアは、常識を相対化することで、自分が無意識に囚われていた意味の場の姿を見せてくれる。
そして旅行とは、普段とは異なる意味の場の中に自らを丸ごと放り込むことだ。

まとめと感想。

というわけで、ガブリエルは本書で

・「これが唯一の正解だ!」っていう極端な考え方。
・「みんな違ってみんな良い」っていう、あらゆるものに無批判な、これまた逆に極端な考え方。

この2つの極端な道の間をとるような。まさに中道的な道を示した。
「世界は存在しない」とかいうカマしまくったタイトルの割には、かなり感覚的に受け入れやすい結論が導かれている。

この主張は近頃重要視されている多様性との相性もよくて、そりゃ時代の寵児としてブイブイ言わせてる訳だわ、と腑に落ちたりもした。

……でもそれ本当に本気で思ってる?

受け入れやすい結論に着地した本書なんだけど、腑に落ちない部分もある。
具体的には、議論の出発点になっている、「意味の場の存在論」自体の根拠がよく分からなかった。
それが冒頭に書いた「それなら世界は確かに存在しないね」という感想の、"それなら"の部分に繋がる。

「存在すること=意味の場に現れること」という等式を受け入れるなら、確かに世界は存在しないということになる。そして世界が存在しないのなら、自然科学などの諸分野についてのガブリエルの主張も納得できる。
しかし、そもそもの話、この等式はなんで正しいって言えるんだ?

もしもこの等式が、数学の公理のように無根拠に設定されたものだった場合、そこから導き出される主張ついても、従う従わないを好きに選んでしまっていい程度のものであることは受け入れないといけない。(論理の道筋がいかに正しかろうとも)
つまり、僕には彼の言っていることが「世界はこうなってる!だから我々はこうするべきだ!」って主張ではなくて、「世界がこうなっていたとしたら、我々はこうするべきってことになるよね」っていう独り言であるように思える。

しかし、それはそれとして面白い本だった。
こちらに語りかけてくるようなやわらかい文章だし、論旨も明確で読みやすい。結論にも納得できる。良いね!

関係のない話。

今日は野球の試合を見るために横浜スタジアムに向かったんだけど、日にちを勘違いしていて、完全に無駄足になってしまった。悲しい。

🥺

でも今日と違って、明日は天気が良さそうなので良かった。
人生初の野球観戦、とても楽しみ!

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