意味のない他人の意見に支配されるな
”越境者”による”越境思考”、今回は「他人の意見と自分にしかできないこと」について。
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結論から言うと、「意味のない他人の意見に支配されるな」というもの。テクニックは簡単で、ボクシングと相撲にヒントがある。
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人間、生きていると様々な選択肢に出会う。その判断(決断)の瞬間、もしくは判断をした結果について他人から色々と言われる、言われたことがあるだろう。言われたことについて自分の中で納得できればそれで良い。選択肢と判断について自分なりに解釈をする際の一つの基準とすることができる。
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では、自分の中で納得できない場合はどうすれば良いか?意見をしてくれた人は自分にとって大事な人であるし無下にもできない、相手を傷つけてしまうかもしれない、ひょっとすると相手の言っていることが正しいのかもしれない、と思うかもしれない。仮に、納得できない意見を自分の中で却下したことについて、モヤモヤとした気持ちが残るかもしれない。むしろ、そういう人は多いだろう。その時にどうすれば良いのか?
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越境者は、人は生まれながらにしてその人固有の才能を持って生まれ、その才能に帰属して生きる。
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彼・彼女たちは国や思想、価値観、言語、宗教、商習慣や因習などを超えて生きてきた、もしくは生きざるを得なかった。そのため、ある特定のコミュニティに強い帰属感を感じた経験がなく、むしろそういった特定のコミュニティにおける多数=社会=常識と、自分=個の間でアイデンティティを着地させることができなかった。
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彼・彼女たちは知る。生きるということは、個として生きることであり、個を特徴づける自分の才能に目を向けることであり、自分の才能の声を聞くことであり、結果として孤独なことである、ということを。だから、彼・彼女たちは他人の意見について、上手い処理の仕方を知っている。
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(1) 意見を受けた瞬間の感情を味わう
(2) 最終的には自分で選択(判断・決断)する
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(1) 意見を受けた瞬間の感情を味わう
意見された瞬間の自分の感情をやり過ごさない。頭で考えるよりも先にこれをやる。その感情に答えが隠されている可能性が高い。それがネガティブなものだった場合に、自分がなぜそう感じたのかについて理由を考える。
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ネガティブな感情の裏側には、自分のものの見方(解釈)の癖がある。頭で考えた思い込み(偏見)や決めつけ(先入観)が原因で、それが自分の深層心理(心や身体)と矛盾を起こしている結果である可能性が高い。だからこそ、一度その矛盾する対象を、ボクシングのリングや、相撲の土俵のようなものを想像して置いてみる。
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それだけで良い。後は自然に答えが出る。繰り返すが、その瞬間の感情をやり過ごさない。そして、その感情がネガティブな場合に、その意見について反対する自分(恐らく頭)と、対照的な立場の自分(恐らく心と身体)を土俵に上げて、その後の成り行きを見る。もちろん、意見された瞬間でなくても構わない。
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(2) 最終的には自分で選択(判断・決断)する
自分で判断する。当たり前のことだけどできない人が多い。しかし(1)ができていれば自然にできるようになる。他者の意見は、それそのものとしてはただの事象に過ぎない。意見を聞いた時に、自分が解釈をして初めて意味を持つ。
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他者の意見に意味はなく、自分による意見の解釈に意味がある。
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ここを理解すれば、他者の意見に支配されて生きるということ自体が論理的に存在しないことが分かる。他人の意見に意味があるから尊重する必要があるということ自体が、思い込みであり、決めつけであり、だからこそ(1)をやりなさい、ということ。
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その瞬間の解釈と感情が対立した場合に、その対立関係をリングに上げて結果を見ろ、ということ。しつこいけど。他人の意見に意味を持たせているのは、自分の先入観や偏見であるということ。
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そうすることで、初めて人の意見、そして意見をした人を尊重することができる。それはすなわち、自分を尊重することと同じことになる。これを突き詰めていくと、自分と他者の境界は極めて曖昧になる。その世界は自分という個が持つ才能が開かれた世界そのものになる。
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