木戸駅と双葉駅と
2021-2-19
[見出し画像:福島県双葉郡楢葉町l天神岬スポーツ公園l2021年2月19日撮影]
2021年2月19日金曜日 (2日目)
昨日は広野駅からJヴィレッジ駅を抜け、県道広野小高線を歩いて楢葉町の山田浜海岸に向かった。広野の火力発電所も近過ぎればよく見えない。今日は木戸駅の周辺の散策、そして昨年9月に双葉町にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」を通し「帰還困難区域」について考えようと思う。(一部被災した家屋の写真を含みます)
天神岬スポーツ公園
朝5時にホテルを出る。凍えるほどではないが夜明け前の空気にぴりりと身が引き締まる。目的地は天神岬スポーツ公園。ここは2015年に一度訪れたことがある。高台にあって海岸線を見下ろせる。Google マップには「3.4km/43分」の経路が表示される。
県道は一定間隔で街灯もあるのだが、車からもこちらの存在が分かるよう懐中電灯をつける。真っ黒な木戸川に架かる橋を渡り、ひとつ先の信号を右に曲がる。あとは目的地まで道なりとなる。街灯の本数が減り、暗闇が多くなる。側溝にはまらぬよう足元を照らし、ガードレールに沿ってそろそろと歩く。なだらかな坂道の途中、一軒の家から灯りが溢れる。犬に吠えたてられる「日常」に少し驚く。「道路舗装工事中」の看板の脇を抜ける。
5時50分。天神岬スポーツ公園着。日の出時刻は30分後だが、東の空は赤く染まり始める。
展望台に登ってみた。Google には「天神岬展望台・福島洋上風力天神岬展望コーナー」と表示される。600億円を投じて整備された「復興」の象徴。海に浮かぶ風力発電施設は、大きな成果も無く2021年度中に撤去される。
[福島沖風力発電2基撤去へ 国、民間引き継ぎ断念 | 河北新報オンラインニュース]
岬の奥に隠れて建屋は見えないが、目をこらすと海に向かって細く張り出す防潮堤が見える。ここから北に約5km先にある福島第二原子力発電所の4機については、2019年に廃炉が決まっている。
振り返ると海岸線が見渡せる。巨大堤防が連なるのは前原・山田浜地区だ。手前が木戸川の河口。YouTubeには、ここから大津波が一気に流れ込む、まさにその瞬間の映像があった。
堤防の後ろ側を廻って流れるのが山田川。正面に見える煙突は東京電力広野火力発電所。福島は今も東京に電気を送り続けている。
日が昇ると、車の流れがにわかに活気づく。
岩手、宮城、福島と連なる巨大な防潮堤の総延長は395kmに渡るが、福島第一原発に近い地域では未だ工事が続いている。
帰還困難区域
木戸駅 9:59発 原ノ町駅行きに乗車。ここから竜田→富岡→夜ノ森→大野そして目的地の双葉駅へ向かう。線量計のスイッチを入れる。
富岡町でも、夜ノ森駅以南の居住制限が解除された地域では、放射線量を示す数値は神奈川県にある自分の家の周りとほとんど差がない(この10年で首都圏の放射線量も下がっている)。竜田駅と富岡駅は、ともに「帰還困難区域」を通過する代行バスの起点であった。竜田駅は2015年1月より、富岡駅は2017年2月よりバスの停車駅となる。2017年10月に常磐線が富岡駅まで開通してからは、2020年3月まで富岡〜浪江駅間を往復した。
全線開通した常磐線ではあるが、ひとたび「帰還困難区域」に入れば、富岡〜夜ノ森〜大野(福島第一原発の最寄駅)〜双葉それぞれの駅の周りを除き、電車内でも線量の数値は多少高くなる。(精度にもよるので参考として、通常値0.08μSv /hに対して最高で 0.6μSv /hぐらい)。10:23 双葉駅着。
[避難指示区域の概念図「福島復興ステーション」のサイトより]
双葉駅と
昨年(2020年)3月から、富岡〜浪江駅間の「帰還困難区域」内で列車の運行が可能になったのは、国が定めた「特定復興再生拠点区域」という制度による。復興庁のサイトには以下のよう書かれている。
「福島復興再生特別措置法の改正(H29.5)により、将来にわたって居住を制限するとされてきた帰還困難区域内に、避難指示を解除し、居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」を定めることが可能となった。」
[復興庁 | 特定復興再生拠点区域復興再生計画]
今回の目的地双葉町でいえば、詳細は上の図の通り。福島第一原発は広域図の右下の角(大熊町)にある。グレーの部分が中間貯蔵施設。分かりにくいとは思うが、現在はまだ「特定復興再生拠点区域」は整備中の区域であり(計画認定から5年を目途に整備を終えるとある)、立ち入りは許されていない。双葉駅からの道路を含む緑色の部分だけが「避難指示解除区域」にあたり、つまり双葉駅から東に1km程の区域については道路から出られないことになる。
東日本大震災・原子力災害伝承館
双葉駅で下車したのは自分ひとりだけだ。真新しい駅舎の階段を上ると無人の改札口がある。作業員二人が案内表示板の取り付けを行なっている。東口出口を降りる。
比較的大きな駅に見えるが周囲はまだ工事が続いている。右手奥に「東日本大震災・原子力災害伝承館」行きのシャトルバス。バスに乗ったのも自分ひとり。料金は無料。10:30 双葉駅発。
バスは「帰還困難地域」を抜け、10分ほどで目的地に到着した。バス停正面に「双葉町産業交流センター」、その左手奥の白い建物が「東日本大震災・原子力災害伝承館」。去年2020年9月22日に開館したばかりだ。
実は大きめの公民館を想像して来たのだが、それはほとんど美術館に匹敵する建造物だった。通常の消毒・検温の後、販売機で入場券を買う。最初に吹き抜けの円形シアターに案内され、壁面に投影されたマルチチャンネルのビデオ映像を5分ほど見るよう促される。
壁面に配された原発と福島の写真と関連年表を、スロープをゆっくりと登りながら眺める。掲示物を見終わると先程のシアターの様子が見下ろせ、展示室の入口に辿り着く。展示は地震・津波の発生から復興に至るまでの過程を、資料やインタビュー映像等を交えて紹介するものである。内容については様々な批判があるようだが、端的にいえば、それは「責任」について言及されないから、ということだろう。
[「撮影禁止」の福島県・原子力災害伝承館 双葉町の展示要望には応じず:東京新聞]
課外学習なのだろうか。高校生が次々と展示室に上がって来る。襟にパイピングを施したブレザーの初々しい制服姿だ。みな一様に、神妙な面持ちで展示物に見入っている。10年前、彼らはそれぞれそこで何を見て、そして何を思ったのだろうか。
小さなレクチャールームで「語り部」の方の口演を聞く。大熊町出身の橘さんという方で、震災の時は神奈川に単身赴任していたそうだ。はっきりとは言わなかったが、勤務先は東京電力の関連会社だったようだ。
「復興」の外側
隣接する「産業交流センター」で昼食を取る。食堂のホールスタッフの女性と少し話をした。
「本当のこと言えよ!って感じですけどね…。」
伝承館の展示はまだ見ていないという。
現代的な二つの施設以外は、広大な空き地といった風情である。敷地の外には、津波の爪痕と時の重さに耐える建物が、そのままの形で残されている。墓石の無い基礎だけの墓地に、一対の仏花が供えられている。ゆくゆくはこの周辺も復興祈念公園として整備される。巨大堤防の工事はまだまだ続いている。
[双葉町のサイト]によれば、津波による死者は20名となっている(平成30年3月末現在)。福島第一原発から北に約3kmのこの地区は、3月11日の地震・津波の被害状況も不確かなまま全町避難を強いられた。彼らは一時川俣町に身を寄せるが、1週間後には約1200人の双葉町住民が「さいたまスーパーアリーナ」へ避難する。関東圏に住む自分には強く心に刻まれる出来事だ。
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にわかに風が強くなってきた。14:05 産業交流センター・伝承館前よりバスに乗車。14:15 双葉駅着。常磐線上り14:24 双葉駅発。14:50 木戸駅着。
木戸駅と
ホテルに戻り、少し休んで気持ちを落ち着かせる。木戸駅とその周辺の変わりゆく風景を、この場所で思い出している。
気を取り直し、もう一度ここ楢葉町前原・山田浜地区を歩いてみることにする。10年の時を経て「復興」という言葉とともに、土地の持つ「アウラ」は少しづつ失われていったように思う。大量に積み上げられたフレコンバッグは、そのほとんどが双葉町や大熊町の中間貯蔵施設に運ばれている。
巨大防波堤
強風に煽られながら巨大堤防の上を歩く。繰り返しになるが、岩手、宮城、福島と連なる巨大な防潮堤の総延長は約395kmに及ぶ。竜田(楢葉町)でも富岡(富岡町)でも、そして今日訪れた双葉(双葉町)でもそれは同じだ。手前に見える木製の囲いは、防災林の苗木を育てるためのものだ。
「沈黙の春」に
オレンジ色の陽光が風景のエッジを照らす。国道を忙しく走る車の音も強風に掻き消される。奇妙な沈黙の風景。
巨大堤防の上から浜に降りてみる。津波に削られた旧国道。腰の高さ程の防波堤。新旧のテトラポット。十字架状に組まれた木板が、海との境界に刺さっている。車止めの目印かもしれない。火力発電所が普段より近く感じる。
小さな鳥居と新しい祈念碑。「津之神社河岸稲荷」と名前がついたようだ。「広報ならは」(令和2年6月号)には「海の安全を願う遷宮と穀物神の稲荷様が祀られている」とある。
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長い一日の終わり。前原・山田浜、そして木戸駅と。(つづく)
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