木戸駅と夜ノ森駅と
2021-2-20
[見出し画像:福島県双葉郡楢葉町l巨大堤防を臨むl2021年2月20日撮影]
昨晩、小さな余震があった。
*
2021年2月20日土曜日 (3日目|最終日)
昨日は早朝に天神岬へ。その後双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」。木戸駅まで戻り、再び前原・山田浜地区を歩いた。今日、3日目は夜ノ森駅(富岡町)を訪ね「特定復興再生拠点区域」と「復興」について考える。(被災した家屋等の写真を含みます)
前原地区と山田浜と
朝5時半、東の空が白み始める。昨日より少しだけ空気が緩む。始発前の踏切を渡り、前原地区を抜け山田浜までは20分ほどある。
昼間は工事関係者の他は滅多に人に会わないが、今朝は巨大堤防の上を散策する人の姿があった。美しい風景。
*
最新の「広報ならは」(2021年3月号)によると、楢葉町の地区ごとの居住者は、前原地区に48世帯96人、山田浜地区に40世帯90人、木戸駅周辺の下小塙(しもこばな)地区では204世帯507人とされる(同1月31日現在)。楢葉町全体でみると居住率は約6割(59.72%)になる(ちなみに居住率は新たに入ってきた原発作業員や復興工事作業員など新住民を含めた人数だ)。「震災・原発事故」以前の号は見つからなかったが(楢葉町のサイトのリニューアルによる)、震災から3ヶ月後の2011年6月30日からは「号外」として発行され、それは楢葉町への帰還が始まる直前の2015年8月号まで続いた。
なお自分のブログには、2015年度末の前原地区の集計として「7世帯14名が帰還」とあった。この年の楢葉町全体の帰還率はまだ8.7%だった(なお、帰還率の公表は2017年3月で終わっているそうだ)。
*
ホテルをチェックアウトし、8:20 木戸駅発原ノ町行きに乗車。原ノ町駅で余分な手荷物をコインロッカーに預け、その足で上り列車に乗り夜ノ森駅に戻る計画を立てる(夜ノ森駅にロッカーが無い故)。時刻表上では 9:08に原ノ町駅に到着し、折り返し運転の上り列車の発車時刻は 9:17となっている。原ノ町駅には「代行バス」の終点として何度か訪れている。
常磐線の全線運転再開後は、双葉駅〜大野駅間を単線区間として営業しているので、電車はひとつ手前の夜ノ森駅で上下線の待ち合わせをする。この日は上り列車の入線が遅れ、普段より余計に停車することになってしまった。双葉駅より先は、浪江(双葉郡浪江町)→桃内(以降は南相馬市となる)→小高→常磐太田、そして終点原ノ町駅の順となる。
浪江駅では詰襟姿の高校生が乗り込み、小高駅でまた降りていった。電車の「遅延」は解消せず、案の定、乗り換え時間は逼迫した。Suicaの精算やロッカーの小銭の準備に手間取るが、なんとか予定の9:17 発の電車に駆け込んだ。
夜ノ森駅と
9:50 夜ノ森駅着。
*
特定復興再生拠点区域
はじめに位置関係を整理しておく。福島第一原発は大熊町の北端、双葉町との境にある。昨日訪れた「東日本大震災・原子力災害伝承館」は双葉町北東部の端、黄緑色で示される避難指示解除区域内にある。青色で示される「特定復興再生拠点区域」は、それぞれJR線の双葉駅(双葉町)大野駅(大熊町)そして夜ノ森駅(富岡町)に隣接する。夜ノ森駅は富岡町の北東部、大熊町との境にある。
ちなみに、夜ノ森より北は元々は標葉(しねは)郡と呼ばれ明治維新までは相馬中村藩に、夜ノ森より南は磐城平藩の楢葉郡であった。1896年に合併し、標葉・楢葉の「ふたつの葉っぱ」で双葉郡となったという。
富岡町では、夜ノ森駅から東側の「帰還困難区域」(特定復興再生拠点区域を含む)を除いて、2017年に避難指示解除されている。現在の「帰還困難区域」の西側半分が「特定復興再生拠点区域」になるが、夜ノ森駅東口で、現時点での往来が可能なのは、緑色の線で示された道路上のみである。まずは駅の西側と南側の、居住区域の住民の利便性確保と、区画の整備を伴う工事車両の通行の確保ということになる。
*
夜ノ森駅を降りたのは、やはり自分ひとりだけだ。新しいホームの階段を登り、無人の改札でSuicaをタッチして東口に降りる。気持ちが騒つく。新築の待合所のベンチに座り気持ちを落ち着かせる。建物内は手元の線量計で 0.08μSv /h (平常値)だ。
さほど広くもない駅前はまだ工事中の状態だ。土曜日で作業をする人はいない。工事用のコーンの列を待合所の窓越しに眺める。柵。柵…。
駅から真っ直ぐに伸びる道を歩き始める。地震で崩れた家も地震に耐えた家も、無人のまま、10年もの間ここに留め置かれていたのだ。線量計を確かめながら歩く。0.2μSv /h〜0.6μSv /hまで、場所によってばらつきがみられる。年間追加被ばく線量を1mSvとする時、1時間当たりの空間線量率に換算すると0.23μSv /hとなる。0.6μSv /hは高線量とまではいえないが、待合所内の0.08μSv /h を基準にすると、体感的にはそこそこの値に感じる。
夜ノ森の桜並木
夜ノ森は桜の名所だ。通行可能な道路の北東の角、ここが有名な「夜ノ森の桜並木」の入口地点だ。春になれば、満開の桜のトンネルに桜吹雪が舞う故郷に酔い、そこに集うのだろう。だが、このバリケードに仕切られたその先はいまだ居住が許されず、入口には常時警備員が待機する。
そういえば警備会社の白い車が地域を巡回しており、滞在時間中に何度かそれに遭遇した。おそらく不審人物として、その旨各所の警備員に報告されていたのだろう。話を聞くと、稀に「バリケード破り」を試みる輩がいるそうだ。中で写真でも撮るのか、いたたまれない気持ちになった。
復興から復興へ
今日は土曜日にもかかわらず、何台もの大型工事車両とすれ違う。車は「復興」から「復興」へと移動する。
この場所で自分が理解したのは、つまり、家屋が取り壊され更地になった地面「だけ」が放射線量が低いということだ。10年の時に取り残された「それ」を残らず整理しなければ除染は完了しないし、土地は再生しないのだ。この土地が復興し生まれ変わるとして、「特定復興再生拠点区域」とはそういう意味なのだ。
居住の境界
夜ノ森駅の西口は通常の居住区域だが、その境界線でもある道路上は、必ずしも線量が低いわけではない。放射線量のホットスポットがいくつも残っている。かつては初夏を彩ったツツジの土手も、線量を下げるために伐採・整理されたという。
「特定復興再生拠点区域」の境界線を、その外周に沿って反時計回りにぐるっと戻る。道の左側には「柵」があり、右側には「柵」は無い。自分にはどちらも同じように見える。
...。
春の陽気と青空。黄色く朽ちて行く理想郷。ゲームの中で。
*
冷えた待合所でメールをひとつ書く。
13:00 夜ノ森駅発。13:36 原ノ町着。
*
原ノ町駅 15:15発。仙台から来た上り臨時快速列車は、双葉駅も夜ノ森駅も木戸駅も停車せずに、いわき駅からそのまま「特急ひたち22号」となる。 16:18 同駅発。18:43 東京駅着。(了)
前回の記事:木戸駅と双葉駅と
2015年訪問時からの関連ブログ記事 hideonakane side-B [Fukushima]。