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ジェンドリンの「逆転」とメタファー理論の歴史 ― I・A・リチャーズ、ブラック、メルロ=ポンティ ―
池見陽氏は、フォーカシングの理論と実践に関する論文の中で、メタファー表現と、その表現の中で比較されるものどうしの類似点や共通点が提示される順序について、次のように論じています。
状況とメタファーの共通性が優先される従来のメタファー論とは異なり、ジェンドリンのメタファー論では、共通点は推進のあとになって⾒出される (Gendlin, 1995; 岡村 2016) 。 (Ikemi, 2017, p.168; Thorgeirsdottir, 2023, p. 98)
なぜジェンドリンはこの順序にこだわったのでしょうか。その歴史的背景を検討することから考察を始めたいと思います。
順序の逆転: メタファーと類似点
ジェンドリン後期の哲学的主著『プロセス・モデル』 (Gendlin, 1997/2018; ジェンドリン, 2023) では、前期の哲学的主著『体験過程と意味の創造』 (Gendlin, 1962/1997; ジェンドリン, 1993) で定式化された考え方がさまざまに適用され・拡張されています。その代表例として、メタファー論が挙げられます。『プロセス・モデル』から引用しましょう。
長い間、メタファーは2つの異なるものの間に存在する既存の類似点に「基づく」ものだと言われてきた。私たちのモデルでは、類似点を創造したり特定したりするのがメタファーである。 (Gendlin, 1997/2018, p. 50; cf. ジェンドリン, 2023, p. 85)
以上のように論じた上で、先行する著作である『体験過程と意味の創造』において「わたしたちは順序を逆転させた」 (Gendlin, 1997/2018, p.51; cf. ジェンドリン, 2023, p. 86) と述べています。実際のところ、『体験過程と意味の創造』の第IV章で彼は「通常の哲学的手順の逆転」(Gendlin, 1962/1997, pp.140-4; ジェンドリン, 1993, pp. 167-71)を提示し、すでに次のように論じています。
類似点は創造的に特定され、メタファーによってシンボル化される。そして個々の類似点は、メタファーの意味の側面として「発見」されたり「創造」されたりするのである。 (Gendlin, 1962/1997, p. 142; cf. ジェンドリン, 1993, p. 169)
…類似点は、新しい意味が創造されるときにのみ存在する。類似点が新しい意味を創造するのではない。 (Gendlin, 1962/1997, pp. 142-3; cf. ジェンドリン, 1993, p. 169)
しかし、ジェンドリン一人が逆転の発想をしたと考えるのは危険であり、誤りです。そこで、それ以前の思想家や哲学者たちがどのように彼の「逆転」を準備し、彼がどのようにその考察を展開していったのかをたどってみましょう。
「逆転」の前史: リチャーズとブラック
イギリスの文芸評論家で思想家の I・A・リチャーズ (1893-1979) は、その古典的名著『レトリックの哲学』の中で、メタファーについて具体的に次のように論じています。
では、言葉のメタファーで最も単純で、最も身近な事例から始めよう。例えばテーブルの脚である…。この語は、馬の脚のような文字どおりの使い方とどう違うのだろうか? 明らかな違いは、テーブルの脚は馬の脚の特徴の一部しか持っていないということだ。このような場合、私たちは共通の特徴をメタファーの根拠 (ground) と呼ぶ。この場合、私たちは容易にその根拠を見つけることができるが、そうでない場合も非常に多い。メタファーが見事に機能しても、それがどのように機能するのか、その転移の根拠は何なのかを確信を持って言うことができないこともある。 (Richards, 1936, p. 117; リチャーズ, 2021, pp. 146-7)
ここで「根拠」と命名されている「共通の特徴」とは、ラテン語で古くから「比較の第三項」 (tertium comparationis) と呼ばれているもののことです。共通点が何であるかを言えなくてもメタファーは機能すると主張する点で、リチャーズはジェンドリンの「逆転」を準備した一人だと言えるでしょう。しかし惜しむらくは、リチャーズが特徴を「根拠」と呼んだことです。このネーミングは、上の考察とは逆に、共通点があらかじめ明示されており、その明示的な特徴に基づいて初めてメタファーが機能するかのような印象を与えてしまいます。このような印象は、「逆転」とは相反するものです。
リチャーズの考察は、英語圏の分析哲学者マックス・ブラック (1909-1988) によって、「メタファーの相互作用観」(Black, 1955, p. 285; 1981, p. 72; cf. ブラック, 1986, p. 15)と呼ばれました。ブラックは自身もこの系譜に属すると考え、その見解を引き継いで発展させました。ジェンドリンが『体験過程と意味の創造』の原型となる博士論文 (Gendlin, 1958) を書く3年前、ブラックはすでに次のように論じていました。
メタファーは、前もって存在する類似点を定式化するというよりも、類似点を創造するのである。 (Black, 1955, p. 285; 1981, p. 72; Johnson, 1987, p. 69; cf. ブラック, 1986, p. 15; ジョンソン, 1991, p. 168)
こうしてブラックは、リチャーズの主張を徹底させることで、ジェンドリンの「逆転」をさらに準備したのです。
「逆転」の前史: メルロ=ポンティ
リチャーズやブラックとの影響関係がおそらくないままにジェンドリンの「逆転」を準備した哲学者として、フランスのモーリス・メルロ=ポンティ (1908-1961) にも触れておきたいと思います。
メルロ=ポンティは、第一次世界大戦中に脳に障害を負ったシュナイダーと呼ばれる患者の報告をよく取り上げていました。彼の代表的な著作である『知覚の現象学』では、シュナイダーがメタファーやアナロジーを理解できない事例について考察がなされています。この考察は、「通常の哲学的手順 」と 「手順の逆転 」の対比を、具体例を通して理解するのに非常に役立つというのが私の見解です。
メルロ=ポンティは、Benary (1922) のレポートに基づいてシュナイダーの事例を次のように要約しています。
…彼は、「椅子の脚」や「釘の頭」のような通常の表現を、メタファー的な意味で理解することができない。 (Merleau-Ponty, 1962, p. 128; cf. 1945, p. 149; cf. メルロ=ポンティ, 1967, p. 217)
つまり、リチャーズの想定に反して、この患者の事例ではこうしたメタファーは機能しないということになります。
…患者は次のような単純なアナロジーすら理解できない。すなわち、「猫にとっての毛皮は、鳥にとっての羽毛のようなものである」とか、「ランプにとっての光は、ストーブにとっての熱のようなものである」とかが理解できないのである。 (Merleau-Ponty, 1962, p. 128; cf. 1945, p. 148; cf. メルロ=ポンティ, 1967, p. 217)
…患者が理解できるようになるのは、概念的な分析に頼ることでアナロジーを明示的にしたときだけである。... 患者は目と耳の類似点について考え、次のように言えるようになるまでは、アナロジーを明確に理解していない。「目と耳はどちらも感覚器官であるため、類似した何かがあるに違いない」 (Merleau-Ponty, 1962, p. 128; cf. 1945, p. 148; cf. メルロ=ポンティ, 1967, p. 217)
言い換えれば、「...どちらも感覚器官である」のような共通点を明示するまでは、患者にとってメタファーやアナロジーはまったく機能しないということになります。
一方、健常者について、メルロ=ポンティは次のように語っています。
通常の思考では、目と耳は、それらの機能のアナロジーによって即座に理解されるのである…。 (Merleau-Ponty, 1962, pp. 128-9; cf. 1945, p. 149; cf. メルロ=ポンティ, 1967, p. 218)
このことが意味するのは、明示的な特徴である「比較の第三項」 (Benary, 1922, p. 263; Merleau-Ponty, 1962, p. 128; cf. 1945, p. 148; cf. メルロ=ポンティ, 1967, p. 217) という「迂回路」 (Merleau-Ponty, 1962, p. 128; cf. 1945, p. 149; cf. メルロ=ポンティ, 1967, p. 217) を経由せずとも、健常者の場合アナロジーは成り立つということです。
ジェンドリンのメタファー理論によれば、患者の思考プロセスが 「通常の哲学的手順 」に従っているのに対し、健常者の思考プロセスは 「手順の逆転 」に従っていることになります。したがって、メルロ=ポンティは、ジェンドリンの 「逆転」を準備した一人であると私は考えます。
ジェンドリンによる継承と発展
先人たちを継承してジェンドリンは考察を展開しました。まず、『体験過程と意味の創造』の中で「私の恋人は、赤い赤いバラのようだ」というメタファーを創造した詩人 (おそらくスコットランドの詩人ロバート・バーンズがモデル) の創作プロセスについて、彼は考察したのです。通常、このような創造的プロセスを検討するとき、「『赤い、赤いバラ』との類似点が、そのメタファーによって『私の恋人』のどのような側面が新たに創造されるかを決定するように見える」 (Gendlin, 1962/1997, p.142) という「古い哲学的手順が私たちを誘惑する」 (Gendlin, 1962/1997, p.142) のです。しかし、その手順を逆転させるべきだと彼は主張しました。
メタファーの最初の創り手は、 (恋人についての) 未分化な経験から始めて、その経験をメタファーが特定するようにするのである。彼は、「さて、それはどんなものだろう?」と自問することで、自分の経験を特定する。創り手もまた、その時点では類似点をまだ持っていない。彼は、(恋人についての)自分の現在の感じられた意味において特定されていない何かと、自分の経験一般にある (まだ見つかっていない) 何かとの間に類似点があると主張する。それ (赤い、赤いバラ) を見つけたとき、彼はその少女のについての経験の特定の側面を完全に創造したことになる。 (Gendlin, 1962/1997, p. 142; cf. ジェンドリン, 1993, p. 169)
その順序は、「新鮮で、咲いており、やがて過ぎ去る、美しい、生きている、優しい、魅力的、柔らかい、静かに摘まれるのを待っている、より大きな自然の一部である」 (Gendlin, 1962/1997, p.142; cf. ジェンドリン, 1993, p. 169) といった類似点が明示的に存在するよりも前に、まずバラが恋人に暗黙的に類似するものとして見出されるというものです。
後にジェンドリンはメタファー論を論文「交差と浸ること」でまとめ、具体的な考察を次のように述べています。
ある人が「タバコは時限爆弾だ」と言えば、人々はその共通の特徴を述べることができる。しかし、時限爆弾のメタファーを聞く前に、まずタバコの主な特徴を書いてくれますかと頼まれたら、人々はその特徴を挙げることはないであろう。 (Gendlin, 1995, p. 559)
もし特徴が事前に明示的に存在していれば、メタファーを聞く前にその特徴を挙げることができたことでしょう。しかし、そうではなく、暗黙的に「タバコは時限爆弾に似ている」と感じてから、ようやく特徴が共通点として導き出されたのです。
『プロセスモデル』では、特徴はあらかじめ明示的に存在するものではないという考え方が引き続き考察されています。
AをBであるかのように語ることで、Aの特定の側面が、それまでは存在しなかったものとして作り出される。このメタファーは、Aの既存の特徴のリストからこの特徴を「選択」するわけではない。そのような固定的なセットなるものは存在しないのである。 (Gendlin, 1997/2018, p. 50; cf. ジェンドリン, 2023, pp. 85-6)
先ほどのタバコの例を上の考察に当てはめると、タバコを時限爆弾であるかのように語ることで、タバコの特定の側面が、それまでは存在しなかったものとして作り出される、ということになります。このメタファーは、タバコの既存の特徴のリストからこの特徴を「選択」するわけではありません。そのような固定的なセットなるものは存在しないのです。
次に、時間をさかのぼって『体験過程と意味の創造』での考察を検討してみましょう。
「赤い、赤いバラ」というシンボルと、「私の恋人」という古い経験の新しい側面との間に生まれる新しい種類の「シンボル化」とは何だろうか。それは過去の経験から経験の新しい側面が生み出されることによるのである。 (Gendlin, 1962/1997, p. 115; cf. ジェンドリン, 1993, p. 142)
言い換えれば、次のように問うことができるでしょう。Bというシンボルと、Aという古い経験の新しい側面との間に生まれる新しい種類の「シンボル化」とは何でしょうか。さらに、「私の恋人」を「赤い赤いバラ」であるかのように語ることで、「私の恋人」の特定の側面が、それまでは存在しなかったものとして作り出される、と言うこともできるのです。
2つのものが交差したときに、事前の予想を超えて生み出される特徴について、他の例をジェンドリンが挙げてどのように論じたか見てみましょう。
例えば、あなたの怒りは椅子とどのように似ているだろうか? (ただ座っているだけだろうか? 誰かに投げつけられるかもしれないだろうか?) もしあなたの怒りにそれを試してみたら、やって来るものは新しい。それはどうやって働くのか? あなたは椅子に関するすべてを、あなたの怒りに関するすべてと相互作用させ、すると何かがやって来る。そして、あなたはそれが常に自分にとって真実「だった (was)」と言う。しかし、実際にはそれは今、それらを交差させることによって作られたものだ。 (Gendlin, 1986, p. 150; cf. ジェンドリン, 1988, p. 180)
上記の例について、ジェンドリンのメタファー理論で博士論文を執筆した岡村心平氏は、次のように論じています。
もし、ある人が自身の怒りを十分に感じているとき、たまたま目の前にある椅子と、その怒りとの共通点を見つけようと「交差」させることを試みると、「重く居座っている」や 「誰かに投げつけたくなる」、あるいは「私をしっかりと支えてくれている」というように、自身の感じている怒りの特徴を挙げることができるかもしれない。注意すべきは、ここで明らかになったそれらの怒りがもつ特徴は、椅子と交差させる以前には存在していなかった、ということである。自分の怒り…と、椅子…が交差して初めて、その…特徴が明らかになった。メタファーの意味はこのように、メタファー表現が用いられた後に創造されるのである。 (岡村, 2016, pp. 57–8; 2018, p. 141)
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同じような例が『プロセスモデル』においても挙げられています。
例えば、歯ブラシと電車を交差させることができる。すると、「なるほど、歯ブラシには『車両』が1つしかないんだ」と言うかもしれないし、「どちらも私たちを揺らしてくれる」と言うかもしれない。「自分専用の電車があったら最高だね」と言うかもしれない。 (Gendlin, 1997/2018, p. 52; ジェンドリン, 2023, p. 88)
ここでも、歯ブラシと電車を交差させて初めて、その特徴が明示的になったことがわかります。
おわりに
ジェンドリンは『体験過程と意味の創造』以降の著作においても、次のように彼のメタファー論を繰り返し主張しています。
「メタファー」それ自体が開けば、新しいメタファー理論が生まれる。それは、古いユニットの中に、そしてそれを超えたところに住まう詩をつくること/見いだすことである。それらは、あらかじめ存在する類似点、あらかじめ存在する比較の項目、固定したユニットの配置としてなぞられるのではない。 (Gendlin, 1988, p. 150)
共通点がメタファーを決定するのではない。むしろ、メタファーから、そしてそれが意味をなした後で初めて、共通点の新しいセットが導き出されるのである。 (Gendlin, 1995, p. 556)
[マーク・] ジョンソンと私は次の点で同意している。すなわち、新しいメタファーの意味は既存の類似点から導き出されるのではなく、メタファーは真実であり得るのである。 (Gendlin, 1997, p. 175)
メタファーは既存の類似点に依存しない。むしろ、メタファーは新しい類似点を創造する。メタファーでは、このような類似点は新しい第三 [の普遍] (*1) なのである。 (Gendlin, 1997/2018, pp. 132–3; ジェンドリン, 2023, p. 222)
ブラックは「順序の逆転」を探求しましたが、彼の考察は分析哲学の伝統的な言語分析に限定されていました。一方、メルロ=ポンティは「順序の逆転」を前概念的経験にまで拡張しました。メルロ=ポンティが聞き手や読み手のメタファーのプロセスのみを論じたのに対し、ジェンドリンは話し手や書き手のメタファーのプロセスにまで考察を拡張しました。さらに、『プロセスモデル』において、ジェンドリンはこの逆転の考え方を、植物や動物のような生命プロセスの様々な段階についての考察に適用したのです。
補遺: ジェンドリンにおけるメタファーの定義
ジェンドリンが論じるメタファーとは、通常の修辞学や言語学におけるメタファーよりも意味が広いです。
まず、ジェンドリンが論じるメタファーは、「直喩」を除外しません。
すでに平行的な意味が感じられていたシンボルを、このような方法で組み合わせることで、新しい意味が創造され、シンボル化される。これは、創造的な思考、問題解決、セラピー、文学など、あらゆる場面で、ある程度生起する。その典型的な例がメタファーである。この機能的な関係を「メタファー」と呼ぶことにする。この用語は、直喩 (simile) などを含むだけでなく、新しい意味の創造とシンボル化すべてを含むものとして使用する。 (Gendlin, 1962/1997, pp. 111–3)
つまり、「 (両者は) 勇敢だ」のような共通点が予め存在するかどうかが重要なのであって、「~のようだ (like) 」が入っているかどうかは重要ではないのです。
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次に、ジェンドリンが論じるメタファーは、ロマン・ヤコブソンやジャック・ラカンと違って、「メトニミー (換喩) 」を除外することもありません。
たとえば催眠状態では、「手を上げて」と言われると、手首のところで手のひらを上げる。覚醒しているときのように、この慣用句を適切に解釈することはない (もちろん、腕全体を空中に上げるという意味である)。 (Gendlin, 1964, pp. 140–1; ジェンドリン, 1966, p. 143-4; 1999, p. 220–1)
この場合、人は、「手を上げて」というシンボルと感じられた意味の間で「メタファー」が機能していないと、ジェンドリンの定義では呼ぶことができます。この点に関して、詳細は以下の別の記事を参照ください。
夢、催眠などによる非常に古い(「原始的な」)連続|田中秀男 (Hideo TANAKA)
注
*1) もし「私の恋人は赤い赤いバラのようだ」というメタファーが、「新鮮で、咲いており、やがて過ぎ去る、美しい、生きている、優しい、魅力的、柔らかい、静かに摘まれるのを待っている、より大きな自然の一部である」といった類似点を創造するのであれば、そのような明示的な類似点は、『プロセスモデル』の用語によれば、「新しい第三」あるいは「新しい第三の普遍」と呼ぶことができるでしょう。
文献
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