仕事観:夢を追う?今を生きる?
面接でも聞かれる「将来の夢」?
就活で聞かれることも多い質問が
「将来の夢は?」
「将来実現したいことは?」
「将来あなたはどうなりたい?」
こんな質問にあなたならどう答えるでしょうか?
いつもの通り、Googleで検索してみると
「結論(描く将来)から説明しよう」
「経営方針、企業理念と自分の夢をマッチさせよう」
そんなアドバイスが踊っています
夢や目標って本当に持ってないとダメなんでしょうか?
夢を持つことは、がんばるための「手段」
私は、どちらかというと目標を設定して、それを実現するためにやるべきことにブレークダウンして、それにコツコツと日々取り組んでいくというスタイルが好きです。そういう意味で、「目標設定型」の人間です。
具体的には、「大学院で、MITに留学したい!」という夢をぶち上げます。周りにそれを宣言して、自分にプレッシャーをかける。そして、留学するという目標・夢のためには、大学院試験の1年後までに英語力をアップさせなければいけないと具体的にしていく。そのために、毎日2時間英語を勉強する!と決めるこんな感じです
しかし、ある時、目標を設定するかどうかは本質ではないことに気づかされます。
ソフトバンクアカデミアの同期と話していた時に、いつもの通り目標は当然設定すべきというノリで話していると、、、
「そもそも、なんで目標を設定しないといけないんだ?」と言われます。俺にはできないし、そんなこと必要ないと。
私と全く考え方が違うので、当時はかなりびっくりしました。夢に日付を!という人もいるじゃないっというのが当時の私の感覚。
しかし、よく考えると夢や目標があることが何かを達成できる本質ではないことに気づきます。
夢があるかどうかが大切ではなく、毎日少しずつ努力できるかどうかそこがポイントだからです
42.195km走れるようになるためには?
42.195km走れる人って少ないと思います。私も無理です。そもそもそんな目標立てようとも私は思いません。
「なんで目標を設定しないといけないんだ?」と私に聞いてきたその友人は、数か月で3時間でフルマラソンを走ることを達成してしまいます。
彼曰く、なにかよくわからないけど、朝歩いていて、ランニングしている人をみて、なんかいいな~と思ったそうです。ちょっとやってみようと。それが何につながるかはどうでもいい。でも、面白そうとおもったからやってみる
走ってみるとすごい気持ちいい、楽しいという新たな気づきがあり、走ることにのめりこんでいきます。(※この時、私はそもそも走ることに挑戦してみようともおもっていないのでこの気づきを得られません、彼は実際たのしくなかったらすぐやめるだけです。目標を立てない方が柔軟性が高い可能性があります)
昨日よりちょっとだけ良くしたいという思いの積み重ねで、気が付いたら1つの到達点として、「3時間でフルマラソンが走れる」になっていたということです
「3時間でフルマラソン」はあくまでも結果であって、はじめからそうしようとおもっていたわけではないのです。ただ、これってすごい達成ですよね?
夢はあってもなくどっちでもいい
イチロー選手が引退しました。その会見の中で以下の言葉が出てきます
あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。
「あなたの夢は?」そんなこと聞かれても無理に答えなくてもいいんです。無いものはない。
ただ、自分の中に測りはありますか?それで日々努力を重ねられそうですか?
例えば、面接で「あなたの夢は?」と聞かれて
「イチロー選手が引退会見で結局は日々の積み重ねだと言っていました。私は夢を持ったことはありませんが、ある時フルマラソンを3時間以内で走れるようになるということを3か月で達成しました、この時は、いきなり3時間で走る!という目標を立てたのではなく、、」と語れれば、私は1つの模範的な回答だとおもいます
あの、イチロー選手が、むしろイチロー選手だからこそ、理想(夢)を掲げると、それとのギャップが大きすぎて、、、となってしまうわけで、私たち一人ひとりが夢を持つことにこだわる必要はまったくないのではないかと
夢や目標があってもなくても、今日1日どれだけ、何ができたのか?一ミリでも成長したのか?日々その積み重ねができているか?それが本質だと最近は考えています。私はたまたま目標を立てたほうが日々頑張れるのでそうしているだけということです。