ドキノレパーク駅にて

 悔しいことだが、もうすでに私の小さな計画は頓挫しはじめていた。ひとつにはナンシーの時間が足りなくなってしまったこと、ふたつ目には、私が市場から裏切られたことが原因だ。もうどうしようもない。パイン曹長が、ドキノレパーク駅に到着するしたのはちょうど仕事帰りの人たちが到着した電車から降りてくるタイミングだったという。ナンシーは彼を目撃していたと後になって言ったが、もうその時には駅前のロータリーから放射状にちらばって帰途につく彼らの影に紛れて、曹長の姿を追うことはできなかったそうだ。私は彼女を責めるつもりはない。ナンシーはナンシーのせいいっぱいで働いている。私は感謝している。
「あんた、それは象の爪じゃないか。象の爪ばっかり。これじゃいつまでたっても大儲けなんかないじゃないか」
 そろそろ消えようとしているナンシーが私を罵倒する。
「パイン曹長なしでも、なんとかやっていける筈だから。私にまかせろよ」と叫び返しながら、壁にポカンと空いた空白を指差したが、その動き自体はなんら有効な手立てにはならない。すでに、ナンシーの心は私をはなれているのだ。
 ここまでの〈物語〉を整理する。
 私とナンシーはナンシーの人工体躯の致命的なエラーを解消するために有効な情報をグリッドから発見した。それが、昨日の午前一時。それは、パイン曹長が帰国しこの街に現れるところを二人で襲撃し、彼の人工肛門インプラントに残っている情動機械を取り出し、私がナンシーの脳髄に〈心入」して、その積極機械を移植するというものだった。ナンシーの体躯はこの方法以外に救われることはない。私は、二十四時間あれば計画が成功すると考えていた。要はエントロピーの問題だった。ナンシーの体躯が崩壊する時間軸にあるのならば、それを逆行させて低エントロピー状態に戻せばいいだけのことで、それを成し遂げるには、マックスウェルの悪魔機械を作動させればいい。そのエネルギーとなるのが、パイン曹長の人工肛門が人工太陽として輝き続けるために埋め込まれている情動機械だった。知っての通り情動機械はこの宇宙に三つしか存在しない。大昔には大量に存在したのだと聞くが、反情動機械との衝突により反応し消滅したのだといわれる。私はナンシーを救いたかっただけなのだ。そのためには、パイン曹長との激しい〈アラソイ〉も覚悟していた。
 救うこと。救うことと救うために何かと戦うこと。
 それを私は、この二百年余りの人生のなかで、最高にハイな気分のうちに成し遂げようとしていたのだ。
「もう、おしまいよ」ナンシーが食器棚を蹴飛ばしながら叫ぶ。七百個のコーヒーカップと超巨大ランチプレートが私たちの部屋に撒き散らされる。確かに宇宙は広大だ。
「まだ、諦めるには早いんだ」と私は、小さな声でしかし固い決意をもって言った。
 そう、まだ四時間はある。
 当為として、グランドゼロに住まう物たちがドキノレパーク駅を使い、朝夕二本だけの電車にぎゅうぎゅうづめに揺られて、首都までの通勤を行っているのは、それが、まったくなんの生産にも経済にも寄与していないにも関わらず、それが現在の営みとして正しいからである。
 私はナンシーを見る。ナンシーは崩壊しはじめているが、まだ客観時間のうちにしがみついている。誰もが迎える身体の崩壊。それを、彼女はまだなんとか止めようという意思を持っている。
「ねえ、私たち、ちょっとジタバタしすぎたのかもしれないわね」消え入りそうな声で彼女が言う。「これはあなたのスタイルではないわ」
 スタイル。なんのこっちゃ。例の爆発以来、これまで何千万のも人々が消えていった。今動いている人たちだって、半分崩壊し始めているようなものだ。
「そうじゃない。そうじゃないんだ。ナンシー」私はもう半泣きになりながら呟く。
 そう。そうじゃないんだ。すべては「象の爪」のせいなんかじゃないんだ。
「ねえ、あなたいつも言ってたわよね。『果報は寝て待て』って」
 そうだ。それは真理だ。すべてはあるがままにあり、起こるままに起きる。それは幾千回も幾万回も幾億回もまったく同じことの繰り返しとして厳然し変わることなんかない。
 預言者は、そんな顔で近づいてくるのだから。だからパイン曹長にも、市場にも裏切られるのだ。

 ナンシーの最後の涙を、私は拭き取った。

〈了〉 2024.6.3 20:36
 


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