統合失調症だからこそ
精神ハンディ。
一見、偏見や差別意識を持ち続ける人もいるが、使命感や希望にポジティブ変換して生きる活力にしている人も沢山いるように感じる。
僕自身も、人間のゴミやでー、とバカの的にされた経験もあり、人生、否定の連続だった。
統合失調症でもなんでもできることを証明してやる!幸福を身の姿で証明してやる!
と、その反骨心みたいなもので、すごく努力をしたように思う。
薬漬けで廃人のような時期もあった。
人が怖くて、布団からでれない時期もあった。
今で思う間違った強さを身につけるため、ボクシングジムに通い、筋トレに明け暮れていた。
週末には度胸試しで、そこそこ都会感のある駅に路上ライブに楽器をもって挑んでいた。
実力なんて微塵もなかった。
ただ、虫けら扱いされたことに対して、強くなって見返したかった。
恋愛も沢山した。
イルミネーションや水族館など、一般人なデートは、金銭的にも、体力的にも余裕がなかったため、コミュニケーション勝負だと思い、大量の哲学本や、小説を読んだ。
実践あるのみと思い、毎回デートは、公園でおしゃべりしながら自販機のジュース片手にベンチか、ウォーキングデートだった。
そんな挑戦と努力をする自分に浸っていた。
挑戦しないと、統合失調症という病魔や傷ましい感傷の過去にのみ込まれていく気がしてならなかった。
そのプロセスすべてが意味のある足跡に変わり、今は結婚もできて、したい仕事にもつけて、趣味も楽しめている。
自分の中の結論として、いくつか答えがでた。
力みすぎて頑張りすぎないこと
物事に対して義務的にならず価値を見出し楽しむ
自己否定がはじまったら、睡眠と栄養と遊びを中心に休息をとる
やらなくちゃ精神をやめる
心の一念の思考通りに現実世界は展開する
相手は自分自身の鏡であるため、学ぶ心と敬愛の姿勢をもつ
自分が優れていると、周りを見下しているときこそ、行動していない時で力がない証明
なんでも入り込みすぎ(依存、執着)は良い結果、方向へ向かわない
主治医との信頼関係は大切にして、投薬の自己調整はしない→一時は調子がよくなっても自己調整クセがつくため
希望はタダ
納豆、みそ汁、ヨーグルトなどの腸活はいい
など、、
人は他者を介在しなく、生きることはできないからこそ、対人関係の悩みは対人関係でしか解決できないと思ってる。
急性期は理性が崩壊し、支離滅裂になった。
だからこそ、腫れ物扱いをうけた。
それも、人の心理的に当然だったように思う。
力がない人間がおいていかれる時代のようであって、そうではないように景色は映る。
そのもがき抗う人にこそ、手を差し伸べるそんな時代がきてる。
傲慢と表裏の臆病。
勇敢の証明の謙虚さ。
家族という根本社会の最重要性。
好きな言葉で
「一笑賢明」
とある。
笑うために賢くなる。
知恵をつける。
人生を楽しむために生まれてきたんだ。
見返したかった、連中。そんなものは肯定感と自信のなさからくる八つ当たりような幻のようなものだった。